▼world's end










World's end




「やっぱり此処にいた」


部屋の隅に佇むトルソーには、フランスの一流ブランドにオーダーメイドしたと言う純白のドレス。
フワフワのボリュームたっぷりなスカート部分にはキラキラと光るパーツが縫い付けられている。
ドレスと同じヴィンテージの繊細なレースがふんだんにあしらわれたベールには、小さなたくさんの花のモチーフと、これまたドレスと同じパーツが配されていて、窓から射し込む夕陽がきらびやかに反射していた。

その隣にある小さなテーブルの上に置かれたアクセサリー達は、小ぶりながらも質の良いダイヤが施され、豪華な花嫁衣装だと言うことが一目で解る。

その前に立ち、時折ドレスにししゅうしてあるのパーツを撫でたり、ベールのチュールを指に絡めたり。
そして何度か小さくため息を付いたり。

少しの間、ドアの縁に凭れ掛かって、そんな彼女を見ていた。
左腕の時計に目をやるとこうして十分以上経っている。


「●●、」


暖房器具がその機能を一切働かせていないこの部屋は、ドアが開け放たれている所為もあって酷く寒い。
段々と傾きだした陽に比例して室温は下がっていく。
室内なのに吐く息が微かに白い程だ。

ワンピースにお気に入りだと言っていたカシミヤのカーディガンを肩に掛けているだけの彼女。
暫く好きにさせてはいたものの、このまま放っておけば風邪でも引いてしまうんじゃないかと、白く塗装された木製のドアをコンと1回だけノックした。


『レン、』


オレが居ることに驚く事もなく、ゆっくりと振り返る彼女。
まるで分かっていたのかと思うほど、だ。

この部屋に辿り着いてから十数分、確かに●●を見てた。
オレンジ色の太陽が頬を照らす中、自分の花嫁衣装を眺めては触れる彼女を。
どんな心境なんだろうかと。

ばれてしまっていたのか。


「どうしたの、今更マリッジブルーかい?」

『ふ、そうかも』


少しだけ眉を下げて笑う。
●●の癖だ。


「こんな寒い所にそんな格好で居たら風邪引くよ」

『ありがと』

「どーいたしまして」


入り口横に掛けられていたコートを手に取って、コツンとフローリングの床を鳴らしながら、窓際に足を進めた。
細いその肩に掛けてやる。
もう何人もの女性にした、慣れた行為だ。
それでも●●にだけは手が震えそうになる。
気付かれないように振る舞いながら、ベールのチュールに手を伸ばした。


「…明日だね」

『うん』


彼女は明日、結婚する。

明日の式用に窓から見える広い庭の植木には飾りつけが施され、純白のクロスが掛けられたいくつものテーブルが設置されていた。
●●の意向でこの庭で行う事になっている。


「聖川も参列するってさ」

『ホントに?!』

「楽しみにしてるって言ってた」

『真斗とは二年程逢ってないわ!』


隣に立つ●●が嬉しそうに、少し背の高いオレを見上げた。

聖川と言えば、嫌と言う程、言う機会はあった筈なのに。
前々日になって明日の結婚式の話を溢した。
まぁ、オレと同じく●●と幼馴染みの関係である彼が参列しない筈がないのだが。
色々と諸事情を知っているが上で、漸く口にしたんだろう。
彼は彼なりに気を遣ってくれている。
口が裂けても言葉にはしたくはないが。


『少しは仲良くなった?』

「冗談。仕方なくユニットを組んでいるだけさ。信じられるかい?オレと聖川が、だぜ」


有り得ないよ、と苦笑いしながら言うと、コラコラと呆れた聲が返ってきた。
この数年で聖川との関係性も変化してきたけれど、仲が悪かろうが良かろうが、こういう言い方で表現するのが常だ。
オレ達はそうやって来た。


