▼存在意義 不意に一人になりたくて家から少し離れた河川敷まで歩いた。 陽はもう完全に落ちていて、 群青色の天鵞絨のような夜天には、 キラキラと星屑が瞬いていた。 ぽつぽつと距離をあけて設置された街灯は滲む様に橙色を放っている。 何処か優しい色をしている人工的な燈。 対岸を見渡せば此方と同じように点々と灯る橙以外、闇に溶け込んでいて さらさらと流れているであろう川も月や星屑の明かりを反射しているだけで、他には何も見えない。 イヤホンを耳につけているせいで音は遮断されてる。 手にはipod1つ。 引っ掻けてきたトレンチコートが風に靡いた。 自分から作り出した一人だけの空間。 携帯はわざとソファの上。 誰にも言わずに抜け出したのだ。 五線譜を眺めても音符は走り出してくれなくて、 何回もソレを握り潰した手が震える。 アタシの存在意義が無くなって、 アタシの代わりが補充されて、 アタシという人物は消えてしまうんじゃないか。 此処のところ脳裏を掠める良くない考えは身体中を侵食し、 今や息苦しさを感じる位、胸の中がぎゅっと痛むんだ。 書かなきゃと思う反面、もういい、なんて自嘲じみたアタシが笑いかける。 押し潰されそう。 秋風が頬を撫でると、ひんやりした感触に気付き、顔に手を伸ばす。 無意識に泣いてしまっていたようだ。 脳がソレを認識した瞬間、今まで溜め込んでいたものが溢れ出す。 唇を噛んでも漏れてしまう嗚咽。 ガクンと力抜けた足を抱えるように座り込んだ。 歪んだ視界に、途切れそうな意識。 「●●」 ふわりと身体が浮く感覚に、優しく降ってきた声。 アタシを抱き上げている腕は逢いたくて逢いたくなかった人のモノ。 顔を見たら余計に涙が零れるのに、 街灯の橙以上に暖かなモノが澱んでいた胸の中に灯る。 「●●」 薄い唇から愛おしそうに吐き出されるアタシの名前。 堪えきれず抱き付いた。 その瞬間、ふわりと鼻孔を擽る香りにまた胸が熱くなって、 もう抑えることなんて消え去った涙が頬を流れる。 『真斗…、』 「大丈夫だ」 ぽんぽんとリズムを刻む背中の掌に 包み込む様に優しく響く“大丈夫”に どうしようもない愛おしさが募った。 そっとその場に下ろされて、 涙でぐしゃぐしゃの頬を真斗の細くてでも男の人の手が包み込んで、 薄い唇が水滴を掬い上げる。 小さく寂しそうに笑う真斗が綺麗だと思った。 群青色に溶けていくんじゃないかって位、夜が似合う。 「大丈夫、お前の代わりは居ない。」 止めどなく溢れるソレに真斗がキスをする。 髪が梳かれて心地良い。 『書け、ないの…』 アタシを苦しめる五線譜なんて見たくない。 それでも書かなければ、貴方の隣に居る事が出来なくなる。 『真斗の歌を書かなきゃ…っ』 「作曲家と言うだけがお前の存在意義ではないだろう?」 全てお見通しだ、と言わんばかりに降ってくる口付けは酷く甘美。 腰に回された腕がアタシの身体を引き寄せて、 真斗が唇を耳元に寄せる。 「●●、好きだ」 耳、頬、瞼、額、唇。 降り注ぐ唇に、呼吸の仕方も忘れて。 甘い甘い雨に身を委ねる。 真斗が触れる度、 ●●と呼ぶ度、 胸の靄は薄くなっていって。 「帰ろうか」 そう言って差し出された右手に自分のソレを絡めれば、優しく降り注ぐ唇。 消えてしまいそうな気持ちも何もかも真斗が払拭してくれて。 何処か澄んだ胸が強く彼を想った。 (胸に灯る橙) end 20111016 途中まではさっき見た夢の内容。 その光景が酷く寂しかったので甘甘にしてみた。 救い上げてくれる人。 ←一覧へ |