「折角ひめちゃんが勇気を出して引き止めたっていうのに…球磨川くんったらどうしようもない男だぜ」
とある教室の一室。
やれやれと首を横に振った安心院は教壇に寄り掛かる。そして窓際に立つ少女にもいい加減諦めたらどうだい?と言葉を紡ぐ。
この部屋…否、この世界には彼女と窓際で俯いている彼女の二人しか存在しない。つまり彼女――安心院なじみが話しかけたのは彼女――黒神ひめの他にいないのだが、窓際に立ち肩を震わせている彼女から返事が返ってくる気配はない。
そんな彼女の姿が微笑ましく思えて、なじみは溜め息を吐き再び口を開いた。
「さて、ひめちゃん。1万8752回目のこの光景への感想はあるかな?」
教壇に預けていた体重を両足に戻し、窓際に佇む彼女へと足を進める。
「これまで1万8751回球磨川くんとめだかちゃんが和解する時間を消失させて、新たに時間を刻んできたけれども、一度でも結末が変わったことがあったかい?」
「やめて……」
「一度でも、球磨川くんがめだかちゃんに愛を囁かなかったことはあったかい?」
「やめて……っ」
「一度でも、ひめちゃんを捨てなかったことはあ…」
「やめてぇぇぇぇぇっ!!!」
嫌々と首を振りながら耳を塞いで膝から崩れるひめ。彼女の目からはぽろぽろと涙が零れていて、愚かしく美しい彼女に自然と安心院の口角が上がる。
壊れかかってる彼女の心を壊すなんて、赤子の手を捻るのと同じくらい簡単なこと。それを実行に移すべく、彼女の傍らにしゃがみ込み震えるその両肩に手を添えた。
「ひめちゃんは頑張ったよ。何度も同じ時間を繰り返すなんてそうそうできる事じゃない。普通の人間だったらとっくに廃人になってるさ」
「なじみちゃ…」
「ひめちゃん、僕はひめちゃんが心配なんだ。君がこんなに傷付いてることを、誰一人も分かってない。もう、いいじゃないか。ひめちゃんにだって球磨川くんみたいに幸せになる権利はあるんだぜ?」
「私が、幸せに…?」
涙に濡れた二つの瞳が安心院を見上げる。ゾクゾクと悪寒に似て非なる感覚が背筋に走るを感じながら、両手を彼女の頬に滑らせて涙を拭う。
「……でも、私…」
「僕だったら、ひめちゃんを一人にさせたりしない。球磨川くんみたいに、ひめちゃんを置いていったりしないぜ」
「…ほんとに?」
「勿論、本当だとも」
「ほんとのほんとに…私を捨てたりしない?」
頬に添えられた安心院の手にひめは縋るように、怯えるように、そっと自身の手を重ねた。
「僕が可愛いひめちゃんを捨てる訳ないだろう」
「僕はひめちゃんが苦しんでいるのは見てられないんだ」
「だから、」
安心院は立ち上がり、傍らに座り込む彼女に手を差し延べる。内心笑いが止まらないが、それを顔に出すことはしなかった。
あと、もう一息、
「――だから、ぜーんぶ消しちゃおうぜ?」
「―――――ひめちゃん?」
「ん?どうしたのだ球磨川」
「――――いや、なんでもないよ」