『ふ、楽しんでるみたいね』


また、だ。
彼女の癖。
眉を下げて笑う。

この仕種を見せるときは決まって、寂しいと感じている時だ。


ボリュームたっぷりのチュールとレースで形成されているベールをひょいと頭の上に乗せて、このベール可愛いでしょう、と嬉しそうに言う。
明日は人生で一番幸せになる日だと、その事を噛み締めるように。



フワフワのソレに腕を絡めながら、くるくると二回ターンしてみせるその仕種に、堪らなく泣きそうになった。


「…楽しくなんてないよ、」


隣に並ぶ●●の艶やかな髪に指を絡ませる。
そのまま頬のすぐ横のベールを手繰り寄せて、その中に閉じ込めるように引き寄せた。

細い肩がいつか振りにこの腕の中にあって、いつか振りに彼女の肩に顔を埋める。
スンと鼻が鳴った。
ガンガンと響く頭痛と共に訪れる眩暈。
あぁ、泣いてしまいそうだ。


「…●●っ、」


大きなガーネットのような目がこれでもかって位見開く。


『っ、や、』


身体を離そうと肩を押す手を掴んで腕の中に納めれば、堰を切ったように透明な雫が零れ落ちた。


『…や、だ、』


彼女は明日、結婚する。
神宮寺家に嫁いでくる。
相手はオレじゃない。

兄とだ。

何度も何度も●●の幸せだけを願った。
その度に何度も何度も、この腕で抱き締めたかった。


「楽しくなんかあるものか。だって君がいない」


よく言う。
自分から手放した癖に。
やり直しのきかない過去に、あの時の自分を恨んだ。


『…止めてよ、乱さ、ないで…』

「…っ、」


腕の中から逃げようとする●●の後頭部と腰に手を回して、きつく抱き寄せる。

固く握りしめられた拳が、トンと胸を打つ。


『やっと、決めたのにっ…』

「うん、…そうだね」


目頭が熱い。
肩に顔を埋め、涙を含んだ聲で呟く●●のその雫が、冷えた身体に染み込んでくる。
少し力を入れれば折れてしまいそうな程、華奢な身体を力一杯抱き締めた。




デビューが決まったその夜に、彼女と彼女の両親と話をした。

何事にも真剣に向き合うことなく流されてきたオレが漸く全身で打ち込めるモノが出来た。
ソレが歌だ。
デビューが決まったとは言え何年かは他の事を考える余裕など無いだろう。

待つ必要はない。
幸せになってくれと、縁談の破棄を請うた。

但し、それはオレとの縁談の破棄であって、神宮寺家とではない。

この婚約と結婚は政略的なものだ。
神宮寺家と▲▲家の仲が確固たるモノとして確立できるのであれば、それはオレでなくても良い。
その後釜に次男を据えた。
寧ろ何も持っていない三男のオレなんかよりも、ずっとマシだ。
●●の為にもその方がずっと良い。



向かい合ったソファーに座り、固く唇を噛み締める●●の両側にいた、彼女の両親が、仕方ないね、と申し訳なさそうに言った。


じっとオレを見つめるガーネットのような瞳から一筋。
頬を濡らす雫を拭えない距離に苛立ちと無力さを感じた。


―――ごめんね、●●。


望めばこの世の中の大半を手に入れることが出来る神宮寺の人間で、何も手に入れることの出来ない三男のオレが漸く欲しいと思ったもの。
歌と●●。
そのどちらかしか選べない。


『レンが、アタシを捨てたんじゃないっ…』

「違っ、」


数ヵ月後に次男と付き合いだしたと知らせが耳に届いた。
そしてゆっくりとお互いを知りながら、着実に結婚へと足を進めていったのだ。
彼女への想いを募らせながらも、これが最善だと思って疑わなかった。


