すっかり肌寒くなった。布団からなかなか這い出すことができないくらいには、冬が近付いているらしい。枕元の時計を確認すると、もう昼時だった。まぁ、休日だからよしとしてくれ。
 一週間を終えて、土曜日。つい数ヶ月前の俺なら、さっさと起きて、せっせと身支度を整えて、今頃はもう飯は食い終わってて、玲二の家に行く準備をしていたんだろう。
 そこまで考えて、ふっと自分を笑った。こんなこと考えるあたり、自分ではすっかり吹っ切れたつもりでいたけど、どうやら違ったみたいだ。こんなにうじうじ引きずるなんて、俺らしくもない。ヤマトにも心配をかけてしまったみたいだし。
 逃がすまいと俺を包む布団からなんとか這い出した。顔を洗って身支度をして飯を食って歯を磨いて自室に戻って、なにもやることがなくなった。とりあえず机に教科書とノートを広げたが、課題をやる気もない。
 椅子の背もたれに体重を預けて、ぼうっと天井を眺める。ピンポン、とどこかの家のチャイムが鳴るのが聞こえた。
 ――玲二、今頃なにしてるかなぁ。
 考えかけて、思考を止める。やめよう。こんなことに意味なんてない。
 下から母がなにやら呼ぶ声がするが、とりあえず無視だ。起きてても無駄だ。一回寝よう。まだ外は明るいけど、カーテンを閉めればなんとかなるだろう。進まない課題とにらめっこをしているより幾分ましだ。
 そう思ってぐっと伸びをすると、誰かが二階に上がって来る音が聞こえた。母さん、急ぎの用だったのかな。それならそれで悪いことをした。
 がちゃんとノックもなしに部屋のドアが開けられた。途端に入って来た冷気は、恐らく気温のせいだけではないだろう。
 ドアを開いたのは、母さんではなかった。見知った顔と、久々に見る顔。
「ヤマト、と、すみれちゃん」
 ブリザードを吹き荒らしながらこちらをじっと見つめるすみれちゃんが、ずいとこちらによる。ヤマトはとても気の毒そうな顔をしていた。
「相田さんどういうことですか。玲二さんとなにがあったんですか」
 単刀直入だ。威圧感が凄まじい。
 恐らくヤマトが何か言ったんだろう。ヤマトが俺に恨みでも持ってない限り、よかれと思ってやったんだろうが、なんというか、いらないお世話だ。
「もういいんだよ、終わったんだ」
「いいんですか? 本当にいいんですか? 好きだからこんなに引きずってるんじゃないんですか?」
 俺はすみれちゃんが少し苦手だった。物事をはっきり言ういい子ではあるが、意志の硬さが宿った目が、どこか俺を責めているように見えてしまう。これは完全に、俺の被害妄想なのだが。
「うるさいな、関係ないだろ」
「そうやって逃げるんですか」
 苛々した。深い関係もないくせにでしゃばってくるな。俺の傷をえぐって楽しいのか。そう思うと、自然と語気も強く、声も大きくなる。
「逃げてなんかない」
「逃げてるじゃないですか!」
「逃げてねえよ!」
 壁に拳を力一杯ぶつけた。ごん、と鈍い音が鳴って、鈍い痛みが走る。でも、そんなこと気にならなかった。
「お前にっ! お前に何がわかるってんだ!」
「落ち着け、一輝」
 ヤマトが今日初めて声を発した。
 慌てるでも咎めるでもないその声に少し現実が見えた。
 ――なにやってんだ、俺は。仮にも年下の女相手だぞ。
 長く息を吐いて、一緒に気持ちから毒を抜く。そして俺から強い視線を外さないすみれちゃんに向き直った。
「……しょうがないだろ、あいつは俺が嫌いなんだよ。いまさらどの面下げて会えって言うんだ」
 震える声を叱咤してなんとか声を振り絞った。情けない。余裕がない。かっこわりぃ。
「……まず、そこから間違ってるんですよ。玲二さんが相田さんを嫌うはずないですから」
「なんで言い切れるんだよ、お前がなにを知ってるってんだ」
「玲二さんが、……玲二さんがあなたを特別に思ってたってことぐらい知ってます」
「……何、言ってるんだ」
「わたし……玲二さんにお別れを言われて、わたし、すぐに玲二さんの家に行ったんです。そしたらおばさんが出て来て、玲二はいないから帰ってって、なに聞いても教えてくれなくて」
 すみれちゃんが嘘をついているようでもない。少なくとも俺には、淡々と、ただ事実を述べているように見えた。
「わたしは、玲二さんが心配で、でも多分わたしに出来ることはないから、ものすごく歯痒くて。でもきっと、相田さんがなんとかしてくれるって思ってました。……そこは、ごめんなさい。関係ないのに、勝手に期待して、殴り込んで、怒鳴って」
 だんだん頭が冷えていく。
 脳がパンクしそうだった。
「玲二さんは人とうまく話せないから、だからいつもわたしや相田さんには気をつかってました。せめて嫌われないようにって、知ってるでしょう、あなたも」
「……」
 言われなくなって知ってる。いつもこちらを伺っていたことを知ってる。いつも俺に合わせてくれていたことも。
「絶対、なにかあったんですよ。玲二さんがこんなにお別れの仕方をするはずない」
「……俺にはなにも出来ない」
「出来ます。あなたなら。前に、玲二さんが言ってました。何度も何度も家を訪ねてくれたって。おばさんもわかってるはずです。わたしなんかよりもずっと、あなたを信頼してるはずです」
「そんなこと」
「あります。ずっとひとりだった息子に会いに来てくれたあなただから、きっと」
 いつになく素直なすみれちゃんの言葉に、気持ちが動かされた。俺は、どうしたいんだろう。玲二とこのまま終わってもいいのか。
 ――なんだ。答えなんか、最初から出てたじゃないか。
 俺はクローゼットから鞄と薄手のジャケットをとった。鞄の中には適当にいるものを詰める。
「……逃げるんですか?」
 すみれちゃんが俺に聞いた。少し、表情を緩めて。
「……行ってくる」
 そう答えると、彼女は安心したように笑った。次いでヤマトが口を開く。
「一輝」
 いつになく真剣な目をしていた。ふっと、教室で交わした会話を思い出した。
「責任、とれよ」
「もちろんだ」
 俺はヤマトに薄く笑いかけて、部屋を出た。




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