▼summer days













午前7時
天気は晴れ。
降水確率は10%。
最高気温は37度。



もうすでにジリジリと肌を刺すような陽射しに、じんわりと浮き出てきた汗の所為で、さっき着たばかりのシャツに汗が吸い込む。


ほんの少しの距離だからと日傘は置いてきてしまった。


こんなことなら薄手のカットソー一枚とかにすれば良かったかなと、今更後悔しても仕方がない。
マンションに戻るほどの時間もないし、それ以上に隣を歩く人物の事を考えると、一刻も早く目的地に着いた方が良い。



長袖の綿のシャツのカフスボタンを外し、それを折り返して肘まで捲る。
風通しは良くなったけれど、直接太陽の日があたって痛い。

左手でトートバックを担ぎ直し、そのまま下ろすことなく上下に振った。
微かに送られてくる生暖かい風は、お世辞にも涼しいとは言えないが、動く空気が肌にあたるのは悪くない。

でも、これはこれで手首が怠くて余計に不愉快なのかもしれない。
そう感じて三往復で手を止める。
そうしたらまた暑さが襲いくる、の悪循環。



「●●」

『ん?』



不意に名前を呼ばれ、その聲を発した人物を見た。


前を向いて足を動かすだけでも面倒な程の暑さの中で、顔を動かして、その呼び掛けに対して応えると言う行為は、酷く煩わしい。

しかし、だ。
それはこの呼び掛けを無視して機嫌が悪くなった彼に“聞こえているのですか、その耳は飾りですか”と嫌味を言われるよりは、幾らかマシだ。



「ちょっと。こちらに来なさい」



立ち止まった連れ、一ノ瀬トキヤの二歩前で足を止めると、汗が吹き出す感触。
強い陽射しに肌が焼け焦げていく気がした。


先日買ったと言っていた黒いハットにサングラスを掛けて、このくそ暑い中、暑さなんて微塵も感じていないようなそんな涼しげな表情で、手招く。

熱が籠るのにも関わらず、黒いカットソー地のジャケットに白のTシャツ、細身の黒のパンツに革靴と言う本日のファッション。
重ね着なんてよく平気な顔でいられるねと、マンションのロビーで呆れ混じりの言葉を交わした。



『え。やだよ、暑い。』



あぁ、もうほんと。
夏なんて無くなれば良いのに。

穏やかな春と涼しい秋だけで良いのに、そう思いながら、第三釦まで開けたシャツの衿ぐりを掴んでパタパタと中に風を送った。



「アイドルの端くれなら、その締まりのない顔はやめなさい、●●。いつどこで誰に見られているか、わからないんですよ。」

『そんなこと言ったって、暑いんだもん。』

「…貴方はアイドルとしての自覚が足りませんね。日焼けは厳禁だと言ったでしょう。」

『ぅ…、や、だって、』

「あの時、日傘を取りに戻れば良かったんです。」



建ち並ぶビルディングを縫って吹く風は生暖かく、姿を見せない蝉の鳴き声が耳に障る。
見られてなんぼのこの世界だって、暑いものは暑いのだ。

それに幸いなことにこの周辺のこの時間帯は人通りも少ないようで、マンションを出てから誰ともすれ違っていない。
通り過ぎたのは蝉の聲と、生暖かい風くらい。
こうも気温が高いと鳩も雀も鳴かないものなのか。
なんて。
トキヤのお小言を聞くたびに、余計に茹だるような感覚に襲われてウンザリだ。



『遅刻したらまずいし、って言うかトキヤが見つかったらヤバイって思ったんだもん。』

「あそこで引き返してたら間に合ってましたよ。それにファンには“おはやっほー”でどうにかなります。」

『ならないよ。』



ただでさえヒールの所為で怠いサンダルを履いた足が、アスファルトからの照り返しに攻撃される。
酷く喉が乾いたし、歩くたびにゆらゆらと揺らめいて見える陽炎に、眩暈が起きる。

湿気がないだけがせめてもの救い。


アタシ的には一刻も早く室内に逃げ込みたいのだ。


腕時計を確認すれば、現在7時15分。

暑さの所為か、予想以上に時間が掛かってしまった。
到着する予定の時間になってしまったのに、もう少し掛かりそうだ。

念のために早くに出ていて良かった。



『別に良いじゃない、誰も見てないんだしさぁ。』



事務所から切ってはいけないと言われた所為で伸ばしっぱなしの髪を首の後ろで手ぐしで纏め、くるくると捻って毛先を上げる。
うっすらと浮き出た汗に外気があたって少し涼しい。
いや、今日今までに試した方法の中で一番涼しいのかもしれない。
髪を縛るゴムを持ってきたら良かった。



『早く行かな…、』

「見ています。」



“遅刻しちゃうよ”とトキヤに向き直った瞬間、被せるように発した彼の聲。

そしてちょっとだけ強い力でさらけ出していた腕を引かれ、微かに出来ている日陰にアタシの身体を押し込んだ。

冷え性だっけ、と頭の片隅でそんなどうでも良い情報が駆け巡り、トキヤの掌が掴んだ部分だけ、心地良いと感じた。
べとついて気持ち悪い筈なのに。



『…トキヤ?』

「●●」



トキヤのよく耳にする大きな溜め息が盛大に吐かれた後、トキヤが腕時計を確認して。
それから周りをチラッと見渡す。



「いますよ、私が。」



“目のやり所に困るでしょう”って、掴んだ腕を手繰り寄せて。
いつになくちょっとだけ籠ったような、いつもよりも少しだけ小さな聲が、耳のすぐ近くで聞こえて、顔をあげた。



『は!?』



その瞬間見えたのは、顔を背けたトキヤの赤く染まった耳。
その赤さは決して暑さのせいなんかじゃない。

逃げていく目線を追えば、被っていたハットを押し付けるようにアタシの頭に乗せて、視線を遮られて。
織り目の隙間から、夏の白い太陽が透けて射し込んで。

そして指を絡めて、目的地へと足を進める。



『ちょ、…っトキヤ!ハットは!』

「大丈夫です。“おはやっほー”でどうにかなります。」



それは少し上擦った聲。
空いていた手で鍔を上げて、アタシよりも10数センチ背の高いトキヤを見上げた。

さっきまで涼しい顔をしていたのに、今は焦って、戸惑って、照れて。
トキヤから冷静さは微塵も感じられない。



こんなにも表情の変わる人なんだと、ヒヤリと心地良い力強い腕に引かれながら、トキヤの隣を歩く。

いつもと違うトキヤを見せられて、繋いだ指から熱が移ったようだ。
頬が熱い。
太陽の陽射しはトキヤのハットが遮ってくれているのに。


こんなにも熱くなるのは、トキヤのせいだよと言えば、“いえ、●●の所為ですよ”と、少し意地悪そうに笑った。




End

20120720

ちょっと暑すぎて暑いというネタしか思い付かないんですが、いつもはどちらかと言うとシチュエーションをいっぱい書いてたんですが、会話を、と思って書いてみました。
いつもと変わらないよと言われるかもしれませんが^_^;

付き合ってちょっとのうぶトキヤだと思ってもらえたら幸いです。
…と言うかうぶ過ぎたかもしれない。

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