掌を見つめる。
ひめちゃんの手首を掴んでいたそれは、急に彼女の姿が消失えたことにより行き場を無くしてしまった。
“そんな顔しないで、禊くん”
自分が言葉を発したことに彼女自身は気付いてなかったみたいだけど、僕の耳には確かに届いた。一瞬都合の良い聞き間違いかと思ったけれど、僕がひめちゃんの声を聞き間違える訳ない。確かに彼女は僕を労った。以前付き合っていた時の呼び方で、僕の名前を読んだ。
もしかしたら、全部消失えてしまった訳ではないのかもしれない。江迎ちゃんの過負荷をなかったことに出来なかったように、ひめちゃんの記憶も、もしかしたら全部消失せなかったのかもしれない。その考えに辿り着いた時には、彼女の腕を強く掴んであの時ひめちゃんに伝えられなかったことを言おうと、後先も体裁も考えずに口を開いていた。
最も、最後まで伝える前にひめちゃんは消失えてしまったけれど。
でも、僕は諦めない。ひめちゃんの記憶が全て消失えた訳じゃないなら、きっと可能性が――
「そんなの、やるだけ無駄だぜ」
「『……』『…安心院さん』『そんなの、やってみないと分からないだろ?』」
「随分と過負荷らしくないことを言うようになったじゃないか。でも、無駄だぜ。僕が黙って指銜えて見てると思うかい?」
「『……それでも、』『僕はひめちゃんとちゃんと話をしなきゃいけない』」
「ひめちゃんの方は話すことなんてないと思うぜ?ひめちゃんが同じ時間を繰り返していたのを知ってるだろう?百年の恋も冷めるってもんさ」
まぁ実際は千年以上繰り返してたけどね、と皮肉に笑う安心院さんを睨みつける。そんなの意に介さないと言うように、安心院さんは表情を崩さなかった。
「『安心院さん…』『一つ聞きたいんだけど』」
「何かな?」
「『ひめちゃんのあのスキルは何だい』」
ぴたりと一瞬動きを止める安心院さんに、畳み掛けるように僕は言葉を続ける。
「『ひめちゃんのスキルは僕と同系統だ』『だからこそ、最近のひめちゃんの動きは可笑しい』」
ひめちゃんのスキルは望んだ物を消失すことだ。
相手との距離を消失して間合いを詰めることや、詰められた間合いを消失して距離を取ることは出来ても、安心院さんの腑罪証明ように何時でも何処でも現れるなんて出来るはずがない。
「その通り。ひめちゃんの世界の消失は消失すことしか出来ない。受けたダメージを消失すことは出来ても、ダメージを受けないことが出来ないようにね」
「なら、一体――」
「……腑罪証明に似たスキルをひめちゃんに貸してるっていうのはどうかな?」
今し方思い付きましたと言うように、手振り付きでおどける安心院さんに眉根を寄せる。
暫し沈黙した空気が続いたが、観念したように安心院さんは肩を竦めた。
「全く、ちょっとしたジョークなのに…球磨川くんたらノリ悪いぜー」
「安心院さん…」
「まぁまぁ、そう怒るなよ球磨川くん。さっきの質問だろ?つまりひめちゃんにはね、恋人だった君すら知らない秘密があるんだ」
ただそれを、僕が知ってるってだけの話さ。
そう話す安心院さんは先程の笑顔とは一転、この世の全てを平等に見下す目をしていて。
「ひめちゃんが欲しいなら自分で見つけてみなよ球磨川くん。最も、ひめちゃんはあげないけどね」
言いたいことを言うと、安心院さんは腑罪証明を使ってそのまま消えてしまった。
一人校舎裏に取り残された僕は、もう一度掌を見つめる。今頃、安心院さんはひめちゃんと一緒に居るんだろうか。
目蓋を閉じれば、笑顔で僕の名前を呼ぶひめちゃんが浮かぶ。
「ひめ、ちゃん」
諦めない諦めたくない。
例え、僕の知ってるひめちゃんがもう何処にも居ないとしても。
それでも、僕は。