▼wait for a suitable opportunity














「汚ねェガキだな」



伸び放題の手入れされていない漆黒の髪。
冷たい雨風に、真夏の太陽の陽にも、晒され放題の焼けて赤くなった肌。
裾は解れ、肩口は破れ、元の色の名残なんて無くなってしまった薄汚れたシャツ。
勿論栄養なんて足りている筈の無い、ガリガリに痩せた手足。
何処から拾ってきたのか分からない草臥れた男物のブーツ。

お世辞にも綺麗と言い様の無い出で立ちの少女。
見知ったシスターの後ろからゆっくりと二歩進んで、足を止めた。



「さ、神父様にご挨拶なさい」

「……お前、名前は?」



煙草を咥え、深く息を吸い込む。
煙で肺を充満させれば、身体中に染み渡るニコチン。
シスターの慌てる聲を聞きながら、ゆっくりと紫煙を吐き出した。


この孤児院とはちょっとした縁で、支援すると言う訳ではないが、目を掛けていた。
今回もたまたまインドへ向かう道中に、たまたま気が向いたので、たまたま立ち寄った。
パトロンなんかじゃねェのに時間を割く理由なんて、たまたまの気紛れだ。

そん俺の気紛れに、院長は暖かく出迎えて、部屋を用意してくれる。
質素ながらに胃を満たしてくれた夕食にはとっておきのワインも振る舞ってくれた。
隠していたのよと嬉しそうに差し出すも、飲むのは俺だけなのだが。

そうして宛がわれた一室に、ワイングラスを持ち込んで、月見酒と洒落込んでいたところだった。



『……』



部屋に入ってくるなり、ぐるりと辺りを見渡す少女は、狭いながらも小綺麗に整えられている協会に似つかわしくはない。
そこに存在することが違和感だと言わんばかりの、相容れない空気を放っている。

背中を支えるように立つシスターを不思議そうに見上げ、そうして足元に視線を落とした。

このナリと言うことは、此処に拾って貰ったばかりと言うことか。
異色の存在に、ピリピリとしたものを感じた。



「名は?」

『……』



聞こえているのかいないのか。
いや、シスターが話し掛けているのだから、耳が機能していない訳ではないだろう。
しかし幾ら待てども、俺の聲は空しく部屋に響くだけで、応えはない。

無視するとは良い度胸だ。

ツカツカとソイツの顎を首を掴み、強制的に上を向かせた。ガリガリのくせに、ふにっとした弾力の頬。
再度、ニコチンを吸い込んで、ふ、と吐いく。



『っ、……コホ、』



バニラに似た香りが部屋に充満し、目の前の少女が小さく咳き込んだ。



「神父様……、」

「別に取って食おうって言う訳じゃねェよ」



心配そうに聲を掛けてきたシスターにそう返した。

取って食いやしない。
こんなガリガリなんて。
特にガキは嫌いだ。
人の気なんて考えやしない。

戦災孤児なんて珍しくない時世。教会がどいつを拾おうが救おうが興味はない。
聖職者としては間違った考え方だとは思うが、自分としてはソレで良いと思っている。



「フン。可愛くねェ」



一向に沈黙を保ったままのそいつの顔を覗きみ、掴んだ顎を左右に向けて、煤だらけの顔を品隲する。
一度も掠めない視線に嘲笑が浮かんだ。



まるで琥珀のようだ。
その奥で何かが眠っているような、神秘的な眼。
ソレを縁取るのは長い睫毛。
少しだけ伏せられたソレは、視線を合わさないように、燻らせた煙草の煙を見詰めている。



『……●●』



呼んでくれる人間は、もう何年も前に居なくなってしまった。
呼ばれることもなくなって、とっくの昔に忘れてしまっていた。


抑揚の無い聲で言う。
年のわりには少し低めの、掠れた聲で。
満足のいく食事は勿論、水もろくに飲めていなかったのか。咳き込みながら、少しづつ吐き出すように、言葉を喉の奥から出した。



俺の肩よりも低い、ソイツの目線が上がる。
すっと瞼が上がり、漸く視線がかち合った。
どこか見透かしたような、それでいて世界を疎んでいるような。
そんな琥珀。



「●●、ね」



煙草の火種を、窓際に置いておいた灰皿の上で揉み消す。白く灰色の煙が、淡く空気に溶けた。
外気の温度で冷やされ曇った硝子に、写る琥珀。
きゅっと服の裾を握り締め、乾いた唇を噛んだ。



「フン、面白い」



ふと、聲が漏れた。
思いもしなかった自分の聲だった。












『もうここまでか、って思いましたよ』



カチ、とライターの音が響き、癖のあるバニラ似の香りが漂う。
それを肺に吸い込んでゆっくりと吐き出せば、全身に広がる疑似的快感。
この合法麻薬は質が悪い。
いつになっても手放せず、定期的に摂取しなければ苛立ちが沸き上がる。



『取って食うつもりはない、って?……まさか。あれは食われるよりも恐ろしかった』

「うるせェ……」

『煩くないです』



俺の代わりに教団への報告書を、慣れた手付きで書き上げる。

あの後、協会から連れて出て数年。
立ち寄った町で服を買ってやった。
満足いくまでたらふく飯を食わせてやった。(食い逃げに近い)
暖かな寝床を用意してやった。(まぁ、各地の愛人宅ではあるが)
そうして身なりを整えてやると、それなりに端整なツラをしていやがった。

琥珀は曇る様子もなく、あの時のまま熱を宿している。
敬語を使う事で己を護りながらも、その裏に隠されている憎たらしさは健在。
変わったのはそれを縁取る睫毛が艶を帯び、頬が本来の白さを取り戻し、漆黒の髪に天使の輪が戻った位だ。



「なんだ、●●。俺に食われたかったのか?」

『まさか』



そんなわけ無いじゃないですか、とさして気にも止めず、すらすらと書類の上を走るペン。何年かかけて覚え込んだ俺の筆跡を、さも我が癖のように書いていく。
どこかの面倒くさいガキと同じで、酷く物解りが良かったようだ。



『目ェくらいは通してくださいね、師匠』



憎たらしくも澄んだ聲で積み上げていくソレ等を、フン、と皮肉を込めて指先で弾く。
教団に報告書を送る気なんざ、さらさら無い。
こんなものはただの時間の浪費なのだ。
煙草を燻らしながら、ハラハラとテーブルの上から落ちる紙切れを追った。



『ちょ、何やってるんですか!折角書いたのに、』

「●●」

『何ですか、邪魔しないでくださ』

「今からでも遅くはねェ、」



丁寧に書類を拾い上げる手を掴んで、引き寄せる。
綺麗に切りそろえられた爪が、そんなところまで手入れをする●●が、もうガキではないと主張する。
紅く色づく頬に、蠱惑。予想以上に育った色香。



こいよ。
骨の髄まで喰いつくしてやる。



機は熟した。
この時を、待っていた。






end

20140126

実は一年以上前から書いていた文章なのですが、漸く完成することが出来ました。
その間に24巻がやっと発売されたんですが、D灰は焦らなくていいと言う安心感が裏目に出ているような気がします。
神田さんが元帥になってしまわれたのでそのお祝いも書きたい。
うっすら案は出来ている…。
クロス元帥早く復活してください。
生きているって信じてる。だって神田さんも戻ってきたのだから……!



←一覧へ