▼君色の日常










オレの朝は早い。
目覚めは良い方なので、日が昇る前には布団から出る。
起き上がると同時に掛け布団を三つ折りにし、寝ている間に傾いた枕を正す。
いつも部屋の壁にかけている着なれた制服を掴み、昨夜アイロンを掛けたシャツに身を包む。
ネクタイも慣れたもので1分もかからない。
机の上に置いてあった学生鞄と、部屋の入り口付近に置いてあった部活用の鞄を持って部屋を出る。
毎日変わらないメニューの朝ごはんをさっさと胃に収め、“いってきます”とだけ告げて家を出た。
返事はない。いつもの事だ。
家人が起きる前に家を出る。

五月晴れの蒼い空を見ながら、通学路を歩く。
3個手前の駅で下車し、遠回りをするのが常。
いつもと変わらない毎日を、いつも通り迎えていた。












君色の日常













「神田君!おはようございます!」




きゃあきゃあとはしゃぎながら、数人の女生徒が朝の挨拶を投げる。
ただし、オレの返事は要らないようで、“聲掛けちゃった”等と走り去っていく。

名前なんて知らない。
寧ろ顔も見た覚えは無い。
そして言葉を交わしたことも、勿論無い。

遠巻きで騒ぐ連中が嫌いだった。




「チッ。」




そうやって何組もの女生徒グループに聲を掛けられながら、辿り着いた教室。
朝練を終えた時間なので、もう大半の生徒が登校済。
自分のクラスからも賑やかな聲が廊下にまで漏れていた。

席は一番後ろの窓際。
毎日後ろの扉から入ることにしている。
特に決めているわけではないが、それが一番近く、クラスメイトの視線を浴びる時間が少ない。

黒板に近い扉付近で固まって話をしている奴らの横をすり抜け、四枚分の窓ガラスを通過。
ずれてきた鞄を担ぎ直しながら、扉に手を掛けようとした。




「…おい。」




扉から数歩下がった位置で立ち止まり、肩に掛けたカバンの持ち手部分を両手で握りしめ、じっと立っている。
こいつは確か同じクラスの▲▲ ●●。
何をしているかは別に関係ないのだか、そこに立たれていると邪魔だ、そう思い、聲を掛けた。

自分の靴先を見詰めていた顔が上がる。
何か思いつめていたのか、その瞬間にハ、と我に返ったようだった。




「邪魔だ。」

『あ、ゴメン、ゴメン!ボーっとしてた!』




何でもなかったように片掌を振って、笑う。




『おはよう、神田君。』

「…あぁ。」




この時は、変な奴だとその程度にしか思っていなかった。





しかし、これは一回限りではなかった。
朝、教室に入る前に、どこか沈んだ雰囲気の彼女に何度か出くわした。
そして毎度、“眠たくてボーっとしていた”と返された。

▲▲ ●●という人間は友達が多い方だ。
自分からではなく、人が集まってくる人種。
いつも賑やかな聲に囲まれている。

昼食は数人で机を囲み、持ってきた弁当を食べている。
休み時間だって、自分の周りの席に友達が集まり、昨日見たドラマの話や、今度の休日は何処へ行こうか、なんて会話で盛り上がっていた。
走ることは少し苦手なのか、体育の時間に気怠そうにグラウンドを駆ける。
ただし、頭はすこぶる良かった。
眠気しか誘わない授業中にカリカリとリズムよくシャーペン先を走らせて、ルーズリーフに黒板の内容を纏めていく。
所々、色ペンを使い、マーカーでアンダーラインを引いて。

彼女の席は一番後ろの窓から二番目。
よく見える席だ。



彼女のペンを走らせる音も、いつの間にかオレの日常の一つに組み込まれていった。
そして無意識のうちに彼女を目で追うようになっていた。


教室の扉を開けるのはHRから15分前。
下校はいつも一人。
その理由は図書室で本を読んでから帰宅するから。
あれだけ真面目に授業を受けておきながら、まだ活字を見る余力があるのかと呆れ半分でグラウンド横の図書室に消える●●を見送った。

剣道部の部活内容は前半がウォーミングアップ。
袴に着替えてまずはグラウンドを10周。
その後体育館で素振りや打ち込みの稽古。
1時間が経過するこの辺りで、小脇に本を抱えた●●が図書室から出てくることが多い。
いつも重そうな本だった。

そして時たまに、読みたい本が早く見つかったのか何なのかは分からないが、グラウンドをランニング中に早々と帰宅するときもあった。
その時は決まって走り去るオレに“神田君、頑張ってね”と聲を掛けていった。




朝の挨拶も、部活中だって。
いつだって遠巻きで騒ぐ。
名前も何も知らないのに、簡単に“好きだ”と告げてくる。
そんな程度だと思っていた。
そんな奴らが嫌いだった。


▲▲ ●●はどこか違うと感じていた。







いつも通りの朝を迎え、いつも通りの授業。
いつも通りの部活を終え、制服に着替えた頃、いつもと違うことに気が付いた。
鞄を取りに校舎二階の教室へ戻る。
家でも勉強なんてしないから、教科書は持って帰らない。
スカスカの学生鞄を手に取ろうとした、その時だ。

