※神童(←)霧野←狩屋


















「こんなところにいたのか」


 背後からその声が聞こえてきた瞬間、俺は深く深く溜息をついた。あぁ、最悪だ。よりにもよって、この人に見つかるなんて。こっちにくるなと威嚇の意味をこめて眉根を寄せてみるものの、背後に立つ霧野先輩にはそんなの見えるはずもない。無遠慮に俺の隣に腰掛けた霧野先輩を、ただひたすら恨めしく思った。

「どうしたんだよ狩屋、サボりなんて珍しいな」
「…ほっといて下さいよ」
「てめ、わざわざ探しにきてやったのにそれはないだろー?」

 あぁ、最悪だ、最悪だ、最悪だ。この人に会いたくないからわざわざ部活をサボったってのに、まさかこの人が探しにくるとは思わなかった。俺はもう一度、今度は霧野先輩に聞こえるように大きく溜息をついた。

 霧野先輩を見ていると、なんだかムカムカしてくる。
そんな感情を抱くようになったのは、今から一週間くらい前の話だ。霧野先輩が誰かと話しているのを見ると腹が立ったり、霧野先輩と上手に話すことが出来なくなったり、霧野先輩と目を合わせる事が苦手になったり、ちょっと俺これ軽く病気なんじゃね、って思うような事がここ一週間でいっぱい増えた。その症状がかなり悪化してしまったようで、ついに部活にまで影響を出し始めたのが三日前。霧野先輩とサッカーをすることすら出来なくなってしまった俺は、逃げ場を探してここに来たのだ。

「最近狩屋様子おかしかったもんなー」
「…」

うるせえな、いちいちそんな事まで気配ってんじゃねぇよ。っていうか、誰のせいだと思ってんだよ誰の。アンタが部活に顔出すから、俺がこうやってサボるハメになるんだぞ。
我ながら酷い責任転嫁を心の中で零しながらも、どういう訳か霧野先輩が見つけてくれたのだという事実を嬉しいと感じている自分に酷く戸惑った。

「なんか悩み事か?…あ、もしかして、恋とか?」
「…っ!?ば、」
「お、ドンピシャか。人生の先輩が相談にのってあげようか」

先輩は酒の入ったおっさんみたいなテンションで俺の背中を叩く。霧野先輩のこういう所が嫌いだ、迷惑だ。これだからこの人には会いたくなかったのに。

「違うし、そもそも人生の先輩って、ひとつしか変わらないじゃないですか!」
「それでもお前より長く生きてることに変わりはないだろ?ほら、言ってみろって」
「……」

先輩がその女みたいな顔に優しげな笑みを浮かべて、俺の心臓は一度大きく脈を打った。息が苦しくなる。霧野先輩に見つめられるとすぐこれだ。俺は認めない、この痛みが恋だなんて認めない。俺の心を引っ掻き回しているこれの正体が恋だなんて、絶対に認めたくない。

「…ていうか先輩、こんな所で油売ってないで練習戻ったほうがいいんじゃないんですか」
「狩屋に言われたくねえよ」
「まぁそれもそうなんですけど」
「…いいんだよ、今日くらい。それより、かわいい後輩の人生相談に乗ってやるほうが大事だろ」

…優しい人だ、と思う。でもだからこそその優しさが嫌だった。あれだけの事をされたというのに、どうして俺を責めないのだろう。どうして俺をかわいい後輩だなんて呼ぶのだろう。人を信じるのは怖いことだ。裏切りの痛みを知る俺は、霧野先輩みたいに優しい人間が心の底から苦手だった。

「…別に、好きな人が出来たっていう訳じゃないんですよ、ただ…」
「ほうほう」
「あの人に優しくされると、胸が痛いっていうか…あんまり会いたくないっていうか…そういう人物が出来たの初めてで、どうすればいいのかわかんなくて…」
「…」
「好きとかじゃないんだけど、なんていうか、ちょっと……って、あー俺何話してるんだろ…馬鹿みたいだ、やっぱり忘れて下さい」

霧野先輩の優しい目を見ていたらなんだか無性に恥ずかしくなってきて、俺は膝の間に顔を埋めた。先輩はそんな俺を見て、くすくすと笑う。

「狩屋はかわいいな」
「…それ、褒めてないですよね」
「狩屋はかわいいよ、自信を持て」
「いやだから持てないって」

霧野先輩の手が優しく俺の頭を撫でる。温かい手だ。胸の中が温かいもので満たされていく。ずっとこうしていられたらいいと思う。

「狩屋も青春だなー」
「だから先輩とひとつしか変わりませんって」
「それもそうか」
「…先輩は、どうなんですか」
「どうって?」
「…好きなひと、とか、いるんですか」

先輩の顔を見ることはできなかった、けれども先輩が今どんな顔をしているのかはなんとなく想像がついた。なんだよもう、狩屋、そう言って笑う霧野先輩の声は恥ずかしそうだ。照れているに違いない。

「…まぁ、いるよ」
「…」
「ずっとずっと前から、大切な人がいる」
「…ふーん」

あぁ、やっぱりか。霧野先輩が今誰のことを思い浮かべているのか、なんて、聞かなくたってわかる。胸を鋭利な刃物で突き刺された気分だ。
本当は知っていたんだ、俺がこの気持ちを素直に認めたくないのは、認めたところで叶うはずがないとわかっているから。
顔を上げる。霧野先輩は穏やかに微笑んで、どこか遠くをじっと見つめていた。
こんな優しい顔をするくせに、そんな温かい指で触れるくせに、この人は俺を愛してはくれない。俺はこの人を手に入れることはできない。わかっていたはずなのに何故だか悲しくなってきて、涙が零れそうになった。

「先輩のばーか」

無意識のうちにこぼれた言葉は、少しだけ震えていた。

「…ばか」

俺は先ほど触れてしまった先輩の温度を、きっと一生忘れることはできないのだ。失恋の味はまだ知らないけれど、それを知った時、きっと俺の胸はこんなふうに痛むのだろうと思う。




120103



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -