頭のすぐそばで大音量を鳴らす携帯を目も開けずに操作して、アラームを止めた。あと、5秒だけ。頭の中でゆっくりゆっくりカウントをとって重い瞼を押し開けた。新調したての真っ白いカーテンの隙間から朝日がこぼれている。天気の良い、日曜日。

「よういち」

上半身だけ起こして、すぐ隣で幼子のように顔をこちらに向け体を丸めて眠る人に目を向ける。声をかけても何の反応も示さない彼のあどけない寝顔をほんの数秒、見つめて頬に手を添えた。

「洋一、朝だよ」
「………ン…」

掠れた声で返事をしてうっすらと目を開けた洋一は、まだぼんやりとした黒目にわたしを映してもう一度目を閉じた。二度寝?と聞くと、もう少し寝る、と寝返りを打ってしまった。寝顔、もう少し見ていたかったのに。ふたたび静かに寝息を立て始めた洋一に気を遣うようにしてそっとベッドから降りて、髪を手櫛で整えつつ顔を洗いにいく。冷たい水を浴びて眠気もすっかりなくなって、ポストを見にいけば今日の朝刊がしっかり入っていた。朝刊をダイニングテーブルに置いて、昨日の夜に洋一が放ったらかしにしたままカーペットの上に転がっているリモコンを広いつつテレビをつければいつも見ている朝のニュース番組。あと10分もしないうちに星座占いが始まる。

「…くぁ」

自然と出てきたあくびを我慢するわけでもなく、大口を開けながら冷蔵庫も開ける。朝ごはんは、何がいいかな。卵を3つ取り出す。寝覚めの一発、とコーヒーを淹れる支度をするため卵を適当に転がしておいた。今日はお昼前に家を出て、外でランチをしてから新しいソファを探しに行く予定だ。今のソファはわたしが実家暮らしのときに自室で使っていたもので、大きめといえど1人用のそれだと2人が横に並んで座るにはどうしても狭い。この間の月曜日に仕事から帰ってきた洋一にお願いして今日見に行くことになったのだ。

「それでは、今日の星座占いのお時間です」

お姉さんが感情豊かに話していく内容を聞きながらお気に入りのパープルのマグにコーヒーを注ぐ。洋一とお揃いで買ったマグだ。わたしがパープルで、洋一はレモンイエロー。ただピンクと水色なんじゃありきたりなカップルだろ、と言って洋一が選んでくれた2色。そのとき雑貨屋で、洋一に黄色とか似合わな!と笑ったら頭を叩かれたけれど。
わたしの指定席になったキッチン側の椅子を引いて、ゆっくりと腰掛ける。ブラックのままじゃ飲めないから、ミルクを2個。洋一はいつもそれを見て、

「甘いの飲みてえならカフェオレにしとけよ」

って言う。今まさに、言った。おはよ、と言ってガシガシと頭をかきながらわたしの向かい側の椅子を引いてどかりと腰掛けた洋一はテーブルの上に置いておいた朝刊に手を伸ばした。わたしは座ったばっかりだっていうのにまた腰を上げて、今度はレモンイエローのマグにコーヒーを並々と注いでやる。おはようと返しながらミルクもシュガーも入っていないそれを洋一の手元に置けばサンキュ、と言った。その顔はいつもつまらなさそうに朝刊を読んでる。

「甲子園、終わったね」
「おー 今年はオーサカだったな」
「青道も惜しいところまでいったのにね」
「んーまあな」

口ではそんなこと言ってたって、洋一はきっと青道の選手たちを前にしたら激励を飛ばすんだろう。厳しいなあと小さく笑えば、うるせーと言ってチャンネルを変えられてしまった。もう星座占いも終わってたし、何でもいいんだけれど。洋一がお気に入りのアナウンサーが司会を務めるニュース番組になったところで、わたしはまた腰を上げてキッチンに向かう。さっきから座ったり立ったり座ったり立ったり座れなかったり。食パンをトースターにセットしてさっき転がしたままだった卵を手に取る。今日のランチ、イタリアンがいいなあ、パスタが食べたい。たくさん食べたいから、朝は軽めにしよう。同じ形の真っ白いお皿2つにレタスを置いて、あっという間に出来上がったスクランブルエッグを盛り付ける。軽めも何も、実はわたしの卵料理のレパートリーはこれしかないのだけれど。焼きあがったトーストを取り出そうと振り返ると、視界は黒いTシャツでいっぱいになった。

「うわっ」
「今日の朝飯なに?」
「パンと卵だよ 今できるから待ってて」
「…それ持ってく」

洋一がまだトーストも乗せてないお皿を2つとも持ってしまうものだから、ちょっとちょっと!と慌ててシャツの背中を掴んだ。

「まだトースト乗っかってないよ」
「あーわりぃ」
「そんなお腹空いてた?ごめんね支度遅くて」
「いや別に、」
「じゃあそれはいいからこっち、これ持ってって」
「…おう」

