▼Bitter










熱の篭った猛禽類の様な眼がアタシを射抜く。




無意識に後ずさる足の行く手を阻むように背中にトンと触れた壁。
少し下がった外気のせいで服越しに伝わる冷たさ。


ソレに反比例する様に身体は熱い。

断じて風邪などの熱が有るわけではないが、
一歩一歩近付く彼に、
五月蝿くドキドキと鳴る心臓がくらくらと眩暈を引き起こす。

軽くハ、と息を吐き出せばまた一段と上がる熱の原因も目の前の彼。



コツン
靴音が静かな教室に響く。



思わず跳ねた肩。
無意識に落ちた視線の先は、きつく握り締めた自分の拳。




『砂月』




どうにか吐き出したソレに目の前の男は珍しく笑う。

那月と違い常に眉間にシワを寄せ、不機嫌さを纏っている彼が、笑ったのだ。




「そんなに逃げるな」




クスクスと薄い唇から漏れる聲。


また一歩、
ゆっくりと此方に足を進める。


金色の癖っ毛を軽く掻きながら、
きっちりと結われていたネクタイを緩め、
シャツの釦を三個、無造作に外す。


軽やかに動く骨ばった大きな手をただ見つめた。



この大きな手は
この金緑の目は
この耳触りの良い聲は
アタシをクラクラさせる。




『…那月は?』




いつの間にか距離にして30センチにまで近付いていて。

砂月の指がそっとアタシの髪に絡まり、
優しく梳きながらソレに唇を落とす。

軽く閉じた瞳の所為で、長い睫毛がやけに目についた。



「寝ている」



彼のオリジナル(と言う言い方が適切なのかは解らない)の四ノ宮那月はどちらかと言えば日溜まりの様だ。
柔らかな空気を纏い、優しい笑顔を向けてくれる。

入学して間もない頃、那月が課題曲を歌っているのを聞いた。
いつもの彼からは想像もつかない位、力強い聲。

こんな聲が出せるのかと、鳥肌が立った。


それから数日後に砂月と出逢った。
那月の強い部分は彼なのだと思った。


砂月の作る曲の儚さに、歌詞の美しさに、そしてソレを歌う彼の聲に。
何処までも惹かれていた。



「那月が良いなら、お前の手で掛けてくれ」



身体の横で握り締めていた手を掴み上げて、
指をそっと広げれば、その掌の上に眼鏡が置かれる。
度のキツい分厚い硝子を縁取る銀色のフレーム。

那月が常時着けているものだ。


これを彼に掛ければ、那月に変わる。




『卑怯、だ』

「そうか?」




そんな事を言う砂月は卑怯だ。


機嫌がとても良いらしい。
クスクスと耳元で聞きなれない笑い聲がする。
那月のソレよりも少し低い。

アタシの反応を見て楽しんでいるようにも見える。




『砂月』

「ん?」




髪を撫でる手はそのまま、もう片方の手で眼鏡を持つ手に自分のソレを重ねてくる。
背の高い彼の目を睨み上げれば、
綺麗な金緑の瞳。




『…好き』




猛禽類の様な強い眼差しでアタシを射抜く。
もうずっと前から、この眼から逃れる事が出来なくなっている。



「知っている」



それもお見通しだと言わんばかりに、薄い唇が弧を描く。

触れ合うまであと10センチ。
少し屈んだ砂月の首に腕を回せば、砂月の香りに包みこまれる。
骨ばった手が脇から背中へと回され、引寄せられて、●●、と低い聲が耳を撫でる。

くらくら、する。


距離はもう無いに等しい。




『さつ、き…』




噛み付く様な、啄む様な。
そんな口付けが、何度も何度も、降り注ぐ。

お互いの熱が触れ合った所から伝わって、解けて、混ざり合って。

何度も名前を呼ばれると、愛されている様な錯覚がアタシを襲う。




『…やっぱり卑怯だ』




彼の特別になる事は許されない。
所詮、この想いも独り善がりなのに。

この恋の続きがあるかの様に、期待させるように、アタシに触れて、アタシの名前を呼ぶ。




「泣くな」

『泣いてない』




泣いた所で仕方がない。
涙なんかで手に入るモノではない。

アタシに許されているのは、此処までなのだ。
彼の聲も仕種も温度も口付さえも知っているのに、コレ以上求めてはいけない。

離れて行く温度が酷く寂しかった。




「●●」




砂月の長い指が前髪に触れた。
そのまま耳の後ろにかけて髪を梳かれればまた、ドクンと心音が鳴る。
うっすらと目尻に浮かんでいた水滴を指の腹で掬いあげる。




『やだ、…っ』




優しく触れないで。
諦めきれなくなる。

頬に髪に触れていた手を払い除け、砂月の肩を押して自分から離した。

泣いていないと虚勢を張っても、湧き上がってくる切なさと共に、無意識に込み上げる涙を見られたく無くて。
隠す様に俯いた。

オレンジ色のチェックのスカートを握り締めれば、このもどかしさをもう少し胸の内に押し留める事が出来る。
そんな気がした。




「…俺もお前が一番好きだ」




永遠に向けられる事は無いと思っていた言葉。
ソレが砂月の聲で紡がれる。


俯いていた顔を上げた。




『…え、』

「…あれ?●●ちゃん?どうしたんですかぁ?」




先程から目の前に居た人物ではあるが、金緑色の瞳には眼鏡が掛けられ、鋭さは微塵も感じられない。

砂月から那月に代わっていた。



『…はぁ。何でもないよ、なっちゃん』



ぐしゃぐしゃに前髪を掻き上げて、その一瞬で雫を拭い去って、心配そうな目線を送る彼に取り繕った笑顔を返す。

同じ顔の同じ聲の同じ身体の、全くの別人。




本当に卑怯な男だ。

だから余計逃れられない。
この甘くてほろ苦い、ビターな彼からは。

中毒のように砂月を求めてしまう。



『“1番”か…』



逃がすつもりは、ない様だ。


中毒のように砂月を求めてしまう自分を嘲笑うかの様に、渇いた聲が出た。



End

20120122



二期ではもうちょっと多くさっちゃんが登場してくれます様に!

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