▼恋の罠









同じクラスの四ノ宮那月君は少し苦手だ。

いや、苦手と言う表現が正しいのかは分からない。
偶然隣同士に座った入学式。
クラス分けで同じAクラスになり、これまた偶然が重なって机を並べている。
その為、何かと話す機会は多いのだが、入学して今日の今日まで思い通りの会話が出来たことは無い。
と思う。

現に今その思い通りにならない会話の真っ最中である。



「●●ちゃんの指、綺麗ですよね。」

『え?あ、ありがと。…じゃなくて、ココからもう一回、』

「とっても細いから、ぎゅぅって握れば折れてしまいそうです。」

『…は!?ちょ、やめてよ!!』

「ふふふ、冗談です」



お日様の様な笑顔を浮かべながら、物騒な冗談を繰り広げる、四ノ宮君。
さっきからこんな風に会話の主導権を彼に持って行かれ、それに翻弄させられているのだ。


なんでこんな物騒な会話になっているかと言うと、事の発端は林檎先生の課題のせい。
(いや、林檎先生のせいにするのは先生に失礼か?)
隣同士がペアになり課題曲を仕上げると言った単純なものだけど、四ノ宮君は何でAクラスなんですか、と校長に直接聞きたいくらいレベルが高い。
何とか予約が取れた実習室に籠ったのが確か30分前。
“伴奏しますね”とピアノを弾きだしたのも30分前。
更に言えばこの楽譜を貰ったのは45分前。
知らない曲ですね、と言いながら、白と黒の鍵盤を弾くその指の動きは、有り得ない程スムーズに滑らかだ。



「ここは跳ねた方が可愛いです」



ほんの30分前に見た楽譜をいとも簡単に弾きこなし、独自のアレンジを加える程。
対して私は、ギリギリAクラスに所属できた落ちこぼれ。
そんな二人がペアを組むなんて、なんかの間違いだと、五線譜を泳ぎまわるオタマジャクシを指でなぞりながら頭に叩き込んでいた。

そこでさっきの物騒な会話である。
褒められるような指ではないけれど、折られるのは勘弁願いたい。


四ノ宮君が弾くピアノの少し前に立って、なんとか彼の奏でる音についていこうと聲を張り上げながら、楽譜越しに彼を見た。
少し眼を伏せて、肌で音を受け取って、ソレを指先で応える様な弾き方。
跳ねる指と一緒にふわふわの髪がそのメロディに乗る。
金色の色素の薄い猫っ毛が楽しそうだ。



「●●ちゃん。」

『え、あ、何?』

「そんなに見詰められたら僕、困っちゃいます。」

『え、っ、!!!』



目線は伏せたまま。
ピアノはテンポよくメロディをなぞったまま。
彼特有の“ふふふ”と含んだ柔らかな笑いと共に、少し意地悪に言う。



『みみみみ見て無いよ!!』

「あぁ、ダメですよ。そんなに力を入れると楽譜がぐしゃぐしゃになっちゃう。」

『〜…っ、、、』



必死になぞって、追いかけていた楽譜を力いっぱい握りしめたせいで、クシャ、と音を立てて大きな皺が入る。
見えていないと思っていたのに。
気付いていないと思っていたのに。

何故か恥ずかしくなって、そのくしゃくしゃな楽譜に顔を埋めれば、ピアノの音がプツリと途切れ、カタンと椅子を鳴らして四ノ宮君が立ち上がる。
自分の身長よりも20cmも大きな彼の影が長く長く伸びて、一歩一歩こちらに向かってくる気配がした。



「●●ちゃん」



コツコツと皮のソールが床を鳴らす。
その音が少しずつ近付いて来る。
無意識にソレから離れる様に、四ノ宮君から逃げる様に身体が後ずさりを始めた。



『こ、来ないで。早くつ、続き…弾いてよ。』



後ずさりなんて今までやったことがなかったけれど、これって行く?戻る?方向が上手く掴めないんだね。
なんて他人事のようにどこかで考えながらも、背後に感じる黒板のひやりとした温度。
もう後ろには下がれなくて。
かといって扉の方に逃げるのは、露骨すぎて少々気が引ける。
どうしたものかと打開策を練っているうちに、四ノ宮君は私の目の前まで来てしまった。



「うーん。困りましたねぇ。」

『な、にが…』

「●●ちゃんが逃げていきます。」



眼鏡から覗く金緑の眼が少し陰って、眉が下がる。
困ったように首を傾げれば、彼のアンテナの様なふわふわな髪の毛も憂いた気配がした。

別に何も悪いことはしていないと思うけれど、四ノ宮君のお日様を陰らせてしまった、そんな罪悪感。



『に、逃げてなんか…。』

「そうですか?」



身長の高い四ノ宮君の長い腕と、さっきまでピアノを弾いていた骨ばった手が伸びてきて、力いっぱい握りしめた私の楽譜を奪う。



「僕はこんなにも●●ちゃんに触れたいのに。」



一本一本、指を解く様に広げて、“これは少し置いておきましょうね”と。
所在無げになってしまった私の手に、四ノ宮君のソレを重ねた。



「あぁ、やっぱり。折れてしまいそうです。」

『ちょ、、、』

「優しく扱わないといけませんね。」



ふわりと私の指先に金が降りる。
柔らかな何かが一瞬触れて、離れた。



『っ、!!!し、四ノ宮君っ!?』

「“なっちゃん”て呼んでください。」



手首をきゅっと掴まれる。
痛くはない。
けれど、絶対に解けない力で。

“呼んでくれないと楽譜は返しません”

ふわふわの髪と透明の眼鏡越しに覗く四ノ宮君の眼が細められ、少しだけ口角を上げて囁いた。



四ノ宮君は卑怯だ。
お日様の様なポカポカとした心地良さで距離を縮めて、気が付けば悪戯っ子の様に巧妙な罠を仕掛ける。

たぶん、いつの間にか私は彼に捕らえられてしまっていた。
そんな顔を見せられて、逃げ切れる自信はない。
抜け出すことは許されない。


だから私は四ノ宮君が苦手なんだ。






(“なっちゃん”と、0センチの距離で呼んだ)

End

20130114

アンケリク頂いた、なっちゃん・天然・タラシでドキドキ でした!
こんな感じでいかがでしょうか!?
こういう時の那月はちょっと手におえない位のぐいぐい感がある様な気がして書いてみたのですが、上手く消化できず…。
もっとヒロインをあわあわさせたかったのですが、これ以上行くとちょっとパスワードでもつけないといけない方向に行きそうだったので(笑)
楽しんでいただけたら嬉しいです。

リクエスト有難うございました。


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