▼名も無き唄 華が咲くように 小鳥が囀ずるように響く 耳を擽るソプラノの歌声。 歌詞は付いていない。 メロディをなぞるだけの鼻唄。 自分の歌い方とは正反対の 繊細な硝子細工のような唄。 「名も無き唄」 校舎端の廊下。 歌声と距離にして数十メートル。 滅多に使うことの無い教室が並ぶこの廊下は 俺の密かな昼寝スポット。 入学してはや2ヶ月。 此処をお気に入りの場所にしてはや2ヶ月。 先客が居たことは初めてだった。 小さく漏れる声。 顔は見えないし、 声の主も俺には気付いていない。 足が床に縫い付けられたかのように 一歩も動くことが出来なかった。 ソレから一週間経った今日。 あれから彼女は一度も現れ無かった。 『四ノ宮君』 「あ!●●さん!」 『さっきはありがとう。評価、良かったわ。』 「いえいえ、どういたしまして!」 クラスの違う那月と食事を共にすることは少なくない。 今日も今日とて例外ではなく。 昔からの腐れ縁でもあり、その縁のせいか寮まで同室の彼に 半ば引き摺られる様に連れてこられた食堂で 昼食を胃袋に詰め込んだ。 次の課題はどうしようなんて考えながら 那月の声をBGMに食後の時間をぼんやり過ごしていた時だった。 可愛らしいソプラノの声。 あれ。 この声、何処かで…。 『じゃあまたね』 「はい!午後の授業で!」 ふわり。 黄色いチェックのスカートの裾が靡く。 漆黒の綺麗な髪を翻し、立ち去る彼女。 「那月、今のって…」 「▲▲ ●●さん?同じクラスなんだけど歌がすごく上手くって! さっきの授業で即興を組ん…、 …翔ちゃん…?」 那月がまだ話続けていたけど、それはもうどうでもいい。 思い出したソプラノの声。 先日聞いたソレ。 華が咲く様な声。 弾かれるように席を立ち、去っていく●●の腕を思いきり掴んだ。 『え…?』 「●●、俺と…!」 掴んだ瞬間振り向いた目が、俺の目を捉えた。 長い睫毛と、髪と同じ色の瞳。 ほんのり色付いた頬。 「っ…、」 『あの…?』 「俺と!次の課題のペア、組んでくれ!」 なんとか吐き出した勧誘の言葉。 唐突過ぎて、噂好きな生徒達も目の前の●●も驚きを隠せない表情で俺を見ている。 あれ、なんか間違えた!? 途端頬が燃えるように熱くなる。 背中に汗が伝った。 「あ、悪い…」 居心地の悪い空気にいたたまれず、 掴んでいた腕を離して後退り。 いくらなんでもいきなり過ぎたか。 一度も話をしたことはない。 とりあえず自己紹介でもするべきだったか。 ぐるぐる回る頭の中。 ざわざわとざわつく外野。 ソレから俺を救ったのは、 ●●のあのソプラノ。 『…こちらこそ。お願いします。』 差し出された細く白い手。 ふわりと咲いた彼女の声と笑顔。 「お願い、します…」 嬉しそうに君が笑った。 (声を聞いたその瞬間から何かが始っていた) 20110923 ←一覧へ |