▼視界の先の先 彼女の視線に気付いたのは、夏服に衣替えをして間もない晴れた日でした。 視界の先の先 「●●!」 昼御飯を食べた後、授業までの少しの時間。 中庭の横を通る廊下を歩く彼女の姿を見付けたのは、いつも通り翔とサッカーをしていた時。 その近くのベンチではトキヤが文庫本を読み、砂月が不機嫌そうに楽譜にペンを走らせている。 “あ、” ちょこまかと目の前を駆ける翔とボールを追い掛ける視界の端に写り込んだ、チェックのスカートと長い髪。 弾かれたように顔を上げれば、同じクラスの●●を見付けた。 おい、音也、どこ見てんだ、と。 前方で叫ぶ翔に“ちょっと抜ける”と言って、彼女の名前を呼びながら駆け寄る。 そんな俺に気付き、大きな目を細めて柔らかく笑って足を止めてくれた。 『寒くないの?音也』 走り回っていた所為で暑くなって、ジャケットはとっくに脱いでしまった。 トキヤの隣のベンチの上に乱雑に捨て置いて、シャツの袖も捲り上げ、胸元も第2釦まで外して。 うん、と答えた俺に“風邪引かない様にね”と、薄っすらと額に付いた汗を見付けて、彼女らしいドットのハンカチを差し出した。 「えっと、●●、」 ●●からハンカチを受け取りながら、何か彼女を此処に留まらせる話題は無いかと探している時に。 俺の聲を遮って、校舎中に午後の授業を知らせる予鈴が煩く鳴る。 左腕を軽く上げて時計を確認した●●。 目に飛び込んできた時間に、登りっぱなしだった俺の機嫌が急降下していく。 『もうこんな時間かぁ』 もっと。 もっと、もっと。 そんな俺の願いは淡く散ってしまった。 授業中の一分一秒はこれでもかって言うくらい腰が重いのに、こういう時だけ“時間”ってやつはフットワークが軽い。 ●●とは同じクラスではあるけれど、こうやって話をする時間はそんなに多くない。 と言うよりは練習に宿題に予習、寮で生活する最低限の家事をこなせば、授業以外の時間は僅かだ。 だからこそこの時間を楽しみたかったんだけど。 『休み時間が終わるのってホント早いよね』 「次、レコーディングルーム行く?」 『うーん、ちょっと直したい部分もあるから、レッスン室に籠った方が良いかな』 あの部分がね、と卒業オーディション用に作った歌の1フレーズを口ずさんだ。 これは“●●が作った俺が歌う歌”だ。 恋とか愛とか。 そういう難しいものは分からない。 ただ●●の作る歌が好きで、彼女を取り巻く柔らかな空気が好き。 俺と彼女はパートナーと言う関係を除けても、クラスの中では仲の良い方だと思う。 例えば休み時間。 ●●が窓際に立てばその隣に立ち、●●の前の席のやつが席を外せば、そこに行っては後ろ向けに座る。 話す内容は課題や好きな音楽、くだらない日常のとりとめ無い事。 だけど、その貴重な数分間が穏やかな気持ちにさせてくれる、大切なものになっていた。 同じクラスになってからパートナーとして落ち着いている今まで、●●の一番近い男友達として、その関係を甘んじて受け入れていた。 「音也。私達はそろそろ戻ります。貴方も遅れないように」 「あ、うん、わかった!」 予鈴を聞いたトキヤが読んでいた本を閉じ、俺と●●の横を通って翔と一緒に教室へ向かう。 いつも通り淡々とした口調と、凛とした姿勢で。 その瞬間、ペコリと彼女が会釈して、それに応えるようにトキヤが頭を下げた。 きゅっと教科書とノートを持つ手に力が籠るのが見えた。 「音也君、●●ちゃん、僕達も教室に戻りましょうか」 砂月はいつの間にか眼鏡を掛けて那月に戻り、書きなぐっていた楽譜を纏めて、俺に“ハイ”とジャケットを差し出した。 *** 「告白、しないの?」 ピアノの前に腰を下ろして白黒の鍵盤を指で叩いては、前に立て掛けた楽譜に音譜を書き込む●●。 二人がだけのレッスン室に俺の聲が響いて、少し驚いた後、“しないよ”って寂しそうに笑った。 彼女の視線に気付いたのは、夏服に衣替えをして間もない頃。 偶然一緒になったトキヤと、寮に帰る最中。 渡り廊下からこっちを見てる●●が見えた。 既に●●は俺のパートナーになってたし、勿論そんな彼女を特別視してたから、スゴく嬉しかった。 “また明日ね”と大きく手を振ろうと片手を上げようとした時。 