ふわり、と花の香りがした。
甘くて優しくて、すぐに冷たい冬の空気に溶けて消えてしまったその香りは、けれどおそ松の気を奪うのに十分だった。



今日も今日とてニートをしているおそ松は、世にも珍しい六つ子の長男である。
六人揃って人類最底辺、同世代カースト最底辺のクズなのであまり気にしてはいないが、成人しても無職童貞ってヤバくない?と言っているのはおそ松より二つ後に生まれたチョロ松だけだ。
チョロ松の言い分もわからないでもない。確かに無職童貞って、なにがとか言わずとも確かにヤバイ。けれど、現状に満足してしまっているのも事実なのだ。
寝る家もある、ご飯もある、着る服もある。
本当に、親の脛かじりと言われても仕方がないがこれ以上望むという方が欲張りだ。


することがない、行くところもない、金がない。
からパチンコにも競馬にも競艇にも行けない。
どうすっかな、とおそ松が目的も無しに家の近所をぶらついていたのは偶々だった。
何時もならば弟たちからせしめたはした金で銀色の玉を愛でに行っている。
それが出来なかったのは、最近自分を含めて六人全員が超ド級に金欠だからである。

いや、本当どんだけクソなの?生きてる価値ないね~!

というブーメランを放ったのは六つ子の末弟であるトド松だ。
彼は自分達の知らない所で一人短期アルバイトなどもしているし、パチンコの引きも強い(バイトは全力で邪魔しに行くし、勝った分はきっちりとパチンコ警察として分けてもらうが)
まぁ今度トッティにたかればいいや、とおそ松は何をするでもなく公園のベンチに腰かけて煙草をふかした。
緩やかに過ぎていく時間に、自分だけ取り残されているような気がして、重く重く溜め息を吐く。
可愛い子供のはしゃいだ声に自分もあんな時期あったなぁ、と思いを馳せる。
まぁ、身体が大きくなっているだけで今もあまり変わらずに好きなことを好きなようにやっているのだが。

冷たい空気にゆらゆらと揺れる紫かかった煙を眺めて数分。冒頭の花の香りがして、「やめてください」と困ったような高い声が聞こえた。
思わず声の方向を見れば、一人の女の子が三人の男に囲まれていた。

今時ナンパ?それじゃモテねぇよオニーサンたち。

煙を吐いてから、まだまだ長い煙草をベンチに押し付けた。傍らに置いてあるゴミ箱に投げ捨てて、ヒーローを気取りながら男たちに声をかける。

「ちょっと~オニーサンたち、彼女嫌がってるじゃん?しつこい男はモテないよ~」

一番背の高い男の肩に腕を回して、さも仲良さげに話す姿に一瞬空気が固まる。
え、と止まった男たちにおそ松はにやりと笑って大男に膝かっくんをした。
よろりとよろめく男の背後から逃げて、驚き戸惑う男二人を押し退け女の子の手を握る。
え、とこちらも驚いてる女の子を見て、おそ松は思わずひゅう、と口笛を吹きそうになった。

おそ松の幼馴染は弱井トト子といって、それはもう幼い頃から六つ子の全員がゾッコンになるぐらいのとびきり美少女である。
二十年余り生きているが彼女よりも可愛い女の子は未だに見たことがない。見たことがない。が、そのトト子ちゃんに勝るとも劣らぬ整った容姿。
こりゃラッキー、とおそ松は握った手に力を込めてすたこらさっさと走り出す。

「え、え、え?」

名も知らぬ美少女が、驚きで声をあげた。
やっぱり可愛い子って声も可愛いんだなぁ、なんて検討違いな事を考えながらおそ松は見慣れた街を駆け抜ける。
後ろからふわりと香る花の香りに、少しだけ胸がむずむずした。


******


「え、ええと……貴方は誰でしょうか…」

目の前で美少女がおそ松の様子を怖々と伺いながら首を傾げている。
幼馴染は確かに美少女だが、自分達とは気のおけない仲なのでこうやって遠慮がちに見られる事はまずない。トト子ちゃんとはまた違ったタイプの美少女、ありがとうございます!と無意識に頭を下げればまたびくりと震えられた。

