ぎゅっと握りしめられた小さな掌を自分のソレで覆った。折れそうに細い指が、食い込んで、白い肌が更に白くなっていた。手の中で不安を籠めて揺れるソレを、親指の腹でつう、と一撫でし、力のこもった指を一本一本解く。そして彼女の掌に、指と指を絡ませるように、滑り込ませた。



「●●、」



名前を呼べば伺う様に握り返される、桜の色をした小さな爪が、愛しさを増長させた。














ふかふかとは言い難い布団と枕に●●の身体を押し付けたのは、今日が始まる時間だったような気がする。任務を終えて深夜に帰還した●●達一行と水路で出くわして、後ろで何かを話をしているファインダーとリーバーを横目に手を引いた。

ただいま、だとか。おかえり、だとか。

そんなものどうでも良かった。
10日ぶりに見た●●の唇から、俺の名前が零れたから。
疲労を含んだ目を一瞬柔らかく細めて、こちらに寄越したから。
手の届く位置に、●●の身体があったから。

折れてしまいそうな腰に腕を回しながら、力いっぱいその小さな身体を黒いコートの影に引き寄せて、肩に顔を埋めさせる。少し低い位置にある●●の耳元に唇を寄せれば、くすぐったそうに身じろいだ。ゆっくりと応えるように回される腕に、少しだけ背伸びをしている●●に、この10日間で溜まりに溜まった何かが胸の中を圧迫した。


任務に就くことは避けられやしないし、同行者を選ぶことも、まず無い。
10日と言う期間はどちらかと言えば短い方だ。今までにはそれ以上逢わなかった事も何度かあった。
他のエクソシストの連中の中には、何年も逢っていない奴だっている。


どうしてこんなにも欲するのか。
何が衝動を掻き立てているのかは分からない。
砂の付いた団服と、こびり付いた血と、行きよりも減った人数に、背筋が凍りついて。
一瞬のうちにカラカラに干上がってしまった喉から、無理矢理●●の名を呼んだ。



『……神田?』



白いシーツの上に押し付けた●●が不思議そうに見上げてくる。
それもそうだ。いつもはこんな性急なことはしない。

人気の少ない廊下を速足で過ぎて、押し込む様に連れ込んだ自室の、そのベッドに横たわらせるまで、殆んど会話は無かった。後ろから聞こえる●●の靴音が転びそうになっていても、手を緩めるつもりも、足を止めるつもりもなかった。
呼び止める奴らの聲も、待ってと繰り返される●●の聲も、そんなものどうだって良かった。



『神田、どうしたの?……何かあった?』

「……」



着なれたロングコートを放り出しながら、部屋の鍵をかけた。カーテンを閉めて月明かりを遮れば、静かな教団の一際静かな夜が出来上がる。きつく縛った髪紐を解いて、コートの上に投げ捨てて。

任務の疲労感の所為なのか、それを大人しく見ていた●●に近付けば、飢えた喉が鳴る。

早く。一刻でも早く。
●●に触れたかった。



『なんか、今日、……っ、ん』



眼を擦る手を掴んで、呼吸すらも出来ない位に唇を塞いで。膝を割って身体を滑り込ませ、服越しに鼓動が伝わる程に、身体を密着させる。微かに強張る抵抗ですら、その行為を加速させていった。



『ちょ、……やっ……』



歯列をなぞり、微かに開いたその隙間に、自分の舌を滑り込ませれば、●●が顔を歪ませる。深い所まで喰らい付く様に、逃げていく彼女の舌を追っては、引いていく腰を抱き寄せて。1ミリでも離れたくない衝動に駆られ、貪る様に触れれば、どんどん薄まっていく酸素。
衣擦れの音と、よく知った石鹸の匂いと。そして●●の感触が混ざり合って、彼女を酷く汚している気分になった。

短いスカートの裾から伸びる白い脚に手を伸ばし、小さく跳ねた身体に気分を良くすれば、ざわざわと騒ぎ出す心臓。チリチリと痺れるような感覚が、耳の後ろから全身に駆け巡っては、“もっと”と●●を渇求する。



『――――っは、』

「……●●」



散々貪った唇から少し離れて聲を漏らせば、一気に吸い込んだ酸素の所為で噎せ込む●●。麻痺しかけている思考に追い打ちをかけるように、耳元に唇を寄せて、響かせるように聲を出した。髪を避けて小さな耳たぶを甘噛みして、ソコに舌を這わせる。固く瞳を閉じて、は、と浅く呼吸を繰り返す●●の、団服の釦を一つ一つ外していく。その度に露わになっていく首元。つうっとなぞりながら襟元を開け、薄く付いた筋肉を撫でながら、脚の付け根まで辿り着いた。



『ま、待って! 嫌だって!』

「待たねェ」

『ダメ、……ダメだってば!』



抑止の聲を無視しながら、晒されている首元に舌を這わせる。顎下を啄みながら、首筋を下り、鎖骨に顔を埋めれば、肩を押す力の抜けきった手が邪魔をした。邪魔と言う程の煩わしさは無いものの、嫌だと繰り返す拒絶は行為の続行の妨げになってしまう。力づくで組み敷けたとしても、その結果は本意ではないのだから。



