シュウと一緒にいると、時々夢の中にいるかのような錯覚に陥ることがある。というよりかは、彼の存在自体が夢なのではないか、と思うことがあるのだ。シュウはいつも俺の前に突然現れて、そしてまた唐突に姿を消す。彼のそんなところを、俺は届かぬ夢と重ね合わせているのかもしれない。
だからこそ、いつかシュウが俺の前から唐突に消えてしまう日がくるような気がして、どうしようもなく怖いのだ。


「…シュウ!」

 俺の声に掻き消されたシュウの軽快な鼻歌がぴたりと止まり、小さな顔がこちらに振り返った。波の音以外なにも聞こえない夜の世界はあまりに静かで、俺達ふたりがこの地球に残された最後の人間になったかのような気すらした。

「…白竜?どうしたの、そんな息切らして」
「お前を探してたんだよ…!」
「僕?どうして?」
「…」

きょとんとしてみせるシュウに、俺は深く溜息をつく。上手な返事が見当たらなくて、そのうち探すことも面倒になった俺は、無言でシュウの隣に腰掛けた。

「…白竜、へんなの」

そう言ってシュウはくすくすと笑う。変なのはお前だ、そう返してやりたかったがぐっと堪えた。
考えてみれば確かに、どうして俺はシュウの事を探しに来たのだろうか。シュウがふと目を離した隙に突然姿を消すなんて事、今に始まったわけではない。きっとまた唐突に現れるだろうと、頭では理解していた。それでも敢えて探しに来てしまった理由をあげるとすれば、今夜の星が特別綺麗だったからだろう。こんな星の夜は、彼の姿が夜空の黒に溶けて消えてしまいそうで、怖かった。こうしてじっと見つめていないと、少し目を離した隙に指先からきらきらと光になって消えてしまうのではないかと、どうしようもなく不安になるのだ。

「白竜ってさ、僕のこと大好きだよね」
「…!?」
「あ、赤くなった」

思わず反射的に目を逸らす。それはいいけどさ、そんなに凝視されると恥ずかしいんだけど、とシュウが冗談めかして言った。
シュウのことが、好き。自覚してはいなかったものの、シュウ本人に言われたその言葉が、妙にしっくりときた。確かにシュウを見ていると胸が高鳴る。触れたいと思う。その横顔を、いつまでも見つめていたいと思う。これはシュウの言った通り、俺は彼に惚れているのかもしれない。

「白竜はかわいいね」
「…こんなに嬉しくない褒め言葉は初めてだ」
「うん、やっぱり君はかわいいよ」
「…」
「僕が白竜のものだったらよかったのに」

シュウはふいに遠い目をして、宵闇に紛れた水平線を見つめた。

「…白竜が僕のものだったらよかったのに」

シュウが時々見せるその目が苦手だった。今シュウがその真っ直ぐな目で見据えている場所を、俺は知らない。それでもなんとなく、俺には届かぬ場所なのだろうと思う。そのままシュウが俺の届かぬ場所へと、ふらりと消えてしまうような気がして。

「…やるよ」
「え?」
「シュウが欲しいって言うなら、俺の全部、お前にやるよ。シュウの為に全てを捨てたっていい」
「…うん」

どうせもう究極の意味にこだわる必要など無くなった、俺に残されたものなんてほんの僅かだ。それに、どれも簡単に手離すことができるものばかり。失うことは怖くない、けれど、シュウは違う。今ここでシュウの為に全てを捨てたとしても、後悔などしない。

「…じゃあ白竜、今ここで抱きしめて」
「今?」
「誰もいないよ」
「…そういう問題じゃ、」
「ね?」

シュウはにっこりと微笑む。俺は溜息をついて、静かに彼の背中へと腕を伸ばした。
長い間風に当たっていたせいか、剥き出しの腕は冷たい。力を込めたらすぐに壊れてしまいそうだ、とぼんやりと思った。

「僕はそんな簡単に壊れたりしないよ」

…心を読まれてしまった。もっと強くとシュウがねだるので、肩を抱く腕に力を込める。そうしているうちに、俺よりも細い肩が、小さな体が、冷ややかな体温が、どうしようもなく愛おしくなってきた。このままずっとシュウの体を俺の腕の中に閉じ込めておければ、どんなにいいだろうか。いつのまにか、自分が思っていたよりも遥かにシュウのことを好きになっていたようだ。
全てを捨ててもいいだなんて言葉が、無意識のうちに口から飛び出したのは初めてだった。全てを失っても隣にいたいと、そう思えた人間に出会えたのも初めてだった。

「白竜」
「…ん」
「ありがとう、大好きだよ」
「…」
「でも全てを捨てたりなんかしないで。君はたくさんの素晴らしいものを持っている、それを全て僕の為に捨てるだなんて、嘘でも言っちゃ駄目だ」

残酷なまでに冷静な声だった。腕の中で静かにしていたシュウは、俺の胸を押し返し、静かに立ち上がる。温くなったばかりの腕をもう一度冷たい風に晒し、見えやしない水平線の向こうを真っ直ぐな目でじっと見つめた。俺の苦手な目だ。

「…君がそう言ってくれただけで、十分だよ。僕にとってこれ以上の幸福はない」
「…シュウ、」
「君と戦うことができてよかった。今日のこと、絶対に忘れない」

その目が見つめる先に、きっと俺は共に行くことはできないのだろう。シュウはいつだって、俺が本当に伝えたいことは言わせてくれない。
俺はシュウの為に全てを捨てられるんじゃない、全てを捨てたいだけだ。全て忘れて、シュウと二人でどこかに消えてしまいたいだけ。シュウが俺のものだったらよかったのに、そう望んでいるのは俺のほう。しかし、その願いは永劫に叶わないものなのだと心の底では理解している。シュウの本当に大切なものの中に俺はいない。シュウは俺のことなんて、見ていない。

「シュウは、ずるい」
「…うん、ごめんね」

いっそ夢ならよかったのに。本当に夢だったのなら、きっと目が覚めた時にはこの胸を焦がす痛みなど忘れているに違いない。それでも、頬を掠める風の冷たさは本物だ。たとえシュウの存在が夢であったとしても、俺がここにいるという事実は夢なんかじゃない。夢のような彼が夢のように消えて、目が覚めた俺の胸には、やはりどうすることもできない痛み。
頬を滑る涙の理由が、忘れないと言ってくれたことに対する喜びなのか、それとも彼の存在を忘れたいと願う俺の心に対する悲しみなのか。俺自身にも到底わからなかった。



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