▼月の記憶 アタシの一番欲しかったモノはもう絶対に手に入ることはない。 未来永劫。 だってあれがきっと最後の恋。 月の記憶 こんなにも好きだと焦がれたその人は、一年以上前に呆気なく姿を消した。 本当に呆気なく。 とても綺麗な星空が見えた夜だった。 コンコンと部屋のドアを叩く音が聞こえ、ドアを開ければ見慣れたミルクティブラウンの髪。 ちょうど同室の子は外出していたから彼を招き入れ、二人向かい合ったソファに座り、珈琲を飲みながらホンの少しだけ他愛の無い話をした。 四ノ宮砂月がこうやって部屋に来ることはたまにある。 と言っても四ノ宮那月の影だと言う彼が表に出てくること自体頻繁なことではないのだから、一月に一度有れば良い方だ。 僅かに許された時間を静かに共有していた。 『はい、いつものブラック』 「…あぁ、悪いな」 『今日は一段と静かだね』 “ご機嫌斜め?”なんて。 全く甘くない彼その物のようなソレに笑いながら口を付けた。 美味いと思ったことは一度もないけれど、砂月が好きだと溢した銘柄を飲むようにしている。 少しでも砂月と言う人物を理解する為に。 砂月との時間が少しでも長く続くように、少しでも砂月を近く感じる為に。 『今日は雪がちらついていたよ』 「そうか」 『その所為か星がすごく綺麗』 視力の悪い彼の見える世界は限られているから、些細な取り留めの無い日常を砂月に伝える。 その日の天気だったり、クラスメイトの事だったり。 本当に他愛の無いこと。 ソレを砂月に伝えたところで何も生まないし変わらないけれど、彼も話の内容に不満は感じていないようだった。 専ら話をするのはアタシだけれど、時折相槌を返してくれた。 そんな静かな時間を過ごしたんだ。 アタシにはとても大切な時間だった。 だってずっと好きだった。 ヴァイオリンを、ヴィオラを弾く彼が。 満天の宇宙を唄う彼の聲が。 力強く愛おしげにメロディをなぞる彼の歌が。 想いを伝えたことはない。 伝えようと思ったこともない。 だって彼は四ノ宮那月の影だと言って、四ノ宮砂月という人格を否定している。 いつか消える事が那月の幸せなんだと。 逃れられない不安と砂月への想いが込み上げてくる。 目頭が熱くなるのを感じ、ソレを隠すようにブラックと共に嚥下した。 「●●」 空になった白のマグカップがテーブルをコツンと鳴らす。 “美味かった”と言って砂月が立ち上がり、ゆっくりとドアの方へ足を進めた。 何度か来ている所為か、ゆっくりではあるが悪い視界でも躓く事なくドアノブに手を掛ける。 「…」 『砂月君?』 そのまま何か考えているのか、砂月が動きを止めた。 『どうしたの?』と聞けば、「いや、」とだけ。 だけど。 砂月と過ごした数ヵ月。 一度も感じたことの無かった彼の体温に触れた。 絶対に一定の距離を保っていた彼が、ポンポンとアタシの頭を撫でたのだ。 「お前の髪は…お雛様みたいで綺麗だな」 初めての温度。 ホットを飲んでた所為か仄かに温かく大きな掌。 繊細に弦を弾いていた長い指。 そこに名残惜しそうに絡まる自分の髪。 ハッと飲んだ息が正常に呼吸したのは、砂月が部屋を出た後だった。 あの時、変化に気付いていれば。 何か変わっていたのかと、何度も思い返してみても。 きっと、彼は今と同じ未来を選んでいると思う。 彼の大切な人の為に。 それから一年以上が経った。 彼が消えて一年以上。 学校を卒業するまで、彼の半身と話す事はなかった。 同じ色の眼で、同じ聲に。 たった一度だけど触れた手と同じ温度に。 ソレでも違う彼に。 