▼I'm Only Me When I'm With You











その日を境に世界が輝いて見えた。

空気は一際澄み、視界は晴れ、吹く風は酷く心地良い。
太陽は燦々と照らし、木々の騒めく音が愉しげに聞こえる。
小鳥は軽やかに歌うように囀り、水は淀みなくさらさら流れる。

深く息を吸い込んで、ゆっくりと世界を見渡した。
全てがスローモーションのように目に飛び込んでは、瞬く度にキラキラと光る。
そんな風に見えた。





でもロンドンの空は相変わらず憂鬱を含んだ灰色一色。
世界は何も変わっては居なくて、寧ろ先年伯爵の所為で終焉に向かっているらしい。
休みなしに任務に駆り出される。

変わった事と言えば、唯一。

神田ユウのアタシを見る目が、何処か優しくなったと言うことだ。










I'm Only Me When I'm With You










ひんやりと冷えた石床の上、ユウのベッドに凭れ掛かるようにして座り込んだ。
寒くはない。
ぴったりと寄り添って、長い任務の間、離れていた時間を埋めた。
そのままユウに体重を預ければ、触れ合った肩や腕から彼の体温が伝わる。
酷く心地が良い。


すっと伸びてきた手に、自分のソレを重ねて応えた。





「小っせェ手。」





指を絡めて繋いだアタシの手をユウの眼の高さまで持って行く。
握っては開くを繰り返し、自分とは違うサイズの手を堪能しているように見えた。




そして、ちゅ、ちゅ、と啄むようなキスの雨が降ってくる。
最初は繋いだ指先、爪の先に。
まるで騎士のように手の甲へと移動する。
ユウの薄過ぎない柔らかな唇の感触が、一本一本丁寧に落とされるからかとても照れ臭い。
柄にもなく優しく触れるから、ゆっくりと体温は上昇していく。


ユウの唇が落ちる度、ビクンと跳ねる肩。
脳がくらくらする。
眼を逸らすしか、術はない。


だって、嫌ではないから。





「●●」

『え?あ、』





名前を呼ばれ、隣にいる彼を無意識に見上げる。
窓の方へ視線を泳がしていた事に気付いていたのか、意地悪そうに弧を描かせたユウの唇が見えた。


ゆっくりとユウの整い過ぎた顔が近付く。


頬、額、鼻先。
そのまま首筋にも雨は降る。
ユウの少し熱の籠った息と、ちゅ、と言うリップノイズがくすぐったい。
身を捩りながらも彼を受け入れた。





『ふ、くすぐったい。』

「…笑うんじゃねェよ。」

『ふ、ふ、だって、』






刀を握りすぎてマメの出来た骨ばった手が頬を撫でる。
彼の再生能力をもってしてもマメと言うものは残るのか、なんて。
そんなくだらない事を脳の片隅で思った。





「チッ。」





ユウの舌打ちが聞こえた瞬間、アタシの身体は重力を手離した。
“え、え!?”と、ふわりと浮いた感覚に呆気に取られていると、ベッドがギシリと音を立てる。





『は!?』




石鹸の香りが鼻孔を擽る。
背中に、腰に、添えるように回された腕と、逞しい胸板に抱き締められ、座り心地が良いとは言えない筋肉質のユウの身体の上に、彼に向かい合うように下ろされた。





「細ェ腰。そのうち折れるぞ。」




“やだ”と言おうとした抗議の声は、喉を通る前に消えた。
フ、とユウの喉が悪戯に鳴る。
腰に回した腕に力を籠めて、ぐっと引き寄せた。
それこそ、折れるかと思う程強く。


至近距離で響くユウのテノール。
直に感じる彼の少し早い鼓動と少し高い温度。
腰が上がりベッドの上で膝立ちになる。





『っ、…そう簡単には折れないよ。』





無意識に顰めた眉。
思い切り飲み込んで止めた息。
ソレを隠すように、片方の口角を上げる。


この行為のイニシアチブをユウに握られていることが気に食わない。
そんな相変わらず可愛げのない思考と共存してはいるものの、恥ずかしながら“これで良い”と幸せを感じている自分が居る。





「ハ、…減らず口だな。」





切れ長の黒曜石の様な眼を細めて、嬉しそうに見上げる。


好戦的な挑発するようなアタシの一言一句に、一挙手一投足に。
これまでならイノセンスを発動して、大掛かりな喧嘩になっていたのに、ユウもユウなりにやんわりと受け止めてくる。





先刻から彼の目は猛禽類のソレのようだ。
そう、例えば任務中に見られるような。
イノセンスを探して、AKUMAを追って。
戦闘に入り、六幻を抜刀した時。
彼の愛刀がAKUMAに斬りかかり、浄化の聲を上げて消え失せる時。
そんな時に見せる、鋭い目。
違うのは孕む空気と、口調と、頬を撫でる手が壊れ物を扱うかのように優しい。





「●●」





ユウの背中が壁に凭れ掛かり、背中に回る腕がユウの方へアタシの身体を促す。
アタシの肩よりも低い位置にある彼の頭を抱き抱える様に腕を回した。
珍しく甘えるように擦り寄るユウ。