「捨てた訳じゃない、決して…、」


本気で●●を愛していた。


血の気が引く感覚が身体中を駆け巡り、止めどなく後悔の涙が溢れたのは●●と兄の結婚が決まった時。
アイドル業の合間に付き合った何人かの女性と別れた時だ。
彼女以外、有り得ないと痛いほど感じた時には、もうすでに遅かった。

もう二度と手に入らないモノになってしまったのだ。


抱き締めたまま、どちらともなく崩れ落ちて、冷たいフローリングの床の上に跪いた。
●●の付けたベールが柔らかなドレープを描いて、床に広がる。

腕の中で譫言のようにレン、レンと溢す●●。

自分と●●の心音がトクンと共鳴するように鳴る。

ほんの数分の事なのに、永遠にも感じた。
視線の端で零れ落ちた涙が皮肉にも混ざり合って。
この身体も、抱き合った触れた部分から溶け合ってしまえば良いのに。

そんな事を思った。




ゴーン

階下でホールクロックの鐘の音が静かに響く。


「…ぁ、ごめ…」

『謝らないで』



●●の腰の後ろで両手を組んだまま、少しずらして身体を少し離す。
泣いた所為で赤みがかった●●の目がゆっくりと伏せた。


『分かってる。レンがアタシの事を想っての事だって…』

「…そんな格好の良いものじゃ無いよ」

『ふ、』


陽にあまり焼けていない白い頬を撫でた。
くすぐったそうにしながらも擦り寄るその仕種が愛おしい。


「オレの我儘の所為で、とても大切なモノを無くしてしまった」

『…うん』

「もう、明日だ。もっと早く…」

『そうだね』


オレの腕の中から出て立ち上がり、部屋の端に置かれたトルソーに足を進めた。


頭に乗せたベールを外し、置いてあった場所に戻す。


『でも、これで良かったんだよ』

「●●、」

『レンはアイドルなんだから』


あの時手を離さなければ、明日彼女の隣に立つのはオレだったのかもしれない。
アイドルなんかになることを諦めれば●●と幸せな家族になれたのかもしれない。

今となっては叶わない話だ。


『レン』

「…なんだい?」

『レンが大好き、でした』

「っ、●●…オレも、」


オレも。
オレも君が大好きでした。

こんなオレを慕ってくれた。

そんな●●を本当に愛してた。

多分きっと、こんなにも好きになる人は二度と居ない。
まだ当分暫くは君を想って泣くだろう。

そんな情けないオレを許して、笑って、誰よりも幸せになってくれ。
相手はオレじゃないけれど、君が幸せになるのならば、それで良い。


『これで終わり、じゃあね』


ドアの前で一度だけ振り向いて、また少し眉を下げて笑う。

小さくパタンという音をたてて白の扉が閉まった。


「うん、…姉さん」


コンコンと階段を降りる音が遠くで響く。
さっきまで感じていた温もりが遠退いて行く音。


ハァと息を吐けば、白いソレが空気に溶けた。


ポケットから取り出した携帯を操作して、滅多に掛けない番号を押す。
番号を交換してから数年にもなるが、掛けた回数は片手で足りる程だ。

数回のコールの後、不機嫌さを含んだ聲が“もしもし”とスピーカー越しに聞こえた。


「“…なんだ。貴様から連絡を寄越すとは珍しいな”」

「お願いがあるんだ、聖川」

「“…言ってみろ”」

「明日さ、」



オレが君を手放してまで手に入れたモノを、君に。

全身全霊で歌うよ。

●●の幸せを願ってさ。



end

20120212


先に書いていたのを放置して、一気に書いてしまったレン夢。

次男の顔も名前も知りません。
長男の名前は何処かで見た気がするのですが…完全に捏造だと思ってください。
次男の許嫁は!?という突っ込みも無しの方向で^^;

切甘ってなんだ、という模索からスタートしたのですが、こんな感じなんでしょうか。
前向きなアンハッピーを目指しました。
アンケリク本当に有り難うございました。

アンケリク
神宮寺レン、許嫁、切甘

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