成宮鳴は稲実のわがままエースだ。自由奔放、高飛車、自信家などの性格とそれを裏打ちする実力で周りに甘やかされた結果奴は気遣いというものを失ったに違いない、と樹が激しく主張した結果、どこからか耳に入った鳴から愛ある暴力的指導を受けていた。
同じ鳴と近しい後輩どうし名前と樹は鳴への愚痴をこぼしては鳴の怒りを買うのが最早日常となっていたが最近、冬の訪れと共にぱたりとやんだ。


名前が部室で仕事をしているといつも練習の音が聞こえる。バッティング練習の高い音、仕事に疲れたとき、耳をすますと聞こえる投球練習の音を聞くのが名前の密かな楽しみだった。3年生が引退する前とはどこか違って聞こえるが、今日も2年1年のいいスイング音が聞こえる。

洗濯の残り時間を確認しがてら窓の外を覗くといつもの通り一心不乱に練習する部員たちの姿が見えた。
バットを必死になって振り、ベースへ全力で走り、真剣に投球練習をするその風景を密かに覗くと、いつもはそこで誰よりも目立つ鳴の姿が見えないことに気づいた。
白い頭、部員の中では比較的小柄だが一際目立つ鳴の姿を探しても見つからず、かわりに部室の方で物音がした。

「名前ー!いないのー?」
鳴がどたばたと音をたてながら名前を探す。
待たされるのが嫌いな鳴のために、部室を平穏に保つために(かんしゃくを起こした鳴に破壊されたらたまらない)、急いで部室に戻ると、ふんぞりかえってパイプ椅子を揺らす鳴の姿があった。

「鳴さん、練習は」
「ちょっとつまづいて手ぇついちゃったから手当てしてもらえって樹に言われた」
「それ、私のとこじゃなくて病院行ったほうがいいですって!」
エースの負傷、それも何より大事な手と聞いて名前の顔色が変わった。
対して鳴は、平気な顔でひらひらと手を振ってみせた。パイプ椅子がぎしぎしと鳴る。
「右手だし、ちょっとついただけだって」
「それでも鳴さんがエースである以上、怪我はまずいんです!」

鳴は以前と比べてすこし無頓着になったと思う。名前はその以前、正捕手を中心に3年生たちに甘えきった鳴を思い出して、やはり以前のわがまま王子とは違うという結論に至った。

とりあえず鳴を座らせて右手を見る。赤く腫れているわけではないから鳴の言うとおり重症ではないのだろう。
「冷やしておきますけど、冷たすぎるって思ったらやめてくださいね。あと、痛くなったり腫れたら絶対病院です」
「わかってるって」

今でこそ名前の言葉を軽くあしらう鳴だが、鳴は、引退を境に少し変わったと思う。それは彼の元相方だった原田や癖のある2年陣をまとめていた先輩方の不在が原因だと思う。

甲子園が終わって、秋大会も終わって、これから厳しい冬トレの期間が始まる。鳴にとっては秋大会で残った課題を樹と一緒に解消して、来年結果を残すための大事な期間だ。

次の春に向けてひたすら苦しい練習を積み続ける冬が、猛暑の中行われる夏大会よりもある意味過酷なのだと名前は先輩マネージャーたちから教わっていた。それをでしゃばりすぎず、裏からしっかり支えてやるのが稲実野球部のマネージャーの役目よ、と今は引退した3年のマネージャーが名前に話したのをはっきりと覚えている。稲実の夏が終わったその日の夜のことだった。ホテルの部屋で選手に隠れてマネージャー皆で泣いた。その話を聞いて以来、名前は来年こそは、鳴が優勝旗を手にするのだと信じているし、影ながらその手助けをするために日々奔走している。

