一人きりリサイタル


春市と別れ、長い廊下を携帯片手に一人歩く。
画面に映っているのは少し前に届いたクリス先輩からのメール。
久々にクリス先輩の指揮に合わせて弾けると思うと自然と歩調が速くなった。

「すみませんクリス先輩っ!遅くなりました…って、あれ?」

メールに書いてあった部屋に入ったが、見ればいる筈のクリスの代わりに部屋にあったのは一台のグランドピアノ。
さして大きくもないこの部屋はピアノ科の自主練習用の教室だろうか?
昼過ぎの柔かな日差しが開けっぱなしの小さな窓から注がれ、ピアノに反射して輝いている。
春の穏やかな風がカーテンを揺らし、頬を撫でる。
それを見て思わずうずうずとしてきてしまう。弾きたい、弾きたいと。

「勝手に使っても…いい、よな?」

誰に尋ねる訳でもなく一人呟くと椅子に腰を掛け、ピアノの蓋を開ければ使い込まれているが手入れの行き届いた鍵盤が現れる。
ポーンとラを弾けば澄んだ音が耳に届いた。調律もちゃんとなされている。

「…おーし!」

深く深呼吸を一つし、ゆっくり息を吐き出すと同時に鍵盤に触れた。
途端部屋一杯に広がる音。自分の目の前には楽譜、ではなく何処までもピアノだけがある。
鍵盤一つ一つを押す度に跳ね上がるハンマーが生きている様に弦を叩く。
酷く穏やかな雰囲気に、手を止めることなく沢村は静かに目を伏せた。



 
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