何処でも良かった。

目的という目的もなく、ふらふらとさ迷って、辿り着いたのが池袋だった。人の溢れる街なら少しぐらいは自分という存在が薄れるかと期待をした。しかし雨の日に傘もささず、ひたすらに雨に濡れる女という不思議かつ、見方によれば不気味にもとれるこのシチュエーションは割と目立つものだったようだ。おかげで黄色の布を身に付けた不良達に絡まれた。ついていない。

この状況の打開策を練ろうともしたが、どうしたっていい考えが浮かんでこない。というよりそう考える気など、元より無かったのかもしれない。
そんなこんなで、ただ沈黙を貫いていた。思いつかないのだから無駄に喋るだけというのも疲れる。

そんな私に対して不良達の苛々が増すのは当然のことだった。


―――どうしよう。


心の中でお手上げ状態の私に助け舟を出してくれたのは、片手にビニール傘を持った金髪のサングラスを掛けたバーテン姿の青年であった。




「その女は、お前等の知り合いか?」


青年のサングラス越しに見える眼光は鋭く私を射抜いていた。もしかして、こちらにも絡まれるのではないか。そんな不安が頭を過ぎる。そうだとすれば本当に運が無い。

こんな私の不安を余所に、不良達は青年を前にして、急にざわざわと仲間内で何かを話し始める。一人は顔を真っ青にさせ、もう一人は気丈な態度を取り、また一人はおろおろと視線を泳がす。そのうち気丈な態度の不良が、仲間より一歩前に出て声を上げた。


「平和島静雄が……何の用だよ!」


青年は―――平和島静雄という名前らしい。

この時の私は勿論平和島静雄という男の恐ろしさを知らなかった。だからどうしてそんなに不良達が脅えているのか明瞭には解らなかった。私から見れば、ちょっと変わった格好をしているごく普通の青年にしか見えない。いやちょっと変わった格好だから、敢えてここはそれを突っ込むべきだったのか。まぁどちらにせよ、私以上に変わった奴などそうそう居ては堪らないのだが。


「つーか、先に質問したの俺なんだけど」


静雄から放たれる少しばかり怒気を帯びたプレッシャーに、不良達の額には冷や汗が浮かぶ。気丈な態度をとっていた不良にもそれは伝わっているらしく、心なしか膝が笑っているように見える。だが次の瞬間、気丈な態度の不良がポケットから、カッターナイフを持ち出す。その手元もぷるぷると揺れていて、びびっているのは丸解りだった。

カッターナイフを見た静雄は、額に青筋を一本浮き上がらせる。


「おいおい、いきなり刃物かよ。こっちは質問しただけだろーがよ。ああ、何かまずいことでも聞いちまったってか?なら謝るけどよ……―――つか、それ持ち出す意味解ってんのか?」


びりびりと感じる怒気に思わず私が竦みそうになる。不良達もそれは同じようで、気丈な不良以外は戦意喪失の色が表情から窺える。


「う、うるせぇっ!!」


気丈な不良は完全に引き腰で叫ぶ。静雄はそれに怯んだ様子はなく、変わりにぞっとするような笑みを顔に作ったものだから不良達は完全に怖気づく。


「うるせぇだあ……?」
「ひぃっ!」
「やべぇ、やべぇよぉッ!」
「くそっ、逃げるぞ!!」


ついに身の危険を感じたらしく、不良達が一斉に身を翻して遁走した。しかし地面が雨でぬかるんでいてうまく走れないようで転んでしまったりと散々な様子だ。。


―――この青年はそんなに恐ろしい男なんだろうか。


ふと視線を不良達から静雄に戻す。すると静雄の手にはさっきまで持たれていたビニール傘はなく、変わりにあったのはベンチだった。ベンチというのは公園等の設備に置かれてある数人掛けの長椅子だ。それがどうしてか、平和島静雄の手にあるのだ。こともあろうか平然と片手でベンチを持ち上げている。この異常な光景に、私は愕然とした。

ここにきて、漸く不良達が逃げた理由がはっきりと解ったのだ。


「誰が逃げて言いつったよごらぁぁああ!!!」


大振りなスイングで、ベンチを不良達へと目掛けて投げ付ける。それは鈍い音を立てて空気を切り裂き一直線に突き進む。それがまるでボーリングのピンを倒す要領で不良達を見事に薙ぎ倒した。

それに再び私は愕然とする。開いた口が塞がらないとは正にこの事だ。
今まで私が生きてきた中で、このような人間を見たことがない。常識以上の腕力をこの男は持っている。しかもそれは間違いなく常軌を逸している。


「……あー、またやっちまった」


ずれたサングラスを指で直しながら、地面に転がるビニール傘を静雄は持ち上げた。この時まで気付かなかったが、ビニール傘の柄は異様な方向に曲がっていた。ベンチを投げるぐらいだから、これぐらいのことは朝飯前なのだろう。

怖々静雄を見上げる。だが、怒りは引いてしまったのか表情はさっきと違って穏やかになっているように見えた。そうしていると、不幸にも視線がばっちりと合ってしまった。ああ、しまった!と嘆くのも時既に遅く、静雄が先に口を開いた。


「その、なんだ……えっと」


頬を指で掻きながらしどろもどろに静雄は言う。
まるで先程とは別人のような態度に、私の混乱は最高潮に達した。どうすればいいか解らぬまま口を開いたり閉じたりを繰り返し、挙げ句膝に両手をつき、きゅっと固く拳を結んで顔を伏せ、身を強張らせた。不安と絶望と、恐怖が私の心を浸食していく。幾ら考えても思うように頭が働かない。このまま黙っていて静雄を怒らせてしまえば、私がさっきの不良達の二の舞になることは解っているのに……。





「風邪……ひくだろ」


不意に、身体を叩いていた雨の感触が無くなった。

顔をあげ見てみると、静雄の持っているビニール傘が私の頭上にある。これで今日驚くのは何度目になるだろう。


「女が身体冷やすのはよくないんだろ」


しとしと、と降り注ぐ雨が静雄の肩を濡らしていく。


「もう遅いとかって、……突っ込むなよ」


ぶっきらぼうな物言いの裏に隠れた優しさが歯痒く戸惑ったが、まだ私はこの優しさを無下に出来るほど人間として腐ってはいないらしい。


「……───ありがとう」


久し振りに心の底から思えた純粋な気持ちだった。





心戸惑いアンブレラ
(案外優しい人なのかもしれない)




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