▼Chocolat day カカオの香りが漂う特設会場で、きゃっきゃと賑わう女子たち。 ショーケースの中には色とりどりのチョコ。 チョコなのか、それとも芸術品なのか、はたまた何かのおもちゃなのかと見間違えるようなものまで取り揃えられている。 勿論、その横に併設されている手作りコーナーも充実だ。 キットになっているものや、一から自分で材料を揃えるもの。 ラッピングも多様に取り扱われている。 それらを友達と相談したり、頬を赤く染めながら一人で買いに来たり、各々が14日と言う日の為に頭を悩ませては、とても可愛らしい仕草で買っていく。 かくいう私も、この場に居合わせているうちの一人で。 有名ショコラティエ達の売り場スペースに、だ。 手作りなんてとんでもない。 多分、きっと。 いや、絶対。 四ノ宮那月以上に食べれない物を作る自信がある。 そんな失敗はしてはいけない。 ましてや。 そんなもの、絶対、渡せない。 Chocolat day 『……はい、コレ!』 悶々と悩むこと二時間。 百貨店の売り場面積のほぼ半分を占めていた、バレンタイン用特設会場を、ぐるぐると何度何度も回り、何度も何度も試食をし、何度も何度も迷い迷った結果、至った一品。 甘ったるい香りの充満するスペースに長時間いて、更に何個も試食したものだから、もう最後は何が何だか。 そうなれば、決め手はもはや味と言うよりは、見た目。 ショーケースの中にあるそれが、一番彼に合うと思ったからだ。 勿論あれだけ大きなスペースを取っていたし、大勢の人だかりが出来ている上に、売り切れも何個かあったから、きっと味も良い筈。 「……これは何だ?」 『えっと、これ、は、』 おずおずと机の上に、綺麗にギフトラッピングされたそれを乗せる。 父親や顔見知りの人間に、バレンタインのチョコを渡したことは何度かあるし、この行事自体が持つ意味も勿論知っている。 知っているからこそ、聖川に渡したかったし、知っているからこそ、恥ずかしいものでもあった。 それでも。 少しでも彼との距離が縮まって、少しでも自分の気持ちが伝われば良いと、思ったのだ。 『……ば、バレンタインだよ!』 「ばれ?」 しかし、当の本人は渡した小包を眺めては、“綺麗な箱だな”等と、見当違いの反応を見せた。 『聖川……もしかして、知らない、の?』 そうか、そうだったのか。 財閥のお坊ちゃまはそんな事にも疎いのか。 いや待て、レンはそんな事無かった。 と言うことは、聖川が疎いという事か。 長い付き合いの間、確かに疎い、疎いとは思っていたけれど、ここまでとは……思いもしなかった。 授業が終わってから、トレーニングルームに籠ろうとする聖川に聲を掛けた時に気付くべきだった。 私が今日この日を、どれだけの緊張と期待で溺れそうになりながら待っていたかなんて、彼は思いもしていなかったのか。 「これは開けても良い物なのか?」 『え、あ、う、うん』 悶々とここ数日の思いが馳せていた頭の中を、聖川の言葉で現実に引き戻される。 何時間もかけて選んだものだけど、いざ彼に渡すとなると緊張するようで。 それはまるで、初めてのピアノのコンクールの時のように、手に汗を握っていた。 気に入ってくれるだろうか。 チョコは嫌いじゃなかっただろうか。 付き合いは長いがこう言うものを渡すのは、今日が初めてで。 付き合いは長いが、こう言う仲になってから、自分から何かを渡すのも初めてで。 何重にも過剰に包装されたラッピングが、一枚一枚剥ぎ取られていく。 その度にドクンドクンと鼓動が早鐘を打つようだった。 『あ、あの、』 聖川の手によってゆっくりと開けられた箱の中から、鮮やかな細工が施された三つのチョコ。 結局購入に至ったのは、扇と鞠と盃をモチーフのもの。 綺麗に繊細に着色されたソレは、優美な彼を容易に想像させた。 「これは……美しいな。チョコレートとは思えん」 愛でる様にそれを眺め、慈しむ様に箱に手を添える。 聖川の事を思い浮かべながら買ったけれど、それは想像以上に彼としっくりきていた。 