だから、いつもにぎやかでわがまま放題の鳴が黙って名前の手当てを受けているこの状況は名前としては心配でならなかった。

「珍しいね、名前がうるさくないの」
鳴の手を取って腫れてはいないか、捻ったりしていないか慎重に調べていたが、鳴の一言に名前は勢いよく顔をあげた。
「鳴さんこそ、最近静かすぎて怖いですよ」
「うわぁいつも俺がうるさいみたいな言い方しちゃって、生意気」
軽口を叩く鳴だがいつもの鳴だったら雅さんに言いつけてやる、くらい言っただろうし、名前はグーを落とされた頭を抑えていただろう。入部してから鳴のお世話係を原田と共に務め、樹と共に頭を悩ませてきた身としては、やはりこの頃の鳴の様子に違和感を覚える。こんな時、雅さんならどうしただろうと名前は今はプロ入りを控えている前主将のことを思ってある結論に至った。


「鳴さん、さみしいんでしょう」
「はぁ?」
馬鹿にしきった鳴の顔を見ても名前は何も思わなかった。
「雅さんたちがいなくて、さみしいんでしょう」
「いきなり何言ってんの?意味わかんないんだけど」
明らか不満の表情を見せた鳴だが、名前は構わず鳴の手に乗せるための氷嚢を用意しようと席を立った。


「さみしいわけ、ないじゃん」
薄いガーゼのハンカチと水を少し入れた氷嚢を持ったまま振り向く。
鳴は変わらず椅子を鳴らしていて不満気だ。
再び椅子に座って手を取ると、心なしか赤くなっているような気がして名前は渋い顔をした。
「さみしいわけないじゃん」
「はいはいそうですか」
もう一度同じ台詞を繰り返す鳴に適当な返事をした。
生意気、って怒る気力もないのだろうかと思っているうちに手に氷嚢を載せて軽く縛るだけの簡単な処置は終了した。

それでも鳴は席を立とうとしなくて名前は鳴に苦言を呈した。
「鳴さん、練習行けないくらい痛いなら監督に言って病院行きましょうよ」
「痛い。すごく痛いから練習行かない。病院にも行かない」
「何言って、るんですか」

変な所で言葉が切れたのも最後ちょっと変な声になったのも、パイプ椅子と名前の膝さえも乗り越えて鳴が座ったままの名前の首に手を回したからだった。
「痛っ!鳴さんちょっと何してくれるんですか!」
「俺の方がずっと痛かったんだからこれくらい我慢してよ」
肩に鳴の顔が押し付けられて可愛げのない呻き声が漏れる。ただのマネージャーである名前に小柄とはいえ高校球児の体重を支えられるはずがないのだ。

重くて肩は痛いし湿っぽかったが、今はもう引退した先輩方の顔がふと思い浮かんで名前は小言を言わなかった。でしゃばりすぎてはいけないと、表だってやるべきではないと考えたが今はいいだろうと名前は黙ったままでいた。

同じように鳴の肩に額を乗せると汗の匂いの中にわずかに花の匂いが香った。どうやら季節を間違えた梅のものらしかった。梅の木なんてどこに生えていただろうと思い出そうとしたがもう一度嗅いだ時には昨日まとめてユニフォームを洗った時に大量に入れた柔軟剤の匂いしかしなかった。

「鳴さん、私はとてもさみしいですよ」
「あっそ」
そっけない返事を残して鳴は立ち上がった。少しだけ濡れた青い目が美しいと思った。

鳴はそのまま部室を出て行き、名前はそのまま救急箱を片付けようとして固まった膝に再び呻いた。その拍子に冬トレについてと書かれた紙に目がいった。
厳しいトレーニングメニューに名前はとうてい自分にはできないと思った。鳴にはそれが当然こなせて、文句を言いながらも次の年のために真剣に取り組むのだろう。

部室にはまだ梅の香りが少し残っているような気がした。しかし、鳴が梅の匂いをまとっているはずがないしそもそも冬の初めに梅は咲かない。

洗濯の終了を告げる音がして慌てて洗濯物を取り出す。先程の鳴のものと同じ匂いに名前は密やかにため息をついた。冬は始まったばかりで、春はまだ遠い。

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