部長の部屋で目が覚めた朝の次の日。


いつも通りの朝。いつもの電車といつも通りのスーツに、ひとつにまとめた髪。すれ違う人たちにおはようございます、と挨拶をしながら自分の部署に向かう。


外見はなにも変わらない。けれど、内心はそれはもう言葉に出来るような程度ではなく、会社に着いた途端から目がキョロキョロと忙しなく動き、その人物を探す。上司だから、仕事が始まれば絶対に会うに決まっているのに、意識の範囲外でわたしは部長を探している。
探して、見つけたところでどうにもならないのに。出来れば極力関わりたくないなんて思ってるのに、なんでこんなに意識してるんだろう。





自分のデスクに着く。オフィスにはちらほらと人がいる。朝の挨拶が緩く飛び交う。視線の先、部長のデスクはオフィスの隅の部屋にある。時計を見る。この時間に、まだ部長は来ない。隣の席の同期が落ち着きがないわたしを見た。





「よお。お前どうした?」

「…え?なにが?」

「なにが?じゃねえよ。そわそわしやがって鬱陶しい」

「鬱陶し、い、…スミマセン」

「今日もうぜーなぁ。てめえは」

「わたし、ローに毎日言われてるよねそれ」





だって、うぜえからな。

なんて、理由にならない理由を吐き捨てて、タバコ吸ってこよ、と歩いていったローの背中を目で追っていたら、入れ違いに入ってきたその人を見て、サッと視線を下に落とした。




「みんなおはよう」


オフィスに響く声。その場を明るくさせる部長。なかなか揃ってきた社員たちは部長に挨拶をする。




「部長、おはようございます」


「おはようございまーす」








駄目だ。見れない。あの人と、してしまったなんてわたし、本当になんてことを。段々と、顔が熱を持つのがわかる。ドアから部長の部屋にいくには、わたしの横を通ることになる。近づく足音に、緊張が高まる。どんな顔してたらいいんだろう。普通に、おはようございます、って言えば良いだけなのに、それさえも出来るのか不安なわたし。




あと、四歩、三歩、二歩、







一歩、




「おはよう。どうした?そんな苦しそうな顔して。調子でも悪いのか?」









デスクのの真横、部長が立ち止まる。かと思えば、コートのポケットに手を突っ込んだまま、体を屈めてわたしの顔を覗き込んでくる。思い詰めた表情をしていたのは我ながら分かっていたけど、間近に迫った部長の顔に驚きを隠せず、目を見開く。どんな顔をしているかなんて、想像したくもない。




「いっ、いえ!大丈夫、です。……あ、お、はよう、ございます」


「そうか、ならよかった。」





少し笑って、ポケットから出したその手をわたしのデスクについてから、立ち上がり、部長室のほうへ歩いていく。



上がりすぎた熱がなかなか冷めてくれない。頬はまだ熱く、心臓もバクバクとうるさい。深呼吸をして、キョロキョロと見渡して、周りにバレていないかを確認する。……うん、大丈夫。








そして、落ち着いてから、先程、その部長が手をついた箇所には部長の名刺。裏を見ると、また心臓が忙しくて働きだした。





プライベート用


そう書かれた文字の下、並ぶ11の数字と簡潔なアドレス。





それを、どうしたらいいかって、野暮な疑問を抱くほどわたしも子どもじゃない。









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