楽しい日に限って早く過ぎ去ってしまうのは、やっぱりいつの時代も変わらない。夕食と入浴を終えた僕は楽しかった今日一日を振り返りながら、白竜の家のベランダで星を眺めている最中だった。
 こうしていると、まるで僕が普通の人間に戻ったかのような錯覚に陥ってしまう。ごはんをおいしいと感じるし、お風呂も温かいと感じるし、頬を冷やす風を心地好いとも感じる。その感覚が、明日も明後日も一週間後も、ずっとずっと続いていくのではないかと考えてしまうのだ。
けれど僕は、本当は目が覚めた時からわかっていた。僕には明日も明後日も一週間後もない。きっと今日眠りについたら、もう二度とこの意識が目覚める事はないのだろう、と。

「シュウ、そろそろ寝るぞ」

 白竜が呼ぶ声がして、僕は部屋の中に戻る。大きなマンションの一番西側の部屋、ここに白竜は一人暮らしをしているのだという。こんな大きな部屋で一人ぼっちだなんて、彼は寂しくないのだろうか。僕が一緒に暮らしてあげることができたらいいのに。

「ベッドは…一緒でいいな」
「え!?」
「一つしかないんだ、我慢しろ」
「…僕は別にソファでも」
「なんだ、朝は一緒だったんだから今更恥ずかしがることなんてないだろ」
「…それもそうなんだけど」

白竜はそう言いながら淡々とシーツの準備をしている。僕は何とも言えない気分になりつつも、彼が今セッティングしたばかりの柔らかな布団に潜り込んだ。

白竜はまだ覚えているだろうか。僕達が島で暮らしていた頃、こうしてよく一緒の布団で眠ったことを。同じ布団の中で他愛もない話をして笑って、疲れて眠る。あの頃の僕は、彼の寝顔を見るたびに切ない幸せに胸が締め付けられていた。きっと白竜は毎晩僕がそんな事を考えていただなんて知らないのだろうけど。

「そろそろ電気消すぞ」

うん、と短く返事をするとすぐに部屋の中は暗くなる。布団の中に白竜が入ってきたのがわかって、僕の頬は無意識のうちに綻んだ。もう二度と触れられない、そう思っていたはずの幸せだ。

「…」

 沈黙が流れる。白竜の呼吸の音がやけに大きく聞こえた。
白竜は横になったまま、全く身動きをとらない。なんだか僕もつられて動けなくなってしまいそうだ。
白竜が喋り出す気配はない、まさか、もう眠ってしまったのだろうか。もしそうだったらどうしよう。彼がこのまま眠って、そして僕も眠って、もう二度と会えないなんて展開だけは絶対に嫌だった。もっともっと、あの頃みたいに色んな話がしたかった。勇気を出して恐る恐る白竜の背中に声をかけてみる。

「…白竜」
「…ん」
「寝ちゃったの?」
「ああ」

白竜は僕に背を向けたままそう答えた。何てベタな返答だ、そう思いつつも、なんだかんだで安心している僕がいる。

「……あのさ、白竜」
「なんだよ」
「…な、なんでもない」

白竜の声は予想外に冷たい。思わず尻込みしてしまう。…もしかして、迷惑だと思われてる?
考えてみれば、僕が消えてこの世界ではもう三年の年月が過ぎているのだ。白竜がああやって二人で同じ布団で眠った日々の事を忘れていてもおかしくない。眠りたくないもっと君と話していたい、それが僕の独りよがりなのかもしれないと思うと、僕は声を出すことができなくなってしまった。僕の心を臆病にさせる思考はずるずると続いてゆく。昼間はあんなに泣きそうな声をしていた白竜が、どうして今早々と眠ろうとしているのか、僕には訳がわからなかった。白竜はこのまま僕が消えてしまうんじゃないかという心配はしていないのだろうか。それとも、わかった上でそれでも別にいいと考えているのだろうか。

「シュウ」

ふいに白竜が僕の名前を呼ぶ。そこで僕は、いつの間にか泣き出しそうになっている自分に気がついた。

「お前が今考えている事をあててやろうか」
「…え」
「本当にこのまま寝ちゃうの、ってところだな」

 背を向けていた白竜は、そう言うと同時に早過ぎる動きで僕の体に覆いかぶさった。身動きがとれず抵抗できなかった僕の目を、白竜はじっと見つめる。彼の冷ややかな視線からは、全くと言っていいほど思考が読めない。

