▼彼とアタシの世界













音也の一番は、アタシだと思っていた。


幼い頃からアタシが作った歌を、音也が歌う。
彼の高らかな優しい声が歌う歌が大好きだった。


学校から施設への帰り道の大事な思い出。



そんな関係がいつまでも続くと思ってた。









『音也、今日暇?』

「ごめん、七海と打ち合わせするんだ!」




嬉しそうに譜面を持って駆けていく背中。

音也が欲しいと言っていたCDを見つけた、
なんて言う隙もなく。


確か昨日は来栖くんとサッカーで、
一昨日は一ノ瀬君に叱られて部屋の掃除。
その前はまた七海さんとの練習に戻るのだ。





小さくついた溜め息が騒めく教室に消える。





「▲▲、帰らないのか?」

『…聖川君』




身体の中で重く渦巻く陰鬱から引き戻す様に、
窓の外、傾きかけた茜天の暖かなオレンジを背負う聖川君の指がコツンと机の上を跳ねた。




『もう帰るよ、荷物纏めたらね』




自席に戻りながら、
机の横に置いていた鞄を掴む。




「そうか。ではまた明日な」

『うん、また明日。』




少し困った様に笑う聖川君が軽く手を振る。


音也と同じ、教室のドアから出ていく背中を無意識に目で追った。






入学して日が経つにつれ、音也と過ごす時間は徐々に減っていき、
今では一緒にいる時間は数える程。



音也に友達が増えて、
彼の世界が広がる事は嬉しい事。


ただ、その世界にアタシは要らないのかもしれない。
そんな錯覚が徐々に侵食していく。



幼馴染みの距離が段々遠く。
今までの様に居られないと
嫌でも思い知らされる。




乾いた空気がツンと鼻を刺した。










.










「七海、俺と卒業オーディションのペアを組んで欲しい」




レコーディング室から移動する途中、
音也の声が聞こえた。

向けられたそれはアタシじゃない子。




「俺、七海と相性良いと思うんだ」




角を曲がれば居るであろう音也と七海さん。

立ち聞きするつもりなんて微塵も無いのに、
廊下のタイルに足が縫い付けられてしまったように動かない。







アタシが作る歌を、音也が歌う。
音也の歌う歌が好きだった。



アタシだけ。
幼馴染みの昔からの関係が
いつまでも続くと思ってた。






頬に伝う一筋の切なさ。






「見たくないモノを見る必要も、
聞きたくない事を聞く必要もない。」





視界を遮る様に聖川君の大きな手が、
アタシの目を優しく覆う。

背中に感じる暖かな体温。




『…聖川、君?』




振り向けば、少し困った様な表情を浮かべ、
音也達を一瞥して小さく溜め息を吐いた薄い唇。



“はい”と言う聲が聞こえた。




「…大丈夫、だ」




そっと手首を掴んで歩き出す聖川君。

その手が少し震えている気がする。




『…っ、聖川君!』




少し前を歩く聖川君の顔は見えない。



ぐるぐる渦巻醜い気持ち。


目頭が熱い。
頭が痛い。
胸が痛い。




『聖川く、んっ…』




引かれる腕はそのまま、彼の名前を口にしなければ、
この行き所の無い気持ちが溢れてしまいそうで。


“聖川君、聖川君”と嗚咽と共に譫言の様に洩らすアタシの聲に、
大丈夫、と答えてくれた。





「つけ込む気は、無かったのだが…」




聖川君の足が止まり、空いている手がハンカチを差し出したのは
音也達から大分離れた時だった。

制服のポケットから取り出された紺色のハンカチ。
聖川君らしい、きちんとアイロンがかけられている。




「今が好機だと思っている」




ソレがゆっくりと頬の水滴を拭い去る。

聖川君の綺麗な指が掠めるように頬に触れた。



ピアニストの細い指が掬い上げる水滴は
アタシの中を渦巻く陰鬱の塊。




『え?』

「▲▲、俺とペアを組んでくれ。
俺の歌を作ってくれないか。」




真っ直ぐに向けられた瞳は深い紺碧。




『聖川君…?』



その聲に聖川君がまた、
困った様に小さく笑う。




「ずっと言いたかった」




聖川君越しに見えた空があまりにも綺麗で。

彼の藍色の髪に光が乱反射して眩しい。




優しいテノールに救い上げられた様な気がした。




「ずっと想ってたんだ」






(真っ直ぐな目に、はいと聲が漏れた)

end

20111106



音也鈍感そう。
そんなに早く乗り換えられはしないと思うけど。

←一覧へ