ほんの少しの違和感。 合わない視線。 彼女の視線を追えば。 その先は、トキヤ。 なんだ。 そっか。 それから。 ●●の視線の先を追えば、その先はいつもトキヤだと言うことに気付いた。 なんだ、そう言うことかと胸の中がぽっかりと穴が開いたように寂しく感じたんだ。 『告白とか、一ノ瀬君はそういうんじゃないよ』 ピアノを見つめたまま●●が言った。 “そういうんじゃない”って何。 あんなにまっすぐ見てたのに。 あんなに追い掛けて見ていたのに。 ●●は入学当時のトキヤがHAYATOに瓜二つだと騒がれていた時も、HAYATOの双子の弟だと公開した時も、そしてトキヤがHAYATO本人だとわかった時も。 騒ぎ立てることなく静かだった。 クラスメイトがビックリだよねと彼女に振れば、“そうだね”とだけ。 静かに視線を送っていた。 そんな姿を見て誰かにトキヤの事が興味ないんだね、と言われていたけど。 興味がどうこうと言う問題じゃなくて。 ●●はホントに“一ノ瀬トキヤ”と言う存在に想いを寄せていたんだ。 『音也は一ノ瀬君の歌、どう思う?』 「…どう、って、」 机の上に両腕を乗せて、その上に自分の顔を置いて。 沈み掛けの太陽が見える窓の方へ、少し首を傾げる。 ぽつりぽつりと零すように話す聲に乗せて、ピアノを弾く●●の横顔に、橙色の夕陽が射し込んで影を落とした。 『初めて一ノ瀬君の歌を聞いたのは、早乙女学園に入る前。彼が病院で歌っていたAmazingGraceだったの』 入院してる子達と歌ってて。 ざわざわと鳥肌がたったんだよ。 なんて綺麗に歌うんだろうって。 『凄いと思った』 じゃあなんで。 なんで俺のパートナーなの。 なんで俺なんかに歌をくれるの。 ●●に聞こえないようにスンと鼻を啜る。 頬を乗せていた両腕の間に顔を埋めなければ、グッと唇を噛み締めなければ。 目の裏を熱くする涙が零れ落ちてしまいそうで。 トキヤと俺は全くの正反対だ。 入学した当時の彼の歌は“正確で間違いない歌”。 そんな印象だった。 早乙女学園で過ごすうちに沢山の音に触れ、曲に触れ、想いに触れた。 正確だった歌に“奥行き”が加わって、トキヤの表現力を無限大に豊かに広げた。 彼が歌に込めるモノは聞いているだけで、嫌と言うほど分かる。 トキヤが歌えば空気の振動に乗せて、肌がソレを感じる。 俺にはそんな歌、歌えない。 「告白しないなら、しないんだったら…、」 俺のものになってよ。 こっち、向いてよ、ねぇ。 ●●が好きだよ。 寂しいと思う気持ちなんて、消えてしまえば良いのに。 カタンと音を立てて椅子から立ち上がり、窓側に設置されているピアノへ足を向ける。 楽譜に向かいながら、鍵盤の上をを跳ねる指の上。 自分のソレを重ねた。 『…音也?』 「●●」 キリキリと締め付けられる胸が痛い。 押し潰されそうになる。 どろどろとした真っ黒な気持ちが溢れて、それと一緒に彼女への想いも溢れて。 ぐるぐるぐるぐる渦巻いて、沈んでいく。 『…お、と、』 「このまま」 指を絡めて、そのまま●●を後ろから抱き締めた。 ビックリした所為で跳ねて、そのまま強張った肩。 そこに顔を埋めて、●●の心音を聞いた。 「もう少しだけで良いから、お願いこのままで」 『…う、ん』 「ありがと」 ●●。 ●●が好きだよ。 トキヤに無くて俺にあるモノも少しだけどあると思うんだ。 でもソレをいくら●●に伝えたとしても、●●の中のトキヤには勝てない。 どんなに●●との距離を縮めたって勝てやしない。 だから。 もう少しだけで良いから、このままで。 そうすれば、きっと。 ●●の曲も全身で全力で歌えるから。 今だけは、このまま泣かせて。 自分の奥底に、●●への想いを沈ませた。 end 20120305 当初の終わり方と全然違う方向へ行ってしまいました。 もっと音也を突っ走らせて(わんこっていうより狼的な方向で)、トキヤを出したかったのに、音也を悪者に出来なかった…。 何処までぶっ飛ばして良いんだろうと悩んだ結果の、(勝手に)振られた音也が完成しました。 何故だか分かりませんが音也が書きやすい気がします。 自分とは正反対のタイプなのに。 ←一覧へ |