「あぁ、ごめんごめん。俺松野おそ松。君は?」
「私、鈴宮蘭子と申します」

深々と頭を下げられ、思わずおそ松もつられてもう一度頭を下げた。


連れてきた場所はファミリーレストラン。通称ファミレス。
あの男たちが追いかけてきているかは知らないが何処か暖かい店に入りたかったし、何より目の前の美少女ーー蘭子と、少しでもお近づきになりたかったからである。
先程“これ以上望むというのは欲張りだ”と言ったかもしれないがそれはそれ、これはこれ。
そこに山があったら登りたくなるように、可愛い女の子が居たらお近づきになりたいと思うのは自然の摂理というものだ。
デレデレとしているおそ松が蘭子に引かれているなんて思いもしないまま、「蘭子ちゃんってさぁ」と声をかける。

「…はい」

いきなり名前呼びなんて、この人は常識がないのかしら?と蘭子が少し眉間に皺を寄せて返事をする。それに気が付いているのかいないのか、おそ松はヘラヘラと笑いながらも少しだけ真剣な声色を出して言った。

「ああいう事って、頻繁にあるの?」
「…ああいう事、って…」
「ナンパ」
「…頻繁に、かは分かりませんが…まぁ、一人で出掛ければそれなりには…」
「へぇ…」

まぁ、これだけ可愛かったら当然だわな、とおそ松は頭の中で呟いた。
白い肌も、少しだけ赤い頬も、濡れたような黒髪も、仄かに色ずいている小さな唇に、ふわりと香る花の香り。
目は真ん丸くて、睫毛だって大きな瞳を守るように長く多い。
見れば見るほど非の打ち所がない顔に、おそ松は感嘆の声を漏らした。傾国の美女、というのは少し言い過ぎかもしれないが、あと数年したら確実に足りない色気も備わりそれこそ微笑み一つで国を傾けられるほどに愛らしい少女は美しく変わるだろう。

「……あの、折角ですし、助けていただいたので好きなものお食べください…お礼です」
「えっマジで?」
「はい。本当とても困っていたので助かりました」

にこり、と微笑むように笑う蘭子に身体の体温が上昇した気がした。

そうだ。自分は可愛い幼馴染のおかげで美少女にはなれているが、こうして優しく微笑まれた事は一度だってない。
ぽっぽぽっぽと赤くなる顔を隠すように、おそ松はメニュー表を覗き込む。文字なんて見えない。もうなんでもいい、ハンバーグだろうがオムライスだろうが、なんでも美味しく頂ける自信しかない。
なんならこのかわいこちゃんをオカズに、なんて昼間から考えて流石に罪悪感で死にたくなった。
いや、出会って一時間経ってない女の子にそれは無い。
小さいどころかほぼ無いも同然なおそ松の良心が痛み、邪な思考を追い出すようにしてメニューを眺めた。

「じゃあ、ハンバーグセット良い?」
「お飲み物は?何か飲まれますよね?」

丁寧に聞いてくれる彼女に、これではまるで店員と客のようだと苦笑いする。
ドリンクバーお願い、とメニューを畳めば頷いてインターホンを押す。
そういえば、彼女はメニューを見ていなかったが良いのだろうか?
ふと気が付いておそ松が口を開くよりも早く店員が二人の席へと赴いた。
対応が早すぎるにも程があるだろ、いつもなら俺もっと待たせられるよ?と思ったがははん、と納得した。
注文を聞きに来た男性店員は見目麗しい蘭子にデレデレとしている。
まぁ、男として気持ちは分からないでもないけど釈然とはしない。
普段から迅速な対応を心掛けて貰いたいもんだと思いながら、おそ松は邪魔するようにわざとメニュー表を開いてハンバーグセットを指差した。