「食べるのが惜しいな」 喜んでくれて良かった。 ホッと息を吐いた。 気に入る、とか、気に入らない、とか。 そんなものを言う人ではないけれど。 自然と緊張が解け、顔が綻びるのを感じた。 彼の長く繊細な指がそれを摘む。 丁寧に、壊れ物を扱うかのように。 そんな姿を見せてくれると、そても満たされた気持ちになる。 『安物で、口に、合わなかったらゴメン……』 聖川財閥のお抱えシェフの料理を毎日口にしてきた彼だ。 百貨店とは言えども、日本の市場で手に入る代物で良いわけがない。 「ん……?安物とは、」 『や、なんか。ちょっと、うちのシェフに作ってもらうんじゃなくて、』 「……●●、まさか、」 『自分でちゃんと選びたくて、』 クラスで女子たちが雑誌を広げ、特集ページを見ながら楽しそうに話しているのを眼にした。 何処のものを買おうか。 どうやって作ろうか。 ラッピングはどうするのか。 渡す場所は。 頬を赤らめながら、嬉しそうに恥ずかしそうに話す、彼女たちが羨ましいと思った。 『パリまで行けば、もっと良いものがあったのかもしれないけど。皆に教えてもらって、』 “●●ちゃんは?どうする?” そう尋ねられた時に、あぁ、自分も彼女たちの様に、自らで選んで贈りたいと思ったのだ。 『でも、聖川に一番合うものを探し、』 「まさかとは思うが、お前はまた……!」 『え、』 チョコに向けられていた聖川の顔が、こちらに向けられ、その瞬間に、ガシッと掴まれる手首。 指先に力が込められて、ゆっくりと彼の方へ引き寄せられる身体に走るイヤな予感。 「馬鹿者!あれ程一人で外へ行くなと、言っていただろう!」 眼が笑っていない。 それどころか怒りの色が見える。 『……っ、だ、だって!』 「だって、ではない!」 聖川が本気で怒っている時の聲だ。 今までで2回しか聞いたことがない。 本当に怒っているんだ。 「自分の立場をわかっているのか!?」 大きい聲が耳に響く。 肩がびくっと跳ねた。 そんなことを百も承知で。 でも今日は、そんな事で揉める日じゃない筈で。 世間はバレンタインで。 皆そわそわしながらも、幸せそうで。 幼馴染みの延長から一歩、踏み出せるはずの日で。 そんな日の一員に私も、勿論聖川もなるはずだった。のに。 掴まれたままの腕が痛い。 泣いてしまいそうだ。 「ダメだな、聖川。やっぱりお前は乙女心と言うやつを微塵も分かっていないね」 コンコン、と高い音が鳴り、それと共に現れた聞き覚えのある聲。 ドアを開けながら、レンが困ったようにこちらを見た。 「勝手に入ってくるな、神宮寺」 「此処はお前だけの部屋じゃないよ」 紙袋いっぱいのチョコを自分のスペースに置きながら、“まいったな”と呟いた。 きっと今の私はそんな世間の幸せから、一番遠い顔をしているんだろう。 バレンタインには程遠い筈だ。 『……私、帰る』 立ち上がれば、カタンと小さく椅子が鳴る。 もうこれ以上ここに居たくない。 一秒でも早く、ここから去りたくて。 聖川に掴まれている手を引こうとした。 「いや。ダメだよ、●●」 その手をなだめる様に、レンが止める。 「何の話だ」 「お前の疎さについてだよ。本当に信じられないな。……良いか、聖川。お前は今日と言う日を全くわかっちゃいない」 『レン!もういいんだって!』 レンが今日と言う日を話せば話す程、自分の空回りを露呈されているようで。 そんな言葉、聞いていたくなくて。 世間の、クラスの女子たちの様に今日を楽しんでみたかっただけだ。 いつもと一緒。 皆と同じ、は、いつも出来ない。 私が財閥の人間である以上、無理なのだ。 今までいくつも諦めてきた。 それが一つ増えただけ。 「じゃあこのチョコは、聖川にはやれないな」 『え?』 「貴様、何を言って、」 「これはオレが貰う事にするよ」 机の上に置かれたままになっていた私のチョコを取って、自分のベッドに腰掛ける。 “こう見えてもね、和柄も似合うんだぜ”なんて。 ふかふかの枕と布団に身体を委ね、ウィンクをしながら悪戯に笑った。 