一面大理石の床、高い天井に鎮座する絢爛なシャンデリア。相変わらずすごい豪邸だと内心息を吐きながら、顔なじみであるハウスキーパーさんにお辞儀して足を進める。
目的地である一角の部屋の前に辿り着いたと同時に、私はドアノブに手をかけた。
「瑛一、いきなり呼び出して何のよ…」
扉を開いた先にいたこの部屋の主は、どうやら着替えの真っ最中だったようでその引き締まった上半身を露わにしていた。
ああごめんと軽く謝りながら、後ろ手で扉を閉める。
「……お前、もう少し恥じらうとかないのか」
「何よ今更。小さい頃散々お互いの裸見たじゃない」
「天下のアイドル、HE★VENS鳳瑛一の上半身裸を見てその態度とは…嘆かわしい」
「そういうのはファンの子に求めなさい」
オーバーリアクションで肩を竦める瑛一に、いい加減早く服着なさいよと突っ込めば、瑛一は漸く傍にあった黒いシャツに手を伸ばした。
とりあえず瑛一が着替え終わるのを待とうと、いつもの定位置であるふかふかでそれはもう座り心地の良いソファーに腰を下ろす。
「あの靴は、綺羅からの貢ぎ物か?」
瑛一の言葉に、最近よく履いているボルドーのパンプスを思い出す。さっきも玄関で脱いできたそれは、先日街で綺羅と会った時に彼にプレゼントしてもらった物だ。
確かに、綺羅から貰ったものだけど貢ぎ物って…失礼な。
「……でもよく綺羅からって分かったわね」
「全く、油断も隙もないな」
「…え?何か言っ、」
急に視界が反転して、絢爛な室内灯と瑛一の顔が視界に写る。背中を預けている皮張りのソファー。瑛一に押し倒され、且つ彼に馬乗りされているこの状況に目を見開く。一体何がしたいのよ、と瑛一を見遣ればいつものニヒルな笑みを浮かべた瑛一が口を開いた。
「怜香、俺の女になれ」
「……何よその冗談。笑えない」
「俺は本気だぞ?昔からずっと、お前を俺の物にしたいと思っていた」
そう言いながら、瑛一は気障ったらしく私の髪を一房手にして口づけてきた。
昔から?そんなの嘘だ。だって瑛一には学生時代ずっと隣に女の子が居たじゃない。隣に立つ子は代わる代わるだったけれど、それでも幼なじみである私が勘違いされてばっちりを受けることも少なくなかった。
「嘘ばっかり。瑛一、付き合ってる子いっぱい居たじゃない」
「あの女達は全員遊んでただけだ。それに、お前の反応を見るのも楽しかったからな」
「……意味が分からないんだけど」
「お前、俺に惚れてただろう」
バイオレットの瞳に射抜かれて息が止まると同時に、閉じ込めていた学生時代の記憶が蘇ってきて。
瑛一に恋していた学生時代。どれだけ自分を磨いても、瑛一が私に振り向くことはなかった。そのことが辛くて耐えられなかった私は、その恋心に鎖を何十にも巻いて鍵を掛けて捨てたのだ。
それを、この男は今なんて言った?私の気持ちに気付いてて女の子と遊んでたなんて、悪趣味にも程がある…!
「お前は本当分かりやすくて飽きないな。この間も愉しませて貰ったぞ」
「何の……っ、まさか私がいるのを知ってて七海春歌にあんな…!」
左だけ上がった瑛一の口角に、私の考えが当たっているを悟る。私が、あの言葉にどれだけ傷付いて悩んだか…!
限界まで血が上っていた私は気付けば手を振り上げていて。このまま下ろせば瑛一の顔に当たる。普段なら絶対にしない行為だけれど、冷静に判断する思考は持ち合わせていなかった。
しかし、私の手は瑛一の顔に辿り着く前に絡め取られソファーに押し付けられる。代わりに罵倒しようと口を開くも、それは叶わなかった。
「ん、…んんっ……ぁ、」
開けた口から舌を差し込まれ、自身のそれを絡め取られる。息継ぎすら許されない激しいキスに、段々と苦しくなって瑛一の胸板を押すもびくともしない。
苦しさに生理的な涙が流れ、もう限界だと内心悲鳴を上げた途端、瑛一の唇が離れ私は噎せながら酸素を取り込む。
「…はぁっ、…っ最低、馬鹿、変態っ!」
「散々な言いようだな」
「言われるようなことするからでしょう!」
私を見下ろす瑛一に負けじと睨みつければ、愉快そうに目を細められた。嗚呼、そういえば瑛一はこういう奴だった。こんな反応はこの男を悦ばすだけ。
せめてもの抵抗に、私は瑛一から顔を逸らした。
「俺の彼女になれるなんて、この上ない名誉だろう」
「本っ当、自意識過剰よね」
「でも、そんな俺が好きだった。違うか?」
「……今は、好きじゃないわ」
「ふっ…賭けを、しようじゃないか」
顔は逸らしたまま、瑛一の提案に眉を顰める。恋人になるならないを賭け事で決めようだなんて、そんな馬鹿な話ない。しかも、続けられた言葉に絶句する。
「明日のライブ対決でHE★VENSが勝ったら、お前は俺のモノになれ」
「な…っ、それ賭け事になってないじゃない!」
思わず瑛一の方に振り向いて声を荒げる。すると、瑛一が勝ったと言わんばかりに口角を上げた。自分の失態に気付くまで数秒。悔しくて瑛一を罵倒しようと口を開いた私は言葉を失う。
だって、瑛一の眼がいつになく真剣だったから。
「そうだ、俺を見ろ怜香……」
「え、いち……」
声が掠れる。瑛一絡め取られていた手が、緩慢な動きで瑛一の方へと持って行かれる。手首に温かいものが触れたと同時に、顔に熱が集まるのを感じた。
チクリと、手首に痛みが生じる。
「お前はもう俺のモノだ」
そうだろう?と自信満々に問われて。
きっと私は雰囲気に酔っていたのだ、流されていたのだ。そうでなければ、私がこんな返事を返す訳ないのだから。
「賭けに、勝ったらね」
私の答えに、瑛一は満足げに微笑んだ。
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手首へのキス:欲望