「ハンバーグセット、ご飯大盛りで」
「えっ、あ、…はい」
「あ、それとドリンクバーも…蘭子は?何する?」
「私…コーヒーで」
「ん。じゃあドリンクバー一つと、コーヒー一つ」

おそ松のイライラが伝わったのだろう。少しだけ早口で注文を繰り返した店員はそそくさと厨房へと帰っていった。
頼んだものを持ってきてくれるのは違う人が良い。出来れば可愛くて巨乳の、それこそトト子ちゃんみたいな人が良い。

「なにか…気分を害するような事をしてしまったでしょうか…」
「え?」
「粗相をしたのなら申し訳ありません…私、余り交友関係が…」
「あぁ、違う違う。ただ俺一人で来たときとちょっと接客が違ったからムカついただけ」

よく分からなさそうな顔をしたが、そうなんですか、と曖昧に笑って蘭子は頷いた。
そういう体験無さそうだもんな、と一人頷いて立ち上がった。

「ちょっとドリンクバー行ってくるわ」
「はい」

行ってらっしゃい、なんて律儀に言ってくれるもんだからおそ松のときめきゲージがぐんぐんと上がっていく。
そんな可愛いこと言ってくれる子なんて今までいなかった。トト子ちゃんみたいな悪意も善意も明け透けな美少女も最高にたまらないが、純日本人らしく男の三歩後ろを歩いてくれそうな美少女もたまらない。

(……いやまぁ、可愛かったらなんでもいーけど)

一つ言うとしたら胸がなぁ、と申し訳程度にしか膨らんでいない胸元を思いながらコーラを汲んで蘭子が待つ席へと戻る。

「ねぇねぇ、お姉さん一人?」

と、これまたチャラそうな男二人に絡まれていた。
いや、最早打ち合わせしてるだろ!そういう芝居!?とツッコミたくなるほどのナンパとのエンカウント率の高さ。
こいつは今までどうやって生きてきたんだと聞きたくなる。

「悪いけどオニーサン、その子俺の連れなんだわ」

にっこり、わざと笑みを作れば男たちも冷や汗をかきながら退散していく。
去っていくその背に舌を出して、どっかりと蘭子の前へと座る。申し訳なさそうに見てくる彼女になんと声をかけて良いのか分からず、おそ松はうーんと唸った。

別に、声をかけられるのは決して蘭子のせいでは無いのだから気にしなくても良い。
ただ、確かにちょっと無防備すぎるところはあるのかもしれない。
同じように顔面偏差値がズバ抜けて高いトト子ちゃんも、このように頻繁には声はかけられないだろう。
それは何故か。彼女はしっかりと自分の身を守る術を心得ているし、“イケメン金持ち”以外は寄ってくんなオーラを発しているからである。
そんなトト子ちゃんに比べて、目の前の蘭子は些か頼りない。ちらりとおそ松を伺うように上目遣いで見てくるのは可愛い。可愛いし加護欲も確かにそそられる。しかしそれこそが要らぬ声をかけられる原因なのでは無かろうか?

「あのさぁ、」
「は、はい」
「……」
「……?」

言いかけて、やめた。初対面の人にそんなことをしてやる義理はない、と思ったのも確かだ。けれどそれよりももっと良いことを思い付いた。
タイミング良くやって来たハンバーグセットを受けとりながら、おそ松は溢れだす唾を飲み込んだ。
持ってきてくれたのは可愛いウエイトレスでは無かったがそれも許そう。

「蘭子ちゃんさぁ、俺と付き合ってみる気ない?」

はい?と見開いた蘭子の瞳に、「こぼれ落ちそうなぐらいでけーな」と検討違いな事を思った。


******


「え、ええと…付き合う、とは」
「ん~まぁ、男女のお付き合い的な?」
「私と貴方、初対面ですよね…?」
「会った回数とか知り合った時間とか関係無いって!」
「いや、それにしても…」