「返せ、神宮寺」 「嫌だね」 レンを睨みつけるような眼で見ている聖川を、鼻であしらう。 「それは俺が●●からもらったものだ」 「この意味が分かっていないのなら、これは渡せない」 緩んだネクタイを解き、ベッドの端へ投げ捨てながら、一粒摘む。 いや、摘もうとした。 レンの指がチョコに触れる前に。 気が付けば、足はレンの方に向かっていて。 その箱を奪い返していたのだ。 『待って!!!』 学校の帰りにクラスメイトに教えてもらった場所へ、この日を思いながら買いに行った。 昔恐る恐る乗った電車も、怖くは無かった。 曲がり角で執事を撒くのも、昔以上に心が躍った。 人ごみは得意じゃないけれど、それだって耐えられたのだ。 『これは、聖川の、だから』 だって。 聖川に渡す、チョコを買いに行ったのだから。 「それなら●●、“もういい”じゃないだろう?」 レンが柔らかい物腰が私に問いかける。 私の頭を優しく撫でながら、言い聞かせる様に言葉を発するレンは、兄だと慕った頃の彼だった。 「あの分からず屋に教えてやれ。これは特別なんだってさ」 『レン、』 「はいはい、じゃあ邪魔者は退散するよ」 手入れの行き届いた橙色の髪を軽く梳きながら、聖川の肩にポンと手を跳ねさせる。 一度こちらに眼を向けつつも、何も言わずに部屋から出ていった。 レンの言う通り。 良くない。 良い筈がない。 この日の為に準備したことが、意味がなくなってしまう。 「……●●、」 『……っ、』 静かな暖房器具の稼働する音だけが響き渡った部屋に、聖川の聲がする。 幼馴染と言う間柄で悪態をつく聲も、想い合う間柄での優しい聲色も。 それは私の中で当たり前になっていて。 聖川真斗と言う人物は自分を甘やかしてくれるものだと思っていた。 そんな彼の小言ではない、諌める聲を聞いてしまったから。 ごめんなさいと、謝る聲もでなくなってしまっていた。 「すまなかった。心配、だったのだ」 いつの間にこんなに低い聲になったのだろうか。 聖川の腕が私の肩を抱く。 ゆっくりと引き寄せられた先に、いつの間にか頭一つ分大きくなった聖川の身体があって。 こんなに近くにいることなんて、初等部以来なのかもしれないくて。 「バレンタインがどういう物なのか、俺に教えてくれ」 聖川の鼓動が伝ってきて、私の鼓動も早くなって。 顔が熱い。 『っ、う、ん……!』 幼馴染の彼に、いつの間にか芽生えて抱いた想いは、こんなにも大きくて。 もどかしかった距離が、一瞬にして縮まる。 「happyvalentine、……真斗」 髪を撫でる手は、さっきとは比べ物にならない優しく、耳元で囁く聲はチョコよりも甘かった。 ・・・ 「で、上手くいったのかい?」 珍しく聖川が煎れたコーヒーに口をつけた。 深々と冷えきった身体を溶かすようにそれが広がる。 「全く、お前と言うやつは野暮だな」 「幼馴染み達の恋路を協力したんだ。オレには知る権利があると思うけどね」 大きめのリボンがついたラッピングを外しながら、無愛想に話すルームメートに聲をやる。 まさか自分の誕生日に、あんな一芝居を打つとは思わなかった。 別にどう転んでも、自分には関係のない恋だと思っていたのに、だ。 「お前も随分やるようになったじゃないか」 「……まあな」 フ、と。 悦びと、そして悪戯めいたように崩す。 きっと無意識なのだろう。 それを一瞬にして元の涼しげな顔に戻した。 「神宮寺、礼を言おう。助かった」 ご自慢の畳の上で、律儀に頭を下げる。 あの後上手くいったのだろう。 それはとても晴れやかな聲だった。 「……よせよ。お前が素直だと調子が狂う」 フルーツの香りが詰め込まれた甘ったるいチョコを口に含んで、砂糖もミルクも入れていないコーヒーを流し込む。 いつだって味わえるものだけど、この日だけは特別なスパイスが含まれているのかと言う位、甘い。 どちらかと言えば真逆の嗜好ではあるけれど。 それもまぁ、今日くらいは悪くは無い。 幼馴染みの恋を温かく見守ってやっても良い。 仕方ないさ。 二人の兄代わりなのだから。 end 20140214 ←一覧へ |