感情のない声にぞくりとした。背骨を冷たいものが這っていく。喉がひりひり渇いて貼り付いた。
 嘘だ。こんなの嘘に決まってる。
「……なに言ってるんだ」
「もう、君とは会えない」
「なんで」
「引っ越すから、だよ」
 玲二はゆるりと笑ったまま俯いた。長い前髪が垂れて、表情が見えにくくなる。ずくずくと痛む心臓をおさえながら、胃からせり上がってくるなにかを必死で飲み込んだ。
「住む所も、もう決まってるから」
「……どこに行くんだ」
「……おしえない」
「どうして」
 顔をあげようとしない玲二は、出会って間もない頃のようだった。あの時も、こいつは目を合わせようとせずに下を向いていた。今日は、よく喋ってこそいるけど、これじゃああの時と変わらないじゃないか。
「おれのことは、もう、忘れて」
「なに、言って」
「おれも、忘れるから」
「待……」
「お別れだよ、一輝」
 玲二が目は伏せたまま、軽く顎をあげた。眉間にしわが寄っている。口元が歪んでいる。感情のない声が、涙で掠れた。
 なんで、なんでそんな辛そうな顔してるんだ。そんな顔、見たくない。お前にはいつだって笑っていて欲しい。俺は、俺は。

 ――結構矢印向いてるような気もするけど。
 ――恋愛感情。お前から、高見沢に。

 そうか。ヤマトが言っていたのは、こういうことだったのか。どうして俺は、今まで気がつかなかったんだろう。
 俺は、ずっと、玲二のことが好きだったんだ。
「……ッ、なんだよ、それ」
「もう会うことも、ない」
「待てよ。俺の気持ちは無視かよ」
 自然と語気が強くなった。淡々と言葉を紡ぐ玲二に腹がたった。俺の言葉を、気持ちを無視されているようで腹がたった。
 玲二は変わらず続ける。
「ごめん。もう、出てって」
「待てって!」
「出てけ!」
 玲二が叫んだ。こんなに大きな声を出す玲二は初めてだった。その事実にも、どうしようもなく苛々する。頭の中が熱い。煮えてるみたいだ。俺は拳を強く握って叫んだ。
「俺の、話を、聞け!」
 足早に玲二へ近付いた。怯えたように身を引く玲二を壁際に追い詰めて、顔の両側に腕を付く。ぐっと距離がつまって、ひゅっと小さく息を飲む声が聞こえた。至近距離でようやく玲二と目が合う。大きく開かれた瞳が、目の前にある。
 じっと彼の瞳を見つめながら、声を振り絞った。
「俺は、お前が、好きなんだよ……」
 そう言うが早いか、俺は玲二に顔を近付けた。玲二の唇に俺のそれを押し当てる。歯と歯ががつんとぶつかったけど、痛みは感じなかった。男同士なのに、とかいう世間一般の常識やモラルはすっかり頭から吹っ飛んでいた。
 唇を離す。玲二は目を丸くしたまま、口を軽く開いて、つうっと一筋涙を零した。続いて二つ、三つと筋をつくる。小さく嗚咽も聞こえてきた。
 泣き出した彼を見て、ようやく頭が冷えた。全身から血の気が引く。心臓がばくばく鳴り出した。
「れ、玲二、ごめん。こんなことするつもりじゃ」
「…………って……」
「え?」
 か細い声が玲二の唇から洩れる。聞き取れずに聞き返した。
「出てっ、て」
 震える声に滲んだ、はっきりとした拒否反応。鈍器で殴られたみたいな衝撃を頭に感じた。
 ふらふらしながらなんとか立ち上がって、部屋を出た。裕香さんへの挨拶もおざなりに済ませて、さっさと玄関をくぐった。
 残暑が俺の背中を焦がす。ぶつけた歯が今更痛んだ。
 ――傷付けた。泣かせた。
 なにが笑っていて欲しいだ。
 なにが好きだ。
 俺は、あいつに何をしたんだ。自分の手綱も操れないのか。
 ひたすら自問自答する。じんわりと視界が歪んだが、雫をこぼさないように上を向く。俺に泣く資格なんかあるもんか。
 こんなの、最低だ。
 ――最低だ。




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