なにやらモゴモゴ反論する彼女に、おそ松がハンバーグの付け合わせのポテトを頬張りながら「そういえばさぁ」と声をかける。

「俺と会った時、どこ行こうとしてたの?」
「え?図書館に…お勉強をしたくて…」
「ふーん…?学生?」
「医大に通っていますけど…」
「え!?医者の卵じゃん!すげー!頭良さそうだもんな!」
「そ、そんなこと…」

ない、わけでも、ない。肯定も否定も出来なくて困っていると、おそ松の手がするりと蘭子の手に絡んだ。
蘭子よりも一回り、二回りほど大きな手。
白くて滑らかで、しっとりしている蘭子の手とは違い無骨で男らしくて、でも安心する体温をしている。
どき、と胸が高鳴った。どういう意味を持っているかは知らない。

「勉強ってさ、ここじゃ出来ねーの?」
「え?で、出来ない…事もない…とは思いますが…」
「じゃあさ、ここで良いじゃん」
「…それは、ええと…図書館に行かずにここで、貴方とご飯を食べながら勉強をするという、事ですか…?」

ごめーとー!と馬鹿っぽそうに笑うおそ松の頭を殴りたくなる。なんでそんなこと、非効率すぎると反論しようとした蘭子の指をおそ松がつつ、となぞった。

「蘭子ちゃん、どうせ今までもずっとさっきみたいに声かけられてたんでしょ?だったら俺とこうしてファミレスで飯食べながら勉強してた方がさ、声もかけられないと思うんだよね~」
「それは…」
「ね?まぁいわゆる虫除けってやつ?」

それは、自分で言うことではないだろう。しかも笑って。

「あ!もちろんご飯はそっち持ちで!」

それも笑っていう事ではない。
出会ってまだ一時間程だが、少しずつおそ松という人間が分かってきた。
笑顔が絶えず、飄々としていて、人の懐に入り込むのが上手く、しっかりとこちらにメリットとデメリットを用意して持ちかけてくる相談に、彼が抜け目のない人だということが窺い知れる。

「…まぁ、良いですけど…」

両親の都合上、お金には困っていない。
彼は“付き合う”“虫除け”などという言葉を使っていたがまぁようするにボディガードのようなものなのだろう。又は契約彼氏。どちらにしても、男避けが欲しかった蘭子には絶好のチャンスだ。
頷いた蘭子に、おそ松がそうこなくっちゃな!と歯を見せて笑う。

あ、可愛い。

まるで愛らしく汚れの知らない子供のように笑うおそ松に、蘭子は無意識にそんな事を考える。そしてハッと己の思考に気が付いて、慌ててそんな考えも流し込むようにコーヒーをぐいと煽った。


******


出会いから一ヶ月、毎週土曜日にはこのファミレスで会おう、という約束をした。
といっても待ち合わせは此処ではなく、蘭子の家から近い場所にあるらしい時計搭の側で待ち合わせをしていた。
らしい、というのもおそ松は蘭子の家を知らないからだ。一度「家まで迎えに行くよ~俺」と言えば少し考えた様子はあったが断られた。
まぁ、年頃の女の子だしな~と思いはしたが少しへこむ。あわよくば家の中に、と思っていたのだがそんな下心満載の心も見透かされたのだろうか。

「なに食べますか?」
「ん~……カルボナーラ」
「では私はコーヒーと…ドリア頂きますね」

これまた丁寧に、自分が頼むものをわざわざ教えてくれる蘭子に苦笑いしかない。
“頂きますね”って、金を払うのはアンタだ。
こういう性格なのは、なんとなくこの一ヶ月で分かってきたが疲れないのかな、と思ってしまうのも普通だろう。

「今日も勉強すんの?」
「はい。そのために付き合ってもらってますし…」

難しそうでおそ松には一ミリもわからない事が書いてあるであろう教科書とノートを開いて、筆箱からシャーペンを出す蘭子の手をそっと握る。
相変わらず彼女の手は柔らかくてすべすべしている。すり、と思わずそのすべらかな肌を撫でれば少しだけ乱暴に手を払われた。

