「あれ?征ちゃんどこいくの?」 「ちょっとな」 「……」 なんだか落ち着かなくて、今晩、二度目のお風呂。一階の大浴場から出てきたら、征ちゃんがエントランスに向かう姿が見えたので声を掛けた。 夏のインターハイのホテルで、準決勝の前夜。外に出てくると言った小太郎を、"体を冷やして、明日風邪を引いたらどうするんだ?"と引き留めたのは征ちゃんだった。おかしいと思って、部屋に戻るよう促そうと思ったけれど、明日の試合のことを考えてみれば、そんな気になるのもわかる。"部屋に戻りましょう"という言葉を飲み込んだ。 「ごめんね、玲央姉。」 振り向けば、征ちゃんのコートを持ったなまえちゃんがふわりと笑っていた。 「征十郎、こわいんだよきっと」 「あの征ちゃんが、こわがってる…?」 「うん。玲央姉はもう寝て。明日は大切な試合なんだから。ね?」 「わかったわ。……女の子が体を冷やしちゃだめよ?」 ホテルの暖房が効きにくくて、ここに来るまでずっと付けていたマフラーを彼女の寒そうな首に巻いてあげると、嬉しそうに目を細めた。 ……征ちゃんのお守りも大変ね。 けど、貴女がいなければ、征ちゃんはなにもできないんだから。自立していないって意味じゃなく、心の支えになってるし、貴女が絶対に味方してくれるって信じてるのが見ていればわかる。 「ん、ありがとう。……おやすみ、玲央姉」 「おやすみ、なまえちゃん」 ならば、征ちゃんは彼女に任せておけば大丈夫。時間はそんなにかからない。すぐに征ちゃんを落ち着かせて、戻らせてくれる。 「征十郎っ」 「……なまえか」 「冷えるよ」 「…すまない」 表情はいつもと変わりなく、一瞬見ただけで気分が分かるもんじゃない。けど、纏うオーラや雰囲気でわかるんだよ。 征十郎、こわいんだよね。明日は、WC決勝…テツくんのいる誠凛との試合。テツくんの才能を見出した征十郎。あの驚異の全中三連覇を成し遂げるほどのチームを作り出したのも征十郎だ。こわかったとこもあるけど、征十郎は大切なものを心に持っていた。戻れないと分かったあの日から、前だけを見てきた。 勝つことは基礎代謝だ、と豪語する征十郎の背中をいつも見てきた。ストイックな征十郎の斜め後ろで、ずっと見てきた。 「次はテツヤと相対するのか」 「そうだね」 「本当に、こちらに…僕のところに来て、良かったと思ってるか?」 「…思ってるよ」 その背中に、後ろから抱きついて、征十郎の言葉を返す。 どうして今さら、そんなこと聞くの。 「征十郎が、一緒に来てくれって言ったんだよ」 「あぁ、そうだったな」 「後悔したことなんてない」 征十郎の体に回したわたしの手に、手を重ねて、一息吐いて、手を体から下ろさせた。そして、振り向いて、性急にわたしをぎゅっと抱き締めた。 「すまない…愚問だったな」 まるで子どものように、珍しく落ち着きもなく力任せにわたしを抱き締める征十郎。わたしに、"離れていくな"とでも言うように、体を強く、強く、抱きしめられる。 「赤ちゃんみたいだね、征十郎」 「うるさい」 「大丈夫だよ、わたしがいる」 「……そうだな」 もうすでに腹は括ってあるの、貴方に着いて行こうと決めたあの日から。みんなが征十郎を責めても、否定しても、わたしだけは絶対に味方でいるから。離れないから。どんな結果になったとしても、あなたは一人じゃないから。 本当は、負けるんじゃないか、って感じてるんでしょう?不安なんでしょう?分かってるから、わたしはちゃんと分かってるから。ね、明日は、頑張ろうね。 「ありがとう、なまえ」 「うん」 「信じてくれて、ありがとう」 「…うん」 変わるのか、変わらないのか。 ← top → |