▼想う、堕ちた。










シンと静まり返る空間。

人が居ないわけではない。

ときたま、響く靴音。


ソレ以外の音は滅多にしない。







知り合いが公募展に出すからと貰ったチケット。


絵にあまり興味はないが、
予定の無い休みに電車を乗り継いでやって来た美術館。

実家では電車を使うと言うこと事が滅多に無いため、
途中何度か焦ったりもしたが、車窓から見える景色や過ごしやすくなった気温のせいか、
こう言う事もたまには良いなと思った。












「此方にお名前の記入をお願いします。」

「パンフレットをどうぞ。ごゆっくり。」

「あぁ、有り難うございます。」




澄んだ空気の中、貰ったパンフレットを開きながら、
革のソールの鳴る音と共に壁沿いを歩く。


毎日音に囲まれて生活しているが、
元々こう言う静かな空間は嫌いじゃない。


寧ろ好んで選んでいたほどだ。







入り口からゆっくり時間をかけて、壁に並ぶキャンバスをひとつひとつ眺める。



花、人物、風景、置物。

思い思いに様々な対象物を描いて。






その中でも一際大きいキャンバスに油絵の特有のタッチで描かれた風景画。

大胆な構図。
それでいて隅まで繊細に描き込まれている。


懐かしい景色に足が止まった。

昔行った海外旅行先で見た、オレンジ色の屋根。

中央に白いワンピースの少女。

絵の中に広がるオレンジと白で構成されているソレ。








中央でふわりと浮かぶ笑顔。

何処か憂いを含んだような、
それでいて慈しむような。


眼が、離せない。








気付けば閉館の知らせが鳴り響き、
我に返れば一枚の絵の前で一時間も突っ立ってしまっていたようで、
そそくさと建物を後にした。


帰る途中も何度か白いワンピースの少女が脳裏を過った。









.




「姉妹校の子達見た?」

「見た見た!最近雑誌に載ってた子達!」




校内は噂話がよく飛び交う。

噂話には全く興味は無いが、
先程すれ違った見知らぬ制服の彼女達が今日の話題らしい。





そんな生徒達の会話を聞き流し、
ピアノを弾くためにレッスンルームのある校舎に向かった。




授業のあと、毎日ピアノを弾く。
これが日課になっている。


いつも使うレッスンルームのドアノブに手をかけた、
その瞬間。





ドアの隙間から零れ出した鍵盤の音。



「…カノン?」


これには聞き覚えがある。

昔、嫌と言うほど弾いた、カノン。
面白いアレンジをしている。



『え…、』

「あ、…すまない」



思わず漏れた声に、弾かれたように顔を上げた黒髪。

見たことの無い顔。





いや。





見覚えがある。






「白い、ワンピース…」

『見たんだ、あれ。』



カタンと音をたてて立ち上がる。
見えた制服は先程から噂の中心になっていたソレ。

白いブラウスにワイン色の小さなタイ、ワインとグレーのチェックのスカート。



表情は伺えなかったが、ワントーン声が低くなった気がする。




「…ピアノ、専攻なのか?」



ピアノから離れる彼女に声をかければ、
歩く度に揺れる髪と同じ色の瞳を此方に合わせ、
目の前で立ち止まった。

ピアノを一瞥し、首を振る。



ソレに合わせて揺れる髪が傾いた陽を反射させた。



『や、これは趣味ね。モデルコースよ。
…なんであんなマイナーな展示会、行ったの?』



華奢な身体に、すらりと伸びた手足。

女性にしては背が高い方か。




クラスの女子達よりも近い眼が
一瞬だけ、揺れた気がした。




「あぁ、知り合いが出していて。
…何か不満が有りそうだな」

『解る?才能がないって一番辛いことよね。
やりたかったピアノさえ続けることが出来なくなっちゃった。』



はぁ、と大きく吐かれるため息。

ソレと共に聞こえてくる苦笑い。

もうずっと以前に諦めた、そう思わせるかのように自嘲を含んでいる。



「残念だな、しっかりと音を弾いていたのに。」



パッペルバルのカノン。
先程彼女が弾いていた曲。

技術的には足りない面もあると思うが、
指先にまで力を込めてしっかり弾いていたと思う。



『ありがとう。…貴方は?』

「…趣味だ。」

『ふ、一緒ね。』





孕んでいた棘が消えた気がした。

華が咲く様な、漏れる様な。
そんな表現が合う。

大きな瞳を細くさせ、ふ、と小さく笑う彼女が。


とても綺麗だと思った。




「もう良いのか?」

『使うでしょ?かわるわ。それにもう行かなきゃ。』



どうぞ、と言わんばかりにピアノへ伸ばした手と、此方を交互に目をやりながら、
5時過ぎを指した壁の時計が目に入ったらしい。

少し焦り気味の声が動いた。



『愚痴、溢してゴメンなさいね。
▲▲ ●●って言うの、貴方は?』



思わず俺の後ろにあるドアから出ていく彼女の手が、
細く白い指先がそっと肩に触れた。






「…聖川 真斗」




ふわり。

また華が咲いた。



『じゃあ真斗、“また”ね。』




華を咲かせながら立ち去る後ろ姿。



どうやらあの美術館から目が離せなくなっていたのか。

焼き付いた笑顔が頭から離れなかった。





“また”と言われた約束を思い、鍵盤を叩いた。




君に送る狂想曲。


想った時には既に、堕ちていた。



(キャンバスの中の彼女よりも、
動く君の一挙手一投足に目が離せない。)



end

20110926



なんか聖川がストーカー?

←一覧へ