「あの、なんです?」
「今日ぐらいさ、生き抜きしたら?どうせ昨日も学校で沢山勉強したんでしょ?」
「そうですが…」

シャーペンを奪い取って、ノートの端に絵を描いていく。
おそ松が愛して止まないお馬さんの絵だったり、弟の友達の猫の絵だったり。
「なんですか、それ」と蘭子が肩を震わせながら笑うのでおそ松は調子に乗ってもっと描きたくなってしまう。

ずっとずっと、おそ松に対して少し困ったような顔でいた蘭子がようやく笑ってくれたのだ。
子供の頃、「人のパーソナルスペースに入るのが異常に上手い」と言われたことがあるが、そんなおそ松でも中々に手を焼く人間だった。
そういえば以前彼女は「あまり交友関係が云々」と言っていたことがある。
確かにこんなに無防備に見えるのにこれほどまでに心を開くのに時間がかかるようであれば、友達作りもえらく難航するだろう。

「ふふ、もう、やめてくださいよおそ松さん」
「あ!」
「え?」
「いま、名前、初めて呼んでくれた」

わざとか、たまたまか、出会ってから今まで一度だって名前を呼んでくれなかった。
初めて彼女の口から紡がれた名前は、酷くキラキラしていて、おそ松の瞳に光が舞った気がした。
慌てて口を手のひらで隠した様子を見るにきっと名前を呼んでくれなかったのはわざとなのだろう。
どういう意図があったのかは知らない。けれどむやみやたらに人を傷付けるような子じゃないこともおそ松はこの一ヶ月の付き合いで十分に知っていた。
だから訳は聞かない。
その変わり、うんと嬉しそうに笑ってやるのだ。

「ちゃんと、名前呼んでくれたな。蘭子」
「え、あ…」
「しょーじき、忘れられてると思ってたしさ~」
「わ、忘れてません!忘れてません、けど…」
「……言いたくないなら、言わなくていーよ。だけど、これからも俺の名前、呼んでよ」

それだけで、世界がキラキラして見えるから。これは言わないでおいた。
ただでさえ色んな男に迫られたりしているだろう彼女をさらに困らせたくはなかった、というのは建前でその“色んな男”の中に分類されたくは無かっただけだ。
はい、と遠慮がちに頷いた蘭子に約束、と人畜無害そうな笑みを向ければおずおずと細くて折れそうな小指を差し出される。

約束で指切りげんまんって何歳だよこの子!

思わず笑いだしそうになって口を抑えた。ひきつる腹筋に力を入れ、小指を絡ます。
「嘘ついたら針千本のーます」と恐ろしい事を歌う声は心地よくていつまでも聴いていたい。医者辞めて歌手にでも転向したら?可愛いし、女優でもモデルでもアイドルでもいけそう。
アイドルだったら、トト子ちゃんと二人でユニット組んだりなんかしてさ~!と妄想を膨らませてみるものの、そういう明らかに華々しい舞台に立つ彼女はなんだか少し違和感がある。

「…?あの、小指を離してくれませんか」
「あ、あ~うん、ごめん」

何処にでもあるようなチェーン店のファミレスで、緑の多い公園で、ともすれば人が少ないような街で。
意図せずに注目を集めてしまい困っている様子のほうが、何故かいやにしっくりきてしまう。
それを助け出せるのが自分しかいないと思うのは、自意識過剰だろうか。

「……おそ松さん?食べないのですか?」

いつの間にか運ばれてきていたカルボナーラとドリアにびっくりする。
食べる食べる!と声を出せば首をかしげられながらもフォークとスプーンを渡された。
生まれてこのかた、パスタをフォークで食べたことはあれどスプーンは使ったことがないおそ松は困惑してしまう。

いや、そんな優雅に食べたこと無いから。

こちとら下町で貧乏八人家族をやっているのだ。子供の時からご飯の時間は戦争。なんだって育ち盛りの男が常に六人も居たのだから、それはそうなるだろう。そんなおしとやかに食べていては全部あのハイエナどもに取られてしまう。
少し考えて、おそ松はその受け取ったスプーンで蘭子の目の前にあるドリアをすくった。

