実に幸せな30分だった。









車内では、様々なことを話した。




地方出身で、大学進学のために引っ越してきたこと。
バイト先のコンビニはマンションと大学の間であること。
月一に活動するボランティアのサークルに入っていること。
早朝からのバイトは、タイミングよくその時間の新人が入ったので、もう入らなくてもよくなったこと。


その他諸々。






と、



彼氏はいないということ。






「あの、マ、マルコさんは、彼女さんとか……?」なんて、俯きながら言ってんのが視界の隅に入り込んでて、その瞬間は本気でハンドルを逆に切りそうになった。焦った。


心臓がドクドクとうるさかった。若い頃でさえも、こんな胸の高鳴りを感じたことはない。どうしたんだろうか俺は。







彼氏がいないなんて、どれだけ喜べばいいんだよい。いや、付き合ってる男はいなくとも、好きな男はいるかもしれねえ。…まあ、今回は彼氏がいなかったことだけでも喜んでおこう。







そして、話した内容にもなかなかに狂喜したが、それ以上に俺が反応してたのは、車を進めて数分。車内を漂う彼女の香り。香水というには緩すぎる。ふんわりと広がった香りは、車に乗せているいつものとは全くちがう。香水嫌いな俺にでも心地好く感じる香りだった。







「あー、くそ」




何本目かのビール、グラスに注いだそれを一気に飲み干す。容易に思い出せるほど、はっきりと覚えているあれ。悔しいほどに鮮明に。ふわふわと微笑む彼女と完全に一致した香り。


若い女にのめり込む自分なんて情けないし、客観的に見てみると、なにを30半ばのおっさんが、と思うだろうし、実際、俺だって可笑しいと思ってる。けど、この、心臓を掴まれる感覚と脳裏にずっとこびりついてる笑顔を思えば、そうは考えられない。






俺は、苗字さんに恋をしている。

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