初恋キャラメリゼ


―初恋とは甘くて、ほんの少しの苦みを秘めてる。



神宮寺レンは物思いに耽っていた。
授業が全て終わった放課後のこの時間は何だか憂鬱で、直ぐに家には帰りたくない。
そんな彼の横でかっこいいだの悩ましい顔も素敵だのと
持て囃す女子を横目に、溜息を吐き出す自分がいる。
見慣れた光景と言われればそれまでだが、今はそっとしておいてほしい。

「女性には優しく」をがモットーの自分の筈なのにけれど今は他の女の子と遊ぶ気になんてなれない。

窓際の一番後ろの席。
ここから何時も見える小さな背中。
こんなにも自分を悩ませる罪深い少女が座っている。
何かを真剣に書いているその後ろ姿は何処か必死で可愛らしい。
華奢な体で、時折フワリと揺れる髪が甘い匂いをさせていたのを思い出して
レンは胸が熱くなった。
暫く見つめていると少女は不意に立ち上がり席を立つ。
(あ…っ)
もう少し、ほんの少しだけでいい―眺めていたかった。

目でその後ろ姿を追えば、鞄を持った少女はけれどまっすぐに下駄箱のある方にはいかずに
反対の廊下へと進んでいく。
(…図書室……?)
その先にあるのはパソコンルームと図書室くらいなものだ。
何時も本を読んでいる彼女が向かうのはそこ位しか思い当たらない。
レンはいても立ってもいられずに席を立つと、引き止める女子にまた明日と軽く挨拶をして
教室を抜け出す。

少しだけ日が傾き始めた夕暮れは、けれど満開に咲いた桜がハラハラと舞い、
とても綺麗な情景を描いている。
ドキドキと弾む鼓動に、胸を押さえて早歩きで図書室へと向かう。
ほどなくして図書室が見えてきた。他の教室は明かりが落とされて人の気配も無いのに、
図書室から漏れる一筋の明かりにはここに彼女がいる事を示している。
そっとドアに触れてノブを捻れば、常であればこんな所には不似合いの自分は
異世界にでも迷いこんだかの様だ。中等部の図書室は高等部よりは小さいものの
多種多様な本が揃えられている。一歩足を踏み入れると、何処か懐かしい様な
本独特の匂いがして。
椅子と机が一面に並べられたそこには彼女の姿は見当たらない。
机の上にちょこんと乗せられた彼女の鞄だけがそこにある。
奥の本棚でお目当ての本を見つけているのだろうか、レンは意を決してそちらへと足を進める。

足を進めるにつれて、まるで破裂しそうな程に胸がドキドキと脈打っているのが
自分自身でも分かる。
容姿は優れている方だと自覚している。周りの女性がチヤホヤと自分に構ってくれるのは嬉しい事だ。
けれど、彼女の前ではどうしてもそんな自分を見られたくないと思っている自分がいる。
軟派な男だと、軽い男だとは思われたくないのだ。
―きっと、これは初恋。
だって気づけば何時だって彼女の事を考えているのだから。
あまり会話をした事は無いけれど、控えめな性格の彼女。
あれは今日の様に夕暮れの教室だっただろうか、何だか家に帰るのが億劫で一人で夕暮れの教室で
空を眺めていた。時々自分は誰にも必要とされていないのではないのかと思う時がある。
必死になったって自分が掴めるものは限られている。努力してもどうにも出来ない事もある。
何かが欲しいと必死になる傍らでは何処か冷めた自分がいる。
その狭間でもがいている自分がいる。
重い溜息を吐き出して机に突っ伏していると、突然ガラリと開かれた扉にビクリと体が跳ねた。
こんな時間に自分以外の生徒が残っていたのかと視線を向ければ、
そこにはキョトンとこちらを見つめる一人の少女がいて。

「ぁ……」

小さなまるで鈴を転がした様な声で戸惑いがちにすいませんと告げると彼女は自分の机の横へと急ぐ。
彼女を全く知らないわけではないけれど、どちらかというとクラスでも影の薄い少女だ。
そう言われてみれば彼女が誰か他の女の子と会話しているのを見た事が無い。
レンは興味深そうにその背中を見つめる。七海春歌、彼女の名前はそうだ、春歌だった。
視界を隠すかの様に長めの前髪、肩より少し長い位の亜麻色の髪の少女。

薄暗い教室に少しだけ息苦しい静寂。
体を起こして外を見やれば、先程よりも空が蒼褪めている。

「…随分と遅くまで残ってるんだね」

気づけばスルリと口から出ていた言葉に、自分でも驚いていた。
静寂は嫌いじゃない。不思議とこの空間が嫌では無い自分がいる。
外を見つめていた視線をこちらへと向けると、驚いた様な彼女の瞳と目があって。

「…どうか、した?」
立ち竦んだまま何も返さない彼女が不思議でそう問えば、
「…いえ、あの…なんでも…ビックリして」
小さな声。初めて聞いたわけでもないのに何処か新鮮なその声に、レンは耳を傾ける。
「えっと、その…神宮寺君もこんなに遅くまで残って……」

何をして、と言いかけた所で口を不自然に噤んだ春歌に不思議そうな顔をすれば
いいえ、何でもとまた小さな声が聞こえて。
あまり人と話をするのが得意ではない事が伺える。まるで怯える子猫の様に
ビクビクとして内気。何だか守ってあげたくなる様なそんな様子に
どうしてだか、どうしてなのだろうか。胸が少しキュゥと引き締められる様な
その感覚に、自分でもどうしてしまったのか分からずにそこの立ち竦んでいた。