耐えられる筈がなかった。 『…砂月君』 駅から自宅への帰り道。 見上げれば、酷く綺麗な宙。 漆黒の天幕に抱き締められるように在る大きな月。 雲が薄く掛かってはいるものの、金色の柔らかな光で足元を照らしてくれる。 まるで彼のようだ。 『…っ、』 この一年以上。 宙を見ては彼を思い出し、焦がれ、そして時折堪えなくなった涙を零した。 冷たい風が強く肌を刺す。 コートで身体を覆い、そのまま自身の腕で身体を抱き締めた。 落ち着け。 泣いていても仕方がないんだ。 彼はもう居ない。 そう言い聞かせ、囚われ続けた想いを払うように頭を振った。 「●●…ちゃん」 甘く低いアタシの好きな聲が、アタシの名前を呼んだ。 一年以上聞いていなかったソレ。 『さ…、』 ざわざわと木々がしなる。 月暈が虹のように輪を作り、宙を白と藍とほんの少しの橙のグラデーションで彩る中。 ふわふわのミルクティブラウンがソレを背負うように現れた。 『那月、君…?』 違う。 砂月じゃない。 彼の孕む空気はもっと、深く鋭い。 「お久し振りです」 『ホント、だね』 もう二度と逢わないと思ってた。 もう二度と逢う必要がないと思ってた。 聲は上擦っていない。 いつも通りの笑顔を向けられてる。 どこか不自然なところはない。 『…髪、切ったんだ?』 思いがけない元級友との再会に息を飲んだ。 多分赤くなっている目は夜が隠してくれている筈。 思わず游いだ目もきっと。 「うん、少しだけ。●●ちゃんは変わらず綺麗な髪ですね。お雛様みたいです」 『ただ真っ黒なだけ…、』 一瞬の違和感。 『今、何て…』 弾かれたように仄かに月明かりに照らされた那月の顔を見れば、微かに浮かんだ笑み。 “お前の髪はお雛様みたいで綺麗だな” 電流が身体中を駆け巡る。 砂月の聲が頭の中で谺する。。 『那月、君…?』 長身の彼によく似合うロングコートを翻し、一歩、また一歩と此方に足を進めながら近付いて来る。 「さっちゃんから聞きました」 お日様の光のように暖かな、柔らかくて優しい彼の空気がどこか、違う。 アタシの前にいる人物は間違いなく、四ノ宮那月の筈。 でも、早乙女学園で共に学んでいた頃に感じていた彼の雰囲気とは異なっている。 「さっちゃんが募った気持ちと一緒に過ごした時間を聞きました」 『え?』 「僕達は二人で一人。記憶も想いも全て共有したんです」 胸に手を当ててにっこりと笑う。 在学中と違って何かが満たされた空気が那月を取り巻いている。 那月も、砂月も。 性格も孕む空気も全く違う二人を、儚く感じた事があった。 何処か欠けている危うさがあった。 それが今は微塵も感じられない。 とても落ち着いていて揺るぎ無い。 『砂月君も居るの…?』 「うん。此処に居る。ずっと一緒だよ」 『…消えた、んじゃ無いんだね』 さっちゃんは僕なんだ、と穏やかな表情を浮かべる。 「僕達から伝えたい事があるんです」 あの時と同じ温度。 冷えた指先が頬に触れる。 視界一杯に広がるミルクティブラウン。 「あの時言えなかった事、聞いて」 甘くて優しい、それでいて揺るぎ無い聲が頭の中に響く。 “●●が好きだよ” end 20120224 一ヶ月以上前に書き始めた物だったので途中から勢いが変わってしまったのですが、四ノ宮との切ないハッピーエンドを書きたくて。 砂月統合後の口調を少しだけ気にしたので敬語混じりという…。 分かりづらくなってしまいましたが^^; 砂月→←ヒロインからの四ノ宮 ![]() そのうち書き直したい…。 ←一覧へ |