▼冬の聖譚曲










何度か、止めておけと言われた事がある。

風邪を引くからとか、
それこそ寒くはないのかとか。


勿論、寒くないとは決して思わない。
頬や鼻の頭は確実に朱に染まるし、
寒さの所為で自然に肩は上がり、
無意識に暖を求めて掌で二の腕を擦っている事もある。


それでも。
葉の落ちた細い木々の上に広がる遠い灰蒼の空。
灰色がかったモノトーンの世界。


冬のこの独特の澄んだ空気が好き。
寂しいと表現される事の多いこの季節がとても心地が良い。

自分が冬生まれだからかもしれないし、
ソレは全く関係ないのかもしれない。



息苦しさから脱け出す為に。
吐く息が白くなるこの季節に、好んで外に出掛けるのだ。



今日も文庫本一冊とホットレモンティを入れたタンブラーを持って、マンションから数分の距離にある公園へ足を運んだ。







学校を卒業して早5年が過ぎた。


在学中パートナーだった人物に今も楽曲は提供し続けている。
今でも彼の専属作曲家でいて、彼はアタシの専属歌手だ。

彼を最も引き立たせる曲を書けるのは、アタシだと自負している。


ソレだから解る。
彼の歌に含まれるモノが。



『はぁ、』



息苦しさの理由は、一つ。

アタシには応える事が出来ない。



彼はアイドル。
所詮アタシは作曲家でしかない。

溜め息が灰色の空に融ける。
まだ温かさを保っているレモンティで喉を潤しながら、手にしていた文庫本の頁を捲った。




「●●、此処に居たのか」




ジャリと言う足音と同時に聞こえた聲。

仕立ての良い濃紺のロングコートを実に纏ったアタシの元パートナー。
そして現専属歌い手の聖川真斗だ。

一つ一つの所作に育ちの良さが見え隠れする。



彼は本当に冬が似合う。

この澄んだ空気ですら彼の周りは一層、綺麗で透き通っている気がした。



『今日は何も仕事無かった筈だけど…?』



手にした文庫本から少し目を上げて、来訪者に視線をやった。


アタシにはあまり関係ないのだが、彼、聖川真斗の歌う場には、密かに顔を出している。
アタシの詩を歌う真斗の姿は何よりも好きだし、彼の歌う姿を見ればまた、新しい曲のイメージが浮かぶのだ。

少し前に新曲を発表した為、今はまた新しい曲作りに勤しんでいる。
歌番組等の収録は暫く無い筈だ。



「いや、仕事ではない。隣に座っても?」

『ええ、どうぞ』



促す様に空いたベンチの左側をポンポンと叩けば、相変わらずの癖だなと薄く笑いながら腰を下ろした。


早乙女学園内のベンチでもよく、こうやって二人並んで座ったものだ。

お昼休みに昼食を摂る時も、彼の演技の課題に付き合って読み合わせをした時も。

お互い一ノ瀬トキヤから借りた、文庫本なんかを読んでいる時も。



「よくこんな所で本が読めるな」



寒くないのか、なんて言いながらポケットに手を突っ込んで、アタシの持つ手元の文庫本を覗き込んだ。

ドクンと一度、大きく心臓が鳴る。


実は目で追う文字も、読んでいる様であまり頭に入っていない。
少しの気休めと外に出る理由、と言ったところか。

事務所が用意してくれた防音設備が備わっているマンションでは、全ての神経が彼に向かってしまう。

応える事は、出来ないのだ。



『まぁ、ね』



在学中にも確かこのやり取りをした。
真斗は忘れてしまっただろうけれど。

“寒いだろう?外で読むのはやめておけ”