「……何が駄目なんだ」



はぁ、と気付かれない程度の小さな溜息を吐き、身体を上げる。薄暗い空間の中で枕に顔を押し付けながら、首を微かに振る●●。紅潮している頬を親指の腹で摩れば、様子を伺いながら擦り寄ってきた。
自分で行為を中断させておきながら、無意識に煽る。質の悪ィ奴だ。



「●●」

『任務から帰ってきたばっかりだし、私、ボロボロだし! ……汗も、かいてるし、』

「気になんねェよ」

『わ、私は気にするよ!!』



枕の所為で乱れた髪を更に掻き毟りながら、視線を逸らす。折角釦を外したのに、上着の両端を握りしめて肌を隠してしまった。拗ねた色を見せるように唇を尖らして、ぐずぐずと鼻を啜る。黒く長い睫毛が縁取る眼を伏せて艶やかに濡れたソレが、暗闇に慣れた視界に飛び込んだ。



「逆効果だ」

『……え?』

「泣けば、……もっと止めたくなくなる」



そう言いながら眼尻に付く水滴を掬えば、大きな眼を更に真ん丸に見開いて視線を寄越した。
漸くかち合った視線に引き込まれるような感覚。鼻と鼻が掠める程の距離の中、●●の眼球に写る自分を見詰めながら胸の前にある手に、自分のソレを重ねる。きゅ、っと固く握りしめられている指の緊張を解す様に包み込み、うっすらと張り付いた前髪を避けて、額に一度唇を落とした。



「観念しろ」

『っ、』

「悪ィな。そんな理由では、今日は止めてやれそうにない」

『ちょ、何、待ってって!!!』



両手首を掴んで、頭の上で固定する。●●の力でそこから逃げる事は、不可能だ。もがく身体も、俺の体重には勝てやしない。太腿の内側を一撫ですれば、眼を真っ赤にしてこちらを睨みつけた。



『か、神田! ……っねぇ、』



腕を抑えたまま、●●から少し身体を離し、空いた手で彼女のブーツの紐に手を掛けた。リボン状に結ばれたソレを解き、レースアップになっている部分に指を引っかけて緩める。踵を滑らせるようにして靴を脱がせれば、更に抵抗を示す腕。ベッド下へ放り投げて、もう片方も同じように脱ぎ捨てた。



『も、ほんとにやだ……』



露わになった爪先がシーツを掴む。全身に力が籠められて、零れ落ちる羞恥の聲。
その光景も聲にすら、欲情している自分が居る。息を飲み込みながら、吸い寄せられるように●●の口を塞いだ。



『っ、ぅ……ん、』



角度を変えて貪る度に漏れる吐息と、火照っていく●●の体温。そして徐々に抜けていく身体の力。
ふっくらと弾力のある●●の脚を、形を確かめるように、追い込む様に何度も撫でる。親指の腹が食い込む度に、反応する肌。ぴくっと肩を跳ねさせて、かたく眼を閉じた。
視覚を拒絶すればする程、感覚が敏感になるのも毎回の事で。こちらとしては好都合なのだが、それは無意識に自分の退路を断つようなものだ。
馬鹿だと思う反面、自分の欲を受け止めてくれる●●が愛おしくてたまらない。緩やかに●●の思考を侵食していくように、従順に落ちていくその様は、何度も身体を重ねてきた俺しか知らない。



『……か、んだ、』

「……」

『なんか、きょ、う……ほんとにどうし、』



殆んど抵抗を止め、酸素を取り込みながら聲を漏らす●●。手を退けてやれば、シャツの肩口を力なく掴んできた。



「別に、」

『……ヤな事でも、あった?』

「無い」



息を整えながら、俺の頬に手を添える、小さな手。細い腕。俺を傷つけない、その優しい手に擦り寄って、眼を閉じる。


何も、無かった。

これと言った出来事は無かった。
●●が任務に出てから、自分もいくつか任務に就いた。近場だった事と、AKUMAの被害が少なかった為、早々に教団に戻ることが出来た。
いつもと変わらない朝を迎え、いつもと変わらない夜を超えた。
そこに●●は居なくとも、そのうち帰ってきて、またこの腕の中に抱くことが出来るものだと思っていた。
何人もの同志が、何百人ものサポーターが、数えきれない程の人間が死んでいく戦争の最中だと言う事を、長く続く環境の所為なのかただの錯誤か。麻痺していた自分が恐ろしいと、水路で●●を見つけた瞬間に気が付いた。
力なく笑う●●に、どうして彼女が無傷で帰ってくるものだと思っていたのかと。
触れる事すら二度と不可能になるかもしれないのに、どうして10日前見送ることが出来たのかと。
聲を、体温を、感触を。
確かめるように●●の全てに触れて、安心したかった。