そうして瞬く間に、さようならと小さな声で背を向けた少女を茫然と
暗い教室で見送ったのは、まだそう遠くは無い日の事で。
待ってと、言う暇さえなく自分に背を向ける少女にどこか物悲しい気持ちになって
その日は何だか一人になりたくなくて…そこまで思い出してまた溜息を吐き出す。




* * *



左から三番目、音楽関係の書籍が置いてある棚にその姿を見つけて、けれどレンは足を止めた。
自分は何をしているのだろうか。彼女を追いかけてここまでやってきたものの、自分はどうしたいのだろうか。
数十メートル先の彼女との距離が、今の自分達の距離の様に思えてレンはまた立ち竦む。
気配にすら気づかずに必死に本棚へと手を伸ばす彼女。
届かないのだろう、必死に背伸びする彼女に居ても立ってもいられずに歩みを進める。

「…あっ……」
目的の本に指先が届くものの、掠めるばかりで一生懸命背伸びをしていた後ろから
ヒョイとその本を取り上げられて、春歌は思わず驚きの声を上げる。
「……神宮寺君……?」

突然自分の背後に人がいた事に驚いたのだろうか。少しだけ乱れた髪の間から
見える大きな瞳は驚きに見開いていた。
「目的の本はこれだけ…?」
前に話した時はこれ程近い距離にいなかったからまずその身長差に驚いた。
彼女はこんなにも小さかっただろうか。
本棚から抜きとった本を彼女へと手渡せば、
「あ、有難うございますっ!」
距離が近いからだろうか、大きな声で返事が返ってきて多少なりとも驚いた。

「あの…どうしてここに?」
受け取った本を胸に抱いて控えめに問いかけられる。
背が低いので見上げる形になる彼女のその上目使いに、ドクンと胸が跳ねた。

「…ちょっと探し物があって、ね」

何処となく後ろめたいが理由が君を追いかけてなんて言えるわけもなく
濁す様な形で返答すれば、そうだったんですね。そう言って何も疑わない彼女の声に
会話が出来ただけで弾む胸がバレやしないかと内心冷や冷やとする。
彼女といると、自分の知らない感情が生まれる。ドキドキしたり、嬉しくなったり。


「それよりも、もう届かない本は無い?折角だからね、俺も探すのを手伝うよ」

本当はもっと彼女と一緒にいたいだけ。
こうして会話したいだけ。
その瞳を見ていたいだけ。
どれもこれもらしくない感情ばかりで、何だか情けなくなってくる。
こんな自分は、知らない。

「いえ、もう大丈夫です。…それよりも、神宮寺君の探している本は…?」
「あぁ、それはもう大丈夫」

キョロキョロと周りを見渡す彼女に、探し物は見つかりましたよと内心で思いつつ。
けれどもう別れなければいけない物悲しさに襲われて、らしくもなく、本当にらしくもなく唇を噛んだ。
もう少しだけ、彼女と一緒にいたい。

それ程広くない本棚の隙間で向かいあう様に会話を交わしているだけなのに。
それだけで何処か穏やかな気持ちになれるのはどうしてなんだろうか。

「それ、ピアノの本……?」

ふと目に留まった彼女が抱えている書籍は表紙がとてもクラシックな装飾になっていて
ピアノの絵が描かれている。彼女はピアノを弾くのだろうか?それとも音楽が好きで
こういった書籍にも目を通すのだろうか。
興味ばかりが先走る。
「…えっと、はい…ピアノ、好き、で」

まるでスタッカートみたいに途切れ途切れの言葉に苦笑しつつも
彼女がピアノを弾く様を想像して笑みが浮かぶ。
きっと軽やかな音を奏でるに違いない。

「ならさ、今度俺に聴かせてよ君のピアノ」

目の前で少し傾いた彼女がその言葉にふいと視線を上げる。
どうして、と言うかの様に見開かれた瞳が零れ落ちそうでとても可愛い。
目にかかる髪をスッと伸ばした指で横に払えば、隠れていた綺麗な瞳が俺だけを見つめている。
長い睫と、小さな赤い唇。
何時の間にか指で辿る様に頬に手を伸ばせば、彼女の顔はみるみる真っ赤になって、そして。

「あ、あのっ…ごめんなさい…!!」

まるで小動物の様に飛びのいて、そして鞄の所まで走ると凄い勢いで図書室を後にする、彼女の後姿。

「あ、待って…っ……!!」

伸ばした腕は遅く、届かなかった。
けれど今しがた彼女に触れていた指がとても熱く。それが夢では無かったと思い知らせてくれる。
まろやかな頬のぬくもり。微かな息遣いすら聞こえる程の距離に彼女が居て、触れていた。


「…………かわい、すぎっ……」

こんな真っ赤な顔はきっと誰にも見せる事は出来ない。
初恋とはこんなにも胸が苦しくて、そして溶ける程甘く切ないのだろうか。
彼女の事が、好きだ。
指をキュッと握りしめれば、彼女のぬくもりが蘇る様な気がした。




―次に会った時はどんな事を話そうか。
それを考えただけでこんなにも幸せな気持ちになれる。


初恋はとても甘くて、少しだけ苦い。





 up 2012/05/31

DebutのSSの年相応の過ごし方を読んで萌えあがってしまった産物です…。
春ちゃんが神宮寺君て読んでる時点でやばいのに
神宮寺さん短髪とかもうレン春有難うございました!!





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