毎日毎日土にまみれてるせいか、俺らって土のにおいしかしねーんじゃないのかって真剣に思うときがある。それを気にするやつらは制汗剤をふる。でもそんなんめんどくさいって俺や御幸みたいなやつは放っておく。
別に土臭いのがいいとか思ってるわけじゃないが、なんとなく放置してるだけだ。

そういう前置きはまぁいいとして。問題は目の前の課題。早く始末をつけなければ練習に参加できない。でもこれ…すげー難しい。御幸のやつよくこのテスト満点とったな…くそ、どや顔が目に浮かんでムカつく

その言葉を聞いて楽しげに笑う目の前の人物

「なにそれ!御幸くんハイスペックだねー、倉持くんがバカなわけじゃないと思うよ。このテスト普通に難しいし」

「なんかあんまり慰められてる気しないんすけど…」

口元に指を近づけてくすりと微笑む先輩は、いつ見たって色っぽい。ほんとにひとつ上かよ
名前さん、野球部のマネージャー。藤原先輩と同い年で、二人揃って美女。とても高校生とは思えない、高嶺の花のような存在
そして、俺もそれに惹かれてしまったわけで。

懸命にチームを支えようと頑張る姿、ふと浮かべる笑顔。どれ一つとっても、綺麗で。見惚れてしまっていたのを御幸に見られてからかわれたことも何回かある。
そう考えると、机を突き合わせて向き合いながら一緒に勉強するなんて、なんて贅沢なんだろうか

「すんません名前さん。こんなんに付き合わせて…」

「いいわよ別に。これもマネージャーの仕事だからね。私も明日小テストだからちょうどよかった」

そうやって笑われたら、我慢してる分が飛んでしまう。少しは自分のことを理解してもらいたいもんだ
ふと、涼しい風が首元をかすめた。カーテンがひらりと揺れる。先輩のショートカットの髪も。ひらりと

鼻腔をくすぐる、柔らかく甘い匂いが。なんだか先輩を象徴しているようで、脳が麻痺しそうだった

「…名前さん、なんか今日感じ違いますね」

「えっ、そうかな」

「なんつーか、香水とかつけてるんすか?」

「香水はつけてないけど…あ、シャンプー変えたからかな」

短い髪を指先で弄ぶ名前さん。シャンプー変えただけで雰囲気も変わるもんなのか…?
甘ったるい匂いなのに、全然嫌にならない。脳が痺れてしまいそうだ

プリントは、先輩のおかげで割と早く終わった。この時間だと練習も間に合いそうだ。先輩が背伸びをする。それを見て頬が緩む

「じゃあ練習行こっかー。それ提出したら終わりだしね」

ふわりと微笑んだ先輩が儚い。まるで消えてしまいそうだった。
でも実際、先輩は今年でいなくなる。俺たちが負けた時点で、哲さんたちとともに引退していく。もう、あの笑顔を近くで見ることは、ほとんどなくなってしまう

立ち上がった先輩から、また甘い香り。麻薬みたいだ。判断力も理性も、全部鈍る。
でも今とどめないと、俺は…

名前さんの細い手首を引っ張った。折れてしまいそうな細い手首が、さらに名前さんの女らしさを演出してるようで、ずるいなと思う
引き寄せた身体は、思ってたよりもずっと細い。ちゃんと食べてるのかも不安になる。

「く、倉持くん!?」

大きな声を出した名前の口を手でふさぐ。すんません、と耳元で謝罪をして、その甘い香りのする先輩の髪に口づけを落とした
今はまだ、口にすることはできないから。ただ、その甘ったるい名前さんの匂いだけを忘れたくないから

名前さんは俺を見上げて困ったような顔をする。俺はそれに真剣な言葉を投げる

「…絶対今年、甲子園連れてってみせるんで。だから、また、応援しててください」

まだこんな言葉しかあなたに言えないけど。それでも最後にこの想いが届くように
こんなにも嬉しそうに、柔らかく笑う名前さんを最後まで見つめていられるように

「うん、がんばって」

もうすぐやってくる夏の透明な風が、カーテンを揺らした。また甘い匂いが鼻をかすめる。自然と口角が上がる。
名前さんのその笑顔と甘い香りをそっと結び付けて、脳裏に焼き付けた
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