わたしと洋一の分のお箸を渡せば、なんとなく眉間に皺を寄せて戻っていった。洋一が話してたのに遮っちゃったからかな。少しの申し訳なさを感じつつ焼き上がったトーストを乗せたお皿を持ってテーブルに戻れば、わたしと入れ替わるようにして洋一がキッチンに向かっていった。なんだか今日は洋一がよく動いてる、ような気がする。戻ってきた洋一の片手には残り少ないケチャップ。

「いつもケチャップなんて使うっけ」
「なんとなくな」

既に何十回も食べてるスクランブルエッグをトーストの上に乗せながら、食べ終わったら洗濯しちゃいたいから着替えてねと言えばこくりと頷く首。真剣な表情で、わたしと同じようにトーストの上にスクランブルエッグを乗せて、ケチャップでへったくそな野球ボールを描いている。こういうところ、素直で子供っぽくて可愛いと思う。本人に言うと怒るから言わないけど。

「…お前いまうぜえこと考えてたろ」
「なにうざいことって」
「俺が可愛いとか、そういうの」
「……」
「…なんか言えよ恥ずいだろーが!」
「んふふ」
「気持ち悪りい」
「洋ちゃん可愛い〜」
「洋ちゃん言うな、可愛くねえ」

ぶつくさと文句を言いながらもしっかり完食してくれた洋一は食器をシンクに沈めて、ごちそうさま!と言って部屋に向かった。洋一は食べるのが早い。わたしものんびり食べ終わり、丁寧に重ねられた食器の横に自分のものも沈める。すっかり温くなったコーヒーにとりあえず一口だけ口を付けて、洗面所に向かう。

「…歯磨き粉なくなりそう」

家具屋さんを出たら、そのまま足りないもの買い出しに行かなきゃなあ。シャンプーあったっけ、ボディーソープは?トリートメントと、あと洋一の整髪剤も確認しておかなきゃ。しゃこしゃこと歯を磨きながらあれやこれやと動き回って、気が付くと着替え終わった洋一がシンクの前に立ってなにやらキョロキョロとしていた。普段やろうともしないくせに、何やってんだか。

「洗剤どれ?」
「ほほ、ふぁあいほ!」
「あ?なんつってんだよ」
「そこ、あかいの!」
「おーこれか。これもう残り少ねえけど」
「えっ洗剤も?やだー今日は買い出し日和だー」

まずはソファなーと言う洋一の声に適当な返事をしつつふたたび洗面所に戻った。足りないものリストのメモをしておいたほうがいいかもしれない。口をゆすいでさっぱりしたところで着替えに向かう。晴れ、日曜日、ランチ、洋一と、デート。少しくらい可愛い格好したいな。そう思って少し前に買ってまだ一度も着れていないワンピースを手にとって、鏡の前で合わせてみるけどなんとなく似合っている自信がない。じゃあどうしてこれを買ったのって言われるかもしれないけど、わたしももういい大人だし。洋一はいつも通りのなんてことない格好だったしわたしだけが張り切ったって、そんな。ワンピースをしまおうとしたところで、冷水で冷え切った手に手首を掴まれた。この、豆だらけの、手が好きだなあと思う。

「着ねーの、それ」
「うーん そんなお洒落したってね?」
「かわいーじゃん 着ろよ」
「えっ?」
「あ? …っ」

ただの会話と言えばそれまでかもしれないけれど、学生のときたまに言われていたその一言を不意に言われて、柄にもなく心臓が跳ねた。一緒に住むようになって、今まで以上にお互いの良いところも悪いところもたくさん見つけて、わたしも洋一も暮らしていく中での恥じらいというか、初々しさというか、そういうものをいつのまにかなくしてしまっていたのだ。今さら面と向かって今日も可愛いねなんて会話をする仲でもないし、元々口下手な洋一はあまりそういうことは言わないから(御幸だったら結婚してからも言ってそうだけど)。思わず口から出た、とその表情で焦りを表している洋一の顔をじっと見ているとなんだかこっちまで顔が熱い。

「いや今のはなんつーか」
「うそ?」
「嘘じゃねえ!」
「かわいい?ほんと?」
「……お、おう」
「言って、もう一回ちゃんと!」
「そのワンピース、お前に似合うと思う、し…お前が着れば、可愛いんじゃねーの」
「…んふふ」

だからその気持ち悪りい笑い方やめろっつの、と、文句を付けるのも忘れずに。すっかり顔を赤くして視線を泳がす洋一が可愛くて、こんな姿を見るなんて学生の頃に戻ったみたい。もう一回言って、とお願いしたけどさっき言っただろーが!と断られてしまった。さっきわたしのわがままを聞いてくれたし、洋一がこのワンピースを着てほしいっていうなら仕方ない、着てあげようかな、なんて。