「……腕とか、脚の一本、」



脚に触れていた手に力が籠る。指が食い込んだソコが白くなる位に、強く。

折ってしまいたい。
この細い脚を、六幻で切り離してしまいたい。

歩けなくなって、イノセンスが使えなくなってしまえば、この戦争から離脱させることが出来るんじゃないかって。
そんな自分勝手なエゴの塊を、●●に押し付けてしまいそうになる。

どうしたらこの腕の中に抱いて居られるのだろう。
どうしたらここに留めておくことが出来るだろう。

外は彼女を傷付けるものしかない。
常に一緒にいることが出来れば、その全てから護ってやることが出来るのに。
聖職者だとか。救済者だとか。
俺は、そんな御大層な綺麗なモンじゃ、ない。
ただ自分の過去と、自分のエゴと、ほんの少しのくだらない正義感で、六幻を振り回しているだけだ。

●●の手に引かれるまま、彼女の肩に顔を埋める。無意識に浮かしてくれた腰の下に腕を回して、身体を密着させた。
この小さな身体に、執着している自分が酷く醜い。



『神田』



ゆっくりと腕が首に回されて、優しく俺の髪を梳く。
●●の聲が全身に染み渡る様だった。



『ダメだよ、神田』

「わかってる」

『わかってない。私だって、神田が任務に出掛けるのは怖いよ。もし、……神田が怪我をしたら、だとか色々考える』



教団トップクラスのエクソシスト様は任務回数自体多い上に、私と違って難易度の高い任務ばかりだから。
そう続ける●●の手に力が籠る。
いつも別れの覚悟をしなければならない。決して追い駆けてはいけないのだと。



『神田が……江戸で、箱舟に入ったって聞いた時は、生きた心地がしなかった』

「……?あぁ、あれか」

『あれか、じゃないよ! ……ほんとに、ほんとに私の知らないところで、怪我しないで。無茶、しないで』



お願い。
再度●●が鼻を啜る。

長い長い明けない夜を、時計の秒針をじっと眺めながら、何度も神様に祈って、何度もきっと神田達は大丈夫だと言い聞かせて。
気遣ってくれる皆に、何度も平気だと作り笑顔を見せた。

きつく抱きしめられて、トクントクンと鼓動が直に聞こえて、服越しに体温が伝わってきて。ゆっくりと撫でられる感覚がとても心地良くて。
幸せを抱き締めて、幸せに抱き締められて。



「気を、付ける」

『うん。是非そうしてください』



少し顔を上げれば、困ったように笑う●●が見えた。
気を付ける程度でどうにかなるモンじゃないことは、わかってるんだろうけど。

●●の手を握って、ゆっくりとソコに自分の指を絡める。何度か確かめるように握り直して、そうして隙間なく固く繋いで。腰に回した腕に、力を籠めながら、ゆっくりと閉じられた瞼に、涙が零れた跡のある頬に、ふっくらとピンクに色付く唇にキスをした。
軽く啄む様なただ重ねるだけのソレから、深く深く溶け合ってしまいそうなものに。●●が吐いた息を飲み込む様に、俺の息を飲み込ませるように。
苦しくて甘いモノが、切なく愛おしいモノに変化して。

一度眼と眼を合わせれば、あとは堕ちていくだけ。
白い柔肌に噛みつけば、思考を麻痺させるほどの甘い、鼻にかかった聲が上がる。

シャツの裾から差し込んだ手に、吸い付く肌。滑らかに弾力があるその白は、この戦争のために鍛え上げたものだ。無駄な脂肪がない分、ダイレクトに感触が伝わっているようで、掌が動く度にきゅっと手を握り返した。
腰の括れを何度か親指で擦り、脇を伝いながら胸部へと向かう。肋骨に薄く付いた筋肉と、女性らしい丸みを帯びた柔らかさ。
自分とは違うその身体に、無性に噛み付きたくなる。こんなにも切望しているのかと、実感した。
触れれば触れるほど、貪れば貪るほど。
これでは飽きたらないと言うかのように、自分の身体も意思も、●●を欲するのだ。



『か、神田!』

「あ?」

『えっと、やっぱり……その、待って、』



トントンと胸を打つ手に顔を上げれば、顔を真っ赤に染める●●。前髪をくしゃりと落ち着かなげに弄りながら、眼を泳がせた。

さっきと違うところと言えば、そこに拒絶はない。本人は気付いていないようだが、繋いだ手を離す素振りはない。
往生際が悪い。



「バァカ、もう諦めろ」



彼女の仕草に思わず、フ、と笑いが漏れる。
10日も我慢したんだ、これ以上は待てやしない。早く俺を安心させてくれ。

“最後の足掻き”が零れ出しそうな口に、呼吸すらままならない程深く。肌を重ねて、唇を重ねた。


ほんの僅かな自由を、噛み締めることが出来る時間なんて限られている。

太陽が上がり、締め切った部屋の中にその光が干渉してくるまで。






無慈悲な神様の見ていない間に






end

20140723

不安定な神田さんと一線をやや超えそうな話でした。





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