隣の机の横にまだ鞄がぶら下がっている。
机の上にペンケースが出ている。
いつも着ていたカーディガンが椅子の背もたれに掛かっている。




「まだ、居るのか…?」




そう口にした瞬間、目は窓の外、向かいの校舎の一階、図書室に向けられていた。
彼女が残っている心当たりはそれしかなかった。
無意識に目を凝らして、窓から見える図書室内を探れば、夕陽が当たる席で本を広げた●●の姿。
上下にゆっくりと揺れる頭。
何度かそれを繰り返した後、頬杖付いた手から離れ、机に突っ伏した。

隣の席になってから数か月。
授業中に寝るなんて有り得ない●●の、一度も見たことのない寝顔。

知らないうちに口角が上がっている自分がいた。





それから何分経ったか。
時計は見ていないのではっきりとは分からないけれど、彼女の寝顔を穏やかに照らしていた橙色の夕陽は消え、藍色の夜に浮かぶ月が現れていた。
今日は天気が良かったので月が綺麗に見える。
そんなもの愛でる趣味ではないけれど、何故か綺麗だと思った。

ゆっくりと気怠そうに伏せていた身体が起き上がる。
前髪を一度くしゃりと握って、目を擦った。
そうして図書室内を見渡して、眠ってしまっていたことに気付いたのか、慌てて本を持って歩き出した。




『あれ、まだ居たの?』

「…お前こそ。」




視界から姿が消えて5分経つか経たないか。
教室の引き戸を開けた●●。
椅子から立ち上がりながら、彼女にそう返した。
机の横に掛けておいた学生鞄を担ぎ、“いつの間にか寝ちゃってさぁ”と言う●●の傍まで足を進める。

眠ってしまったことも、図書室に居たことも、知ってる。




「何を…読んでいたんだ。」

『この間、芥川賞を受賞した本。』




差し出されたのは相変わらず重そうな本。
持ち歩きやすい大きさの文庫本が多数発行されているにも拘らず、いつもハードカバー。




『…神田君、本に興味ないって思ってた。』

「ねェよ。」




芥川賞には興味はないけれど、ソレを受け取って、ページを捲る。
紙が擦れる音がする。
教科書以上に頭に入ってこない文字の羅列に、パタンと閉じた。
蝶の羽が渦巻く表紙。
よくもまぁこんなモノをと言う、また呆れにも近い感心を含めて●●の手に戻した。

本に興味なんて無い。

他の奴らとどこか違うと感じた●●が読む本。
そう思えば、少し気になっただけだ。




「送る。」

『え!?』

「早く鞄を取ってこい。」




そう告げて、彼女の横を通り過ぎた。
教室の扉を抜けて廊下に出ると、校舎内に残っている生徒はもういない、そんな空気が流れていた。
シンと静まり返るその空間に、“ゴメン、待たせた”と言う聲とパタパタと●●の足音が聞こえる。


扉が閉まるのを確認して歩き出す。
オレの後を追うように彼女の靴音が聞こえた。
自分の歩く速度が速いのは重々承知していた。
だからいつもの何倍もゆっくり足を動かしていたつもりだった。

けれど足音は一向にオレに追いついてこない。
少し後ろでコツコツと鳴るだけ。
彼女がいるであろう斜め後ろに目をやれば、少しだけ俯き加減で歩いていた。




『っと、ごめ、』




足を止めて振り返れば、●●の鼻先が肩にあたる。
その拍子でこけてしまわないように腕を伸ばして身体を支えた。

オレよりも十数センチ低い身長で、折れてしまうんじゃないかと言う位細い腕と肩。




「…早いか?」

『う、ううん、大丈夫。ありがと。』




●●の癖なのか、片掌を振って、笑う。
きゅっと握りしめられている鞄の持ち手が目に入った。




「なら、隣を歩け。」




ひらひらと振る左手を捕まえる様に、握る。
竹刀を持つ時とは違う、壊れ物を扱うように優しく。
それでいて逃げられない程に強く。




『か、神田く、』

「悪いが離す気はねェ。」




緊張なんてしたことは無かった。
意に反して手に力が籠りそうなのを抑える。
竹刀とは違う柔らかな手を握り潰してしまわないように。




『なん、で。』

「●●。」

『っ、』




初めて彼女の名前を口にした気がした。

頬を真っ赤に染め上げて、少し潤んだ目でオレを見上げる●●。
ぱっちりと大きい彼女の黒玉の様な眼がオレを捕らえる。
眼が逸らせない。


掴んでいた手を握り直して、その細い指先にそっと。
一度、触れるか触れないかの掠める様な口付けを落とした。


それは無意識に近かった。




「ずっと見てた。」




変哲のない日常で、オレの心を揺さぶる唯一。
自然と眼が追っていた。●●を。




『…アタシ、も。』




変わらない日常に、変化の風が吹いた気がした。








(握り返された手が嬉しかった)

End

20120527

昨日upしたものの神田さん視点。
このシチュエーションでもう少し書ける気がしなくもない。

そして一日自分の中でズレてた…。
今日が26日だと思っていました。






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