「…白竜?」
「シュウはいつもそうやって思ってることを口に出さないんだ」
「…どうし、っ」

僕の声を遮るように、彼は乱暴なキスをする。あまりにも突然に奪われたファーストキスに僕は目を見開いた。

「白竜、ちょ…っ」
「俺がこのまま何も言わなかったら、もう寝てしまおうとか思ってたんだろ」
「…う、うん」

やっぱりか、と言って、白竜はわざとらしく溜息をつく。

「…俺はずっと、お前のそういう所どうにかしたいって思ってた。悲しいのも辛いのも、そんなに我慢しなくていいのにって、ずっと思ってた」
「…白竜?」

悲しい?辛い?白竜の言葉の意味がわからず首を傾げていると、僕の手首を掴む彼の指先が震えていることに気がついた。そこでようやく、白竜の言葉が今この状況ではなく三年前の事を指しているのだと理解する。

「一人で抱え込んでないで、俺にも言ってくれてたら何か変わってたかもしれないのに。もっとはやくに教えてくれてたら、俺はお前を島から連れ出してやる口説き文句だって考えられたのに。…我慢なんかしてないで、俺の前で泣いてくれたら俺も一緒に泣いてあげられたのに」

ぽたり。生暖かい雫が僕の頬に落ちる。僕は驚愕した。雷門イレブンとの試合のあとも、本当のことを告白した三年前の夜も、今日の昼間一緒に星を見た時も、一度として僕の前では涙を流さなかった白竜が、今僕の目の前で泣いている。

「…もうそうやって泣きそうな声で我慢するの、やめろよ」

絞り出すような声。僕は動けなくなってしまった。ずっとずっと、我慢しているのは白竜のほうだと思っていたのに、その白竜から、我慢をするなと言われてしまった。
 白竜が泣かないのだから、僕も泣いてはいけないのだと思っていた。けれど、きっと白竜も僕と同じ事を思っていたのだ。初めて見る白竜の泣き顔に、僕もまた堰を切ったかのように涙が溢れ出し、止まらなくなった。あぁ本当だ、僕も相当色々なものを我慢していたようだ。

「ごめんね白竜、ごめん」
「…」
「ごめん」
「…っう、」

一度泣いてしまったら悲しみが押し寄せて、止まらなくなってしまうかもしれない。ずっとずっとそう思っていた。そしてやっぱりというべきか、一度溢れ出した涙は止まる事を知らず、それと同時に色々な感情が溢れて、まるで洪水みたいに止まらなくなった。
本当は、僕も大人になりたかった。君と一緒に強くなりたかった。明日も明後日も、今日みたいに街中を一緒に歩いておいしいものを食べて星を見て眠りたかった。
僕は泣いて泣いて、このまま干からびて死んじゃうんじゃないかなんて考えてしまうくらい泣いて、そして白竜もまた僕と一緒に嗚咽を垂れ流して泣いていた。白竜が干からびて死んじゃったらどうしよう、とも考えた。それだけは絶対に嫌だった。

 どれくらいの間そうしていたのかはわからない。上に覆いかぶさっていたはずの白竜はいつの間にか隣で、ぎゅっと僕の手を握っていた。僕も彼も、いつの間にか涙は枯れていたようだった。

「…白竜」
「…ん」
「キスして」

返事の変わりに、彼は酷く重たそうな体を起こして僕の唇にキスをする。しょっぱくて笑えた。

「白竜、絶対明日目赤くなってるね」

そうだな、と白竜は言う。僕と同じで、少し笑っているようだった。

「そしたら僕が笑ってあげるよ」
「それはどうも」
「……ねぇ、白竜」
「なんだ」
「僕、またここに来てもいいかな」
「…」
「また君に会いたいんだ」

すっかり暗闇に慣れた目で、白竜を見つめる。彼はすこし驚いたような顔で僕を見つめ返していた。けれどしばらくすると、柔らかな表情でくすりと笑う。あの頃と同じ、優しい彼の目だ。

「…俺もまた、何度でも、お前に会いたい」
「…よかった」

白竜の声は少しだけ眠そうだ。僕は少しだけ怖くなる。本当はこの手を離したくなんてない。ずっとこのままでいたい。もう二度と、君の傍から離れたくない。
強く強く彼の手を握る。耳が壊れてしまったのかもしれない、そう思うほどに静かな夜だった。

「…すきだよ」
「ああ」
「世界中の誰よりも、君がすき」
「…俺もだよ」

生涯一度きりの告白。生涯一度きりの恋。全て死んでからする事になるとは思わなかった。それでも、白竜を好きになれてよかった、心からそう思う。この幸せを、この痛みを、共に分かち合う事ができたのが、彼でよかった。

「…ありがとう、おやすみ、白竜」

そっと目を閉じる。最後に僕が見た白竜の目は、あの冷ややかさを微塵も残していなかった。それだけで十分だ。
白竜が世界中の誰よりも幸せでありますように。そう願って、僕は眠りについた。






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