優しく撫でられる背中。
時折トントンと子をあやす様に跳ねる。
あぁ、落ち着く。
ここがアタシの帰る場所なんだと実感した。



そう思うと胸が熱くなって、目の奥が熱くなって。
鼻がツンと痛くなって、唇を噛みしめた。






「…なんだ、泣いんのか。」

『…煩ぃ。ちょっと黙っててよ。』






ユウの腕の力が弱められ、その場にすとんと身体が落ちた。
着地点は勿論ふかふかのベッドの上、と言うわけではない。
この体勢は些か気に食わないけれど、今のところどうでも良いレベルだ。


人に涙を見せるのはいつ振りだろう。
弱い部分なんて弱点にしかならないと思っていたのに。


ユウになら見せても良いと思った。















***












●●の頬に手を添えて、親指の腹で水滴を拭う。
オレを見上げる柘榴石が揺れる。


身体を屈めて頬に流れる涙にキスをした。
ゆっくりと眼を閉じる●●。
先程まで絡ませていた小さな掌は、オレのシャツをきゅっと握っている。


それが何処か縋っているように見えた。



頬を撫でていた手を滑らせて、首裏に添わせる。
小さな手に、細い腰。
それ以上に折れてしまいそうな首に驚いた。
少し力を籠めれば、絶命してしまう位。
オレの両手が余るほど、細い首。



クイと親指で●●の顔の角度を上げる。
上を向かせるようにして、その唇に自分のソレを重ねた。



●●とキスをするのは二度目。
一度目は感触やら何やら全て覚えてはいない。
ただ唇を重ねればならない気がしたんだ。


でも今度は違う。
微睡んでいるかのような心地良さと、腕の中に抱き締めた大切なもの。
大切なものなんて今まで無かった。
ただがむしゃらに前だけを見て生きてきた。
AKUMAを壊すことだけが使命だと思って生きてきた。
そんなオレの守りたいもの。


そんな●●を愛おしいと言う想いを込めた口付けだ。
初めは啄むようなそんな子供の様なキス。
ちゅ、ちゅ、と言うリップノイズが二人だけのこの空間に響く。


くらくらと湧き上がる眩暈の様な感覚に、細い腰を引き寄せて、ふわふわの弾力のあるその唇を角度を変えて何度も貪った。
息をする間なんて与えない。
そんな間なんて必要ない。
そんなもの勿体無い。


伏せた眼を縁取る長い睫毛が微かに動いて、眉間に皺が寄せられる。
シャツを握りしめる掌が痛いほどに白くなって、何度かオレの腕を叩く。
引けていく腰に回している腕の力はそのままに、ゆっくりと唇を離した。


さっきとは違う涙が浮かぶ目元。
ハ、と浅く繰り返す呼吸。
仄かに朱に色づく頬。






『…っ、ユウのバカ、…ハ、苦しいし、』

「…鍛え方が足りないんじゃないのか。」

『バカやろう。』






“ほう、もう一回するか?”なんて言えば、顔を真っ赤に染め上げて、力が抜けきった手でポカポカと肩や腕を叩く。
そんな●●にクスクスと笑いが漏れてしまえば、珍しいものを見る様な眼で返される。

昔はこんなんじゃなかった。
笑う事なんて有り得ないと思っていた。
でも今は違う。
笑ってもいいと思う前に口角が上がる。
気付いた時には、もう。


それで良いんだ。





『ちょっと、腕、痛い、もう離してよ。』





腕の中で●●が身を捩る。
●●の腹とオレの胸元がぴったりとくっつく程に抱き寄せた身体。
細く折れそうな腰がそれから距離を取ろうと、肩に置いた手と身体に力が籠る。


その力を利用して、微かに離れた身体を膝の上に座らせる。
そしてこれまた折れそうな肩に背に腕を回し直して、きゅっと抱き締めた。
ちょうど鼻の位置にくる耳元に擦り寄って、●●の香りを鼻腔いっぱいに吸い込む。
香水はつけていないくせに甘ったるい香りを放つんだ。


まるで誘うかのように、誘われるかのように擦り寄って。





「…離すかよ、バカ野郎。」





●●にしか届かないような小さな声で、その耳にだけ届く様に囁いた。


千年伯爵の描く終焉に向かってこの世界は進んでいるらしい。
もしもソレを止めることが出来なくても、この幸せな時間が終わるその時が来るまで、この身体が朽ちて無くなるまで、絶対に離さない。


相変わらず視界を埋め尽くす蓮が輝いて見えるのは、この瞬間だけなのだから。




応える様に抱き着いてきた●●に“好きだ”と呟いた。









End

20120617

実は神田さんBD用に書いていたのですが、こうも完成が遅れるとは。
ちょっといつもよりいちゃいちゃメインで書いてみました。
甘々になるかなと思ってみたのですが。
と言うか書き出した当初はもっと艶っぽくなればいいと思っていたんですが。
チキンですね、なんとも中途半端ないちゃつきで終わってしまいました。

アンケリクの教団で甘目。
こんな感じでいかがでしょうか。
リクありがとうございました!!




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