煌々と星が瞬く、雲ひとつない夏の夜のことでした。僕はひとり浜辺に座って、海と、月と、星をなんともなしに眺めていました。お巡りさんに見つかってしまうと、補導されてしまいかねない時間にです。
 というのも僕は、家出をしているところだったのです。
 理由は、今でもよくわかりません。気がついたら、足音をたてないように、息を潜めて、そっと鍵を回して、ぼうっと歩いて、ここまで来てしまっていました。
 いったいどれほどの時間が過ぎたのか、そんなことは知るよしもありません。なにをするでもなく、そこに座っていました。
 潮のかおりと、夏の夜のにおいが僕を包んでいました。この辺りには明かりがないので、小さな星もよく見えます。聞こえるのは、寄せては返す波の音だけ。
 ずっとこのままでいいのに。時間なんて、止まってしまえばいいのに。
 そんなことを、取り留めもなく考えながら空を見上げていると、カシャン、と音が聞こえました。
 波の音とは明らかに違う音。カメラのシャッターを切る音のようでした。
 驚いて後ろを振り向くと、いつのまにか、そこにはカメラを構えた青年が立っていたのです。高校生ぐらいでしょうか、僕よりもいくつか年上のようでした。
 僕はよっぽど変なかおをしていたようです。お兄さんは困ったように眉を下げて笑いました。
「ごめんね。驚かすつもりは、なかったんだけれど。あんまりいい絵だったものだから」
「……いえ」
 彼はカメラを下ろして、僕のそばに歩んできました。ほら、と見せられたデジタルカメラのディスプレイには、暗い空と海と僕が写っていました。確かに、なかなかいい構図であるように思えました。
 ざあざあと、波が音をたてます。お兄さんは僕の隣に腰を下ろしながら、尋ねました。
「どうしたの、こんな時間に」
「……」
「家出?」
「……はい」
「どうして?」
「……さぁ、どうしてでしょう。わかりません」
「ふうん」
 自分から聞いておきながら、あまり興味は持っていないようでした。それからしばらく、特に会話をすることもなく、二人で海を眺めていました。
「君さ、」
「はい」
「……いや、やっぱりいいや」
「そうですか」
 それなりに長い間この町に住んでいますが、彼のような人を見かけたことはなかったと思います。もしかしたら、すれ違ったりしていたのかもしれませんが、少なくとも印象には残っていません。
 普段とは違う表情を見せる海と、関係のないお兄さん。自分の知らない世界に逃走してきたような気分でした。
 お兄さんとは一度も、目は合わせませんでした。彼の顔も、しっかり見ていません。もう少し見ていればよかったとも、見なくてよかったとも思います。


 知らない間に、海と空の隙間が明るくなっていました。どうやら眠ってしまっていたようで、隣にいたお兄さんの姿もありませんでした。無防備極まりないなぁと、自分で自分を嗤って、服についた砂を払いました。
 父さんと母さんに心配をかけてしまうのは本意ではないので、僕はそそくさと家に帰って、何事もなかったようにベッドに潜り込みました。
 何故だか、とてもすっきりとした気分でした。

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