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わたしが一番すきな場所は布団の中だったけど、最近はそれが理科室になった。正確には諸葛亮先生のいる理科室が、だ。だいすきなひとがいる理科室は布団よりも心地良いし布団よりもあったかい、そして布団よりもしあわせ。

「おや、もうこんな時間ですか」

腕時計をちらりと見た先生がそう呟いた。わたしはまだ埋まっていないプリントをそっとたたむ。本当ならとっくにぜんぶ埋まっているプリントだ。

「もう、帰らなきゃだね」
「ええ。もう遅いですから、送りましょう」
「ううん、大丈夫」

先生には、帰る場所があるんだもんね。ぽつりとそう呟けば、すこしだけ困ったように笑った先生がぽんぽんと頭をなでてきた。わたしのなかには、その手を振り払いたい気持ちとその手をもっと感じたい気持ちが混在していて、そうしている内にその手は離れていってしまうのだ。先生なんて嫌いだよ。そう呟けば、先生はまた困ったようにすみませんと謝るだけだった。そのすみませんが何を意味しているのか、わたしは知っている。だからこそ、あの手が離れていったことを名残惜しく思ってしまう自分が一番嫌いなのだ。

理科室の鍵ひとつで彼の奥さんに勝ったつもりでいる。
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