「……あ、もうこんな時間。わたし、そろそろ帰りますね」
「よし、帰れ帰れ」
「そうですね、帰りますね、お邪魔でしたね、相田さんごめんなさい」
「……まだ言ってるのかお前。違うって言ってるだろ」
「どうでしょうね?」
「うっぜえ」
「ふふ。あっ、玲二さん!」
「なっ、なに?」
 ひとりでぐるぐる考えをまわしていると、すみれさんに急に声をかけられた。びっくりして肩がはねる。
「わ、驚かせてごめんなさい。……また、遊びに来てもいいですか?」
「もちろん、です」
「よかった」
 おれが了承すると、すみれさんはふんわり笑って携帯を取り出した。今流行りのスマートフォンではなく、俺と同じ会社のガラパゴスケータイ。メールアドレスを交換するらしい。
「玲二さん、受信してくれますか?」
 おれは生まれて初めて赤外線通信とやらを使った。話には聞いていたが、あっという間だ。科学の力ってすごい。
「じゃあ、暇なときにでもメールしてください。待ってます」
「……うん」
「へへ。ではでは、お邪魔しました」
 にこにこ笑いながら手を振る彼女におれも小さく応えて、ふうと一息ついた。つかれた。
「玲二、大丈夫か」
「なにが?」
「……大丈夫なら、いい」
 どうやら普段人と関わりを持たないおれを心配してくれたみたいだった。つかれたけど、それ以上におれは今日、楽しかった。大丈夫だよ。それはきっと一輝のおかげなんだ。多分一輝は、おれが思ってるよりずっと大きななにかなんだよ。
 伝えたいことはたくさんあるのに、話したいこともたくさんあるのに、言葉にできないのがもどかしい。
「……一輝、」
「なに?」
「あ、あの」
「うん」
 一輝はゆるりと微笑んで、おれの言葉を待つ。気持ちが落ち着いてきたころになって、ようやくおれは文章を紡いだ。
「今日はありがとう、一輝」
「こちらこそ、ありがとう。急に変なの連れてきてごめんな」
「ううん。……おれは、楽しかったよ」
「よかった」
「あ、それから、」
「うん」
「もし、暇なら、でいいから、おれに勉強を教えてほしい」
「勉強?」
「うん。……学校、ちゃんと行きたいなって思って。行けるかどうかは、わかんないけど」
 これは前から考えていたこと。
 本当は、勉強を教えてもらうというよりも、人との会話になれることのほうが目的なんだけど。
「わかった。いいよ」
「……ありがと」
「玲二のため、だもんな」
 そう言っていたずらっぽく笑った顔に、どきんと心臓が跳ねた。
 動悸、がする。緊張してるわけじゃないのに。あつい、どこもかしこもあつい。なんだこれ、なんだこれ。
「じゃあ、俺もそろそろ帰るな」
「あっ」
「ん?」
 立ち上がった一輝を引き止めるように、無意識に服の袖を掴んでいた。慌てて離すと、ゆっくりと頭を撫でられる。
「……ありがとう、一輝」
「別にいいって。また来るな」
「うん」
 ドアを閉めるまで一輝を見送ってから、床にへたりこんだ。まだ動悸はおさまらない。フローリングの冷たさがほてった頬に心地好かった。
 駄目だ、と制止する声が聞こえる。男同士なのに、と揶揄する声も聞こえる。勘違いだと叫ぶ声も、諦めろと諭す声も聞こえる。どれも正しい。正しいはずだ。おれはこの頭の中を駆け巡る声に従うべきだ。
 そう思うのに、気が付いてしまった。そんなこと、できやしないんだって。

 おれは、おれは一輝のことが――。




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