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ああ、やられる、かも。

察すると同時に固く目を瞑る。が、いつまで経っても来るであろう痛みは訪れない。ふ、と目を開けると、私に向かって刃物を振りかぶっていた男が原型もわからないような状態で地に伏していた。


「…なにやってるのさ、名前ちゃん」


ああ、なんだ。秀星のドミネーターでやったんだ。私を庇って返り血を浴びたらしい状態で佇む秀星にうっそりと笑う。この笑みは秀星にどう映ったのだろうか。綺麗に映ってればいいなあなんて、そんなことは絶対にありえないのに。


「俺がいなきゃ危なかったぜ?」
「…別に、放っておいてくれてもよかったのに、」


そう投げやりに言えば、いつものへらりとした秀星の表情がぐにゃりと歪んだ。「わざと避けなかったのはさ、どうして?」なんだ、気づいてたのか。


「もう、ここらで終わりにしようとおもって」
「何で?」
「だってわたし、執行官だもの」


わたしの思いは迷惑になるだけなんだよ。だから、と、そこまで言ったところでわたしの視界はだんだんと掠れて秀星のかおすらも分からなくなってしまった。割り切っていたつもりだった。そもそも執行官の私が監視官の彼を好きになること自体、あってはならなかったのに。


「…ギノさんに迷惑だから、死のうっての?」


なんだ、そこまで気づいてたの。
そう言おうとしても喉がつまってうまく言葉が出ず嗚咽ばかりを漏らす私に、秀星はゆっくりと指先を這わせてくる。「気づいてたぜ。ずっと…見てたから」顎から頬、そして目元。涙を拭うそのやさしい指先とは裏腹に、秀星の瞳はぎらぎらと妖しく輝いていた。行為とあまりに似つかわしくない様子に並々ならぬ何かを感じて、ぞくりと背筋が粟立った。怒っている、何故、


「勝手に死ぬなんて許さねえ」
「…秀星、」
「名前が死ぬのは、俺が殺したときなんだから」


有無を言わせぬ口調。ぎらぎらと妖しく光る瞳の奥がぐらりと歪んだ気がした。とっくに乾いてひっこんでいった涙のおかげであれほど歪んでいたわたしの瞳には、今は秀星がはっきりと映っている。返り血を浴びて、肉塊となり果てたものが転がっているこの殺伐とした景色の中にも関わらず、私には彼がとても綺麗に思えた。その瞳に吸い込まれそうに思えて目線を下に向けると、先程まで這っていた指先が私の唇にそっと触れた。びくり、身体が跳ねる。


「名前の命は、俺のものだよ。だからさ、これからは俺の為だけに傍にいてよ」


その言葉にせっかく止まった涙が再び堰を切ったように溢れ出す。あれ、可笑しいな。秀星ってわたしのなかみ、こんなにぐらぐら揺らせるひとだったっけ。


歪んだ愛をひとつまみ
130129「乖離」さまに提出
素敵な企画に参加させていただきありがとうございました*

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