彼のいなくなった部屋にひとり残された。ずるずると壁に背をすりながら腰を落としていく。嗚咽も涙も止まらなかった。
 ――おれは、最低だ。最低、最悪だ。彼を傷付けてしまった。
 でも、これでいい。これでよかったんだ。ごめん、一輝。君の気持ちには答えられない。ごめん。


 一輝からメールを貰った翌日。
 突然開いたドアから顔を見せたのは、おれの兄さんだった。兄さんは突然のことに戸惑うおれの腕を強く掴んで、部屋から引きずり出した。躓きそうになりながら、腕をひかれるままに動いていたおれをリビングダイニングの食卓に向かわせた。そこには父さんや母さんも座っていて、おれはなんとなく気持ちがざわついた。
「玲二、座りなさい」
 久々に聞いた父さんの声は苛立っていて、思わずびくりと肩が跳ねた。兄さんはずっと掴んでいたおれの腕を離すと、おれを食卓の方へ軽く押した。纏わり付く雰囲気が息苦しい。おれは腕をさすりながら椅子に腰掛けた。
 兄さんはおれの隣にむすっとした表情で座り、母さんはおれの斜め向かいで気まずそうに俯いて、父さんはおれの正面で厳しい顔をしていた。
 数秒、重たい沈黙があってから、父さんが口を開いた。
「玲二、お前まだ学校に行ってないんだって?」
 父さんの声は、少し苦手だった。威圧感を感じる低い声は、いつもおれを責め立てているように思う。
 びくびくしながら小さく頷くと、今度は隣から深いため息が聞こえた。兄さんだ。
 兄さんは、面倒なことがあるとすぐにため息をつく。昔から要領の悪かったおれは、兄さんからすると面倒な存在だったみたいで、おれがなにかをする度に兄さんはため息を漏らしていた。
「学校に行く気はあるのか」
 また、父さんがおれに質問した。おれは何も言えなかった。違うと、おれも普通に学校に行きたいのだと、でもこわくて行けないのだと伝えたかったのに、声帯が言うことを聞いてくれなかった。
 長い沈黙。何も言わないおれに、今度は父さんが大きく息を吐いた。それから、刺々しさを隠さずに言った。
「玲二。悪いが家を出ていってくれないか」
 涙も出なかった。ただ、動けなかった。おれのまわりだけ重力が強くなったみたいだった。父さんはおれに言葉を向け続けた。
 学校は退学して欲しいこと。住まいは隣町に新しく手配してあること。おれの生活費や家賃は父さんが責任を持って出すこと。今日でなくてもいいから出来るだけ早く家を出て欲しいこと。
 要するに、ずっとおれのことを目障りに感じていた、ということ。金を払ってでもおれを視界から消したい、ということ。
 ――もう終わりだと思った。
 おれは結局、この家に寄生していただけで、迷惑をかけることしかしていなかったんだと思い知らされてしまった。
 それならもう、あきらめよう。なにもかもを終わらせよう。せめて誰にも知られずにひっそり生きよう。もう誰との繋がりも絶とう。
 おれは、ひとりでいるべきなんだ。


 ここを出るのは、明日。パソコンやベッドなんかはもう向こうに送ってある。ここにある段ボールは、後日届けられることになっていた。
 一輝とは、笑ってさよならをしたかった。おれも、一輝のことが、そういう意味で好きだったから。
 自分の唇に指を這わす。キス、された。乱暴だったけど、痛かったけど、彼は、おれを好きだと言った。
 嬉しかった。それこそ、涙が出るくらい嬉しかった。でも、同じぐらい、これでは駄目だとも思った。
 おれは多分、この人を潰してしまうだろうと。依存して、しがみついてしまうだろうと。彼の枷に、迷惑になる。そんなことは絶対にしちゃいけないと思った。
 一輝だけじゃない。すみれちゃんとも、父さんとも、母さんとも、兄さんとも、おれはもう関わっちゃいけない。
 新しい住居は、誰にも教えるつもりはなかった。もう誰も、おれなんかに時間を奪われないで欲しかった。

 もうたくさんもらったから。もうたくさん奪ったから。もう、いい。おれのことは忘れて、出ていって、もう来ないで。おれも、もう求めないから。普通も友も愛も、もう欲しがらないから。忘れたい、忘れさせて。落ち込むのも、今日で終わりにするから。
 明日からは、きっと。きっと。



 翌日目が覚めたのは、父さんも兄さんも既に家を出た後だった。世間的には休日であるにも関わらず、仕事や学校で忙しいみたいだ。それともおれの顔を見たくないのか。
 朝食は久々にダイニングで摂った。今日も母さんの手作り料理は美味しかった。
 鞄に詰めるのは、財布と通帳と新居の鍵、ハンドタオルと電源を切った携帯電話。服装は、Tシャツにジーンズとそれから帽子。
 玄関で靴紐を結ぶおれを見送るのは、母さんだけ。淋しくなんかない。ひとりしかいなくたって、見送りはいつでも嬉しいものだ。
 母さんは、春よりも少し痩せたように見えた。おれのせいだね、ごめん。もうおれのことは気にしないでね。
「母さん、ありがとう。ごめんね」
 母さんの両目が潤んだ。ぎゅうと、服の胸元を握りしめている。唇をわなわな動かしてはつぐんだ。
 親不孝な息子で、ごめん。
「最後に、お願い。おれの居場所は、誰にも教えないで」
「……っれい」
「それじゃあ」
 なにかを言いかけた母さんを遮って、久々に玄関のドアを開けた。
 ありがとう、さよなら。




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