▼ある朝の事








ソレは時間にして、ほんの数分の事。

カーテンの隙間から射し込む朝陽が閉じていた瞼に触れた。
浅い眠りだったのか、その程度で夢から引き戻されたアタシの思考は、薄靄が掛かった様にはっきりはしない。
何度か瞼をパチパチと開閉を繰り返して、覚醒させた。



『さむ…』



冬の明け方は氷点下になる。
冷気に晒されていた肩を覆う為に、モゾモゾと布団を被り直す。
氷が溶ける様に、じんわりと温もりが染み込んできた。



「…う、ん、」



衣擦れの音が静かな部屋に響いたせいで、寝返りをうった音也の聲が漏れる。
起こしてしまったかなと少し焦った。

布団の中でごそごそと動く音也が再度夢の世界に落ちていくまで、指の先、髪の毛先まで固まって、動けない。

壁に掛けてある時計の針は6と5を指している。
夜が明けて数分しか経っていない。
まだ起こすには可哀想だ。

斯く言うアタシも起きなければイケナイ時間ではない。
もう一度瞼を閉じようかと思った。



「…、…●●」



コチコチと秒針が静かに時を刻み、すーすーと一定のリズムで繰り返される呼吸の音だけのこの空間で、隣で意識の全てを夢と言う異空間に預けている筈の音也。

少し芯のある赤毛を真っ白なシーツの上に広げ、力の抜けきった日に焼けた肌を投げ出している。
部屋着用のTシャツがくしゃくしゃに皺を寄せる程、自由に寝返りをうちながら、固く閉ざした瞳と唇が笑みを刻んだ。

ドキッとした。

彼の笑顔もあたしを呼ぶ聲も、もう何度も体験して、さして驚く事もない、筈。



「ん、」



射し込む陽に反射して、明るい髪がキラキラと光る。

柘榴石の様なソレがアタシは1番好きだ。
自分の髪は墨のように真っ黒だから、音也のその宝石の様な髪が羨ましかった。

また何度か寝返りを繰り返して、此方に身体を向ける。
その拍子に投げ出された腕が此方に伸び、触れたあたしの手を引き寄せて、無意識に頬を擦り寄せた。



「…へへ、●●」



嬉しそうに吐くその聲に、熱が上がるのが分かる。

無意識とは本当に恐ろしいものだ。
音也はまだ夢の中の筈。
と言うことは、夢の中で少なからずアタシに出逢い、有り難い事にソレが悪い夢ではない様だ。

絡まるゴツゴツとした音也の指。
ギタリストのソレに、離さない、とでも言うかの様にしっかりと力が込められている。
痛くはない。
けれど振り解けやしない程の力。



『…っ、』



擦り寄せていた頬からアタシの手が少しだけ離れ、解放されるのかと思ったその瞬間。
何度も重ねたことのある音也のふっくらとした唇が、愛おしむ様に触れた。
ちゅ、と小さなリップ音と共に落とされた、その感触が全身を駆け巡って脳に辿り着く。



『…お、と…や』



起こさないようにと、音を立てないように気にしていた筈なのに。

アタシの口は勝手に彼の名前を呟いている。

そして聲に出してしまったら、込み上げてくる想いを塞き止めていた気持ちが溢れるのは容易くて。
されるがままにしていた手を、自ら彼の指にに絡めてしまっていた。


音也が好きだ。


この想いは年々強くなり、あたしの中の彼を占める割合が多くなり、もっと、もっとと貪欲になっていく。
足りない。
いや、満たされることはない。
飽きることを知らず、音也を求めるのだ。



『音也、…音也』



起きて。
そしてその大きな腕であたしを抱き締めて。
隙間なんて無くなるほど強く。


この満たされることの無い胸の内を、一度だけ彼に伝えたことがある。
“バカだなぁ”と太陽のように眩しい笑顔で笑い飛ばしてくれた。
額と額をそっと合わせ、両手で髪を梳く。
ほんの少し見上げるように覗き込んで、小さな聲で“好きだよ”と囁いた。



『音也』



音也が好きだ。
この気持ちを感じれば感じる程、泣きたくなる。



「…ん、●●…?」

『音也、』



大きな欠伸をしながらも、両手を広げてくれる音也のその腕の中に身体を滑り込ませれば、彼の暖かな体温と柔らかな香りに包まれる。



「起きちゃったの?」



こくこくと頷けば、ゆっくりと髪を梳き、背中をとんとんと跳ねる手が、安心と言うものを与えてくれる。

急に起こされた筈なのに、優しい静かなトーンの音也の聲。



『音也、好き』

「うん、オレも。オレも大好き」



コツンと額を合わせて、瞳を合わせて。
そして大好きを込めて、キスをする。
明け方の1番綺麗な陽射しの中で。



「『おはよ』」



時計はもうすぐ6と7。
まだ今日は始まったばかり。
大好きな貴方との一日を始めよう。

たくさんの好きをあたしの出来うる限り音也に届ける一日になる。

今日も、明日も。


毎日を貴方に。




end

20120122

やっと書いた音也夢は意外と安産でした。

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