そう言いながら高そうなカシミヤのマフラーを貸してくれた彼はまた、アタシの隣に腰を下ろす。
そんな冬から5年が過ぎた。




「…留学する事にした。やはりもう少しピアノが弾けるようになりたい。」



ハ、と吐いた白い息。

艶やかな髪の間から覗く、芯に強い火の灯った目が高い空を眺めながら、高揚の無い聲を放つ。

突然告げられた変化。
この距離に息苦しさを感じていたのは、アタシだけではなかった様だ。



『…そっ、かぁ。』



アタシの、精一杯の、強がり。



真斗が、歌わなくなる。

アタシと彼の繋ぐモノが。
プチンと糸が切れる様に、ガラガラと今まで築いてきたモノが足元から崩れ落ちる様に。
静かに音をたてて消え去る様な気がした。


旧友達からは自分達の曲を作ってはくれないかと、日向先生からは真斗だけでなく後輩達にもと。
有り難い事に仕事の話は多方から何度かきている。

それでもアタシは真斗の専属だからと断ってきた。



『いつ、発つの…?』



アタシの詩を歌う真斗が好きだし、
真斗が歌うアタシの詩が好きだ。

彼でなければ、
アタシでなければ。



「…今月中には」



澄んだ空気を求めて来た筈なのに。
胸の痛みも息苦しさも。
一向に立ち去ってはくれない。



「もうすぐマンションを引き払う。向こうにもう住む所は用意して、…●●?」



真斗の聲が上手く聞き取れない。
反芻しようと思っても、頭が理解しようとはしてくれない。
視界が段々滲んでいく。


アタシの名前を呼ぶ聲だけがただはっきりと。
ソレと共に温かな彼の指が頬に触れる。
ゆっくりと水滴を拭い去る指は、長年ピアノを弾き続けたソレ。



「…泣く程、嫌か?」



その瞬間気付いたのだ。
自分が泣いている事に。




『…っ、』



頬に添えられる掌も、睫毛を掠める指も。
覗き混む藍色の眼も、アタシの名前を呼ぶ聲も。

5年前から変わらない。

そしてソレが今、手の届かないところへ行ってしまおうとしている。



『ヤ、だ…』



喉の奥で何かがつっかえて、漸く絞り出した聲は、酷く小さい。

真斗が拭ってくれたのに、ぼろぼろと止めどなく溢れる涙が、文庫本を握り締めていた手に落ちた。



「…悪い、留学なんて嘘だ」

『は…?』



まさか泣くなんてな、そう言ってばつが悪そうに視線を游がせる真斗。
思ってもいなかった言葉に驚きで涙が止まる。



「…冷たい指だな。だから外で本を読むのはやめておけと言っているんだ」



少し骨ばった長い指がアタシの手に触れる。
外気に晒されたままだったアタシの手を包む様に。


そのまま手を引かれ、
そっと指先に触れた唇。


温かな真斗の温度。
ホットレモンティを飲むよりも一瞬にしてアタシを暖める。



「風邪を引いてもらっては困る」



ゆっくりとアタシの目の前に下ろされた左手の薬指に微かな違和感。
付けた覚えの無いシルバーのリング。



『コレ…』

「お前は、●●は俺の大切な人なのだからな」



さらりと手入れの行き届いた髪が揺れ、少し上にあった顔が屈み、アタシの手に再度、真斗の唇が落とされた。



『真斗?』

「結婚してくれ」



藍色の眼が射抜く様に。
真っ直ぐに向けられたその目から逸らす事が出来ない。



『何言って、だって、』



混乱して思う様に言葉が出ない。

真斗はアイドルで、アタシはただの作曲家だ。
彼は大財閥の嫡男で、親が決めた婚約者も居ると言っていたのも確か。

アタシが応える事は、許されていない筈。




「全て片は付けた。後は…」




“●●がコレを受け取れば良い”


真斗の左手の薬指にも同じシルバー。

不敵に笑う彼が、出逢った今までで一番。
格好良くて、何よりも愛おしいと思った。




出した答えは、決まっている。





(少し早いX'masプレゼント)

end

20111218


気持ちを確認する為に嘘をついた聖川真斗。
ちょっと急に終わった感が否めませんが…。

最近捏造の●年後が好きです。
3ヶ月ほど経ちましたが二期は未だですか。
動く彼等が見たい。

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