「え、え?」

戸惑う蘭子の口元に持っていき、「あーん」と声を出せば困ったように眉を下げられた。
している表情は同じでも、顔のパーツが違うだけでこんなにも変わるものかとおそ松はチョロ松を思い出しながら蘭子を見る。
「あーん」おそ松がもう一度そう言うと、おずおずと小さい口が開かれた。
そこに優しくドリアを入れてやると、「あつっ」と半ば悲鳴のような声が聞こえた。
そういえば冷まして無かった。はふはふと口を動かしながらきちんと飲み込んだ様子に、ごめんごめんと謝る。
ひぃ、と出された舌が赤くて、上目遣いプラス涙目で睨んで来るのがまた可愛らしい。
きゅん、と胸の当たりが甘酸っぱく鳴いた音を聞いて、いや、まさかと首を振る。

「もうっ!自分で食べられますから!」

そう言っておそ松からスプーンをふんだくった蘭子に、おそ松はドキドキした。
いや、いや、え?ちょっと可愛いからって、それは無い。
それでも高鳴る鼓動は本物で、それを誤魔化すためにカルボナーラを啜った。

「…はしたないですよ」

少しだけ呆れたように彼女が言う。馬鹿野郎、男はこれぐらいで丁度いーの、なんて軽口も叩けないぐらいに口一杯に頬張る。
ふふ、と彼女が笑うから、肩を揺らす度にあの甘い花の香りがするから、おそ松は心底参ってしまった。



「ご馳走さまでした」

ぴったりと両手を合わせてそう挨拶する蘭子は、おそ松から十五分ほど遅れてドリアを完食した。その十五分の間にもカルボナーラだけでは腹を満たされなかったおそ松はポテトを頼んだり唐揚げを頼んだりしていた。
良く食べるなぁ、と感心して一つ息を吐き出せば何を思ったのかおそ松が「食べる?」とポテトを差し出して来たのでそれを丁寧に断る。
元々蘭子は少食だし、最近までこのようなファミレスで食べたことも片手で数える程しか無かった。

「ね~デザート食べても良い?」
「はい。好きなのを食べてください」

本当、良く食べる。
苦笑いしか出てこないが、これは対価交換であるし何より自分が食べられない分、沢山食べるおそ松を見ているのは気持ちが良い。
開いていたノートと教科書を閉じて、シャーペンと消ゴムを閉まった。

「んぉ?勉強しないの?」
「…はい。今日はもう、良いんです」
「ふーん?」
「…もし、良かったら…明日もお付き合い頂けませんか?」

え、とおそ松が固まる。
いつも会うのは土曜日だけで、その土曜日だって蘭子はいつも勉強しているばっかりでまともにおそ松と話をしようともしていない。(それでもおそ松は邪魔するように毎回話しかけているが)

「え~良いけど、なんで?珍しくない?」

珍しいなんてもんではない。局地的な異常気象でも起きるのかと思うぐらいだ。

「……その、色々ありまして」

困ったように笑う蘭子におそ松は何も聞けなくなった。
こういう頑なな相手には、何を聞いても無駄だとしっかりと学んでいるのだ。相手から話してくれるのを待つしかない。

「……ん。じゃ、明日もいつもの場所で」
「はい。私の我が儘でおそ松さんの時間を取っちゃって、すみません」
「我が儘ぁ?こんなの全然だって!」

だから、もっと色んな事を言って良いよ。頼られるのって嬉しいから。
長男だからか、おそ松がもともと持った気質なのか、人に頼られるのは嫌いじゃない。にししと笑って蘭子の頭を撫で回してやる。柔らかくて細い髪の毛は指通りが良い。
やめてください、なんて小声で言う蘭子の頬が少しだけ赤くて、おそ松まで赤くなってしまった。





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本当はこの後ひと悶着あって長男様に「じゃあ、俺の家来る?」って台詞を言わせるつもりだった……長くなりすぎたのでカットカット


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