隣の家に同じ年に生まれた存在なんて、親同士が余程仲が悪くない限りそれなりの近所付き合いがあって当然なわけで。


「亮介!おばさんが何か必要なものはないかってー!」

「いまのところはないって言っといて」

「りょーかい!あ、春ちゃーん!」



室内練習場のドアをかっぴらいてその場から叫んで用件だけ聞くと、次の目的地である弟・春市の元へと我が幼馴染は向かったようだった。結局寮生活3年目になっても、名前のこの癖は直らずに終わるのだろうとなんの予測にすらならないことをバットを振りながらぼんやり考えた。

あの歳の割に幼い幼馴染は、先ほどの行動からは連想することが不可能だけれど、幼い頃は蝶よ花よと育てられた神奈川の俺の実家の隣家に生まれた一人娘だ。幼稚園に入る前から互いの家は交流があり、よく我が家へも来ていたし名前の家にも遊びに行っていた。その頃はまだ名前は人見知りもして、いつも可愛らしい女の子らしい服を着せられたまさに【お姫さま】と呼ぶに相応しい少女だったのだ。そう、だった、のだ。

しかし、転機が訪れた。

俺がリトルに入り、いつものように俺の後を追う春市が野球を始めると、名前は苦手だった運動をするようになり、それまでどんなに誘われても「服が汚れるから」と参加しなかった鬼ごっこや缶蹴りに積極的に加わるようになった。俺たちと一緒にキャッチボールがしたいから、とグローブまで買ってもらい、履いてる姿なんて見たことのなかったスニーカーを履いて春市と共に俺の後ろを駆け回るお転婆へと変貌を遂げたのだ。これに対し、名前の両親は何か言ってないのかと聞くと彼女はあっけらかんと「好きなことをしなさいって言われてるから!」そう言い切った。どうやら彼女の両親は彼女をお姫さまにしたかったのではなく、ただただ溺愛していただけらしいとここで気づいた。

けれどまさか名前が「亮介と同じ高校に行きたいから」なんて理由で青道にまで着いてくるとはさすがの俺も豆鉄砲を食らった気分だった。彼女はなんて言ったのか定かではないが見事に親を説き伏せ、俺と共に青道の門をくぐったのだ。


「ほんと名前さんって可愛いっすよね!」

「そう?」

「幼馴染っつったら王道なのによ!なんでなんにもないんだよ!」

「そんなこと言われたって、どれだけ一緒にいると思ってんのさ。今更あいつに思うところなんてないよ」



この生意気に慕ってくる後輩と3年間を共にした少女漫画趣味のヒゲ面はそれぞれに名前の感想を述べる。いや純にいたっては俺に対するものも含んではいるが、しかしそれこそ泣きっ面から成長するにつれ現れたズボラな部分だって見てきているのだ。今になって特別な感想など出やしないのもまた仕方のないことだと思う。


「幼馴染だからって恋に発展するとは限らないでしょ」


そう言い締めて受験勉強に忙しい合間の息抜きを兼ねた素振りを再開する。一振り目を振り抜いた時に目の端に何かがチラついたように思えたが、気にすることもなかった。


※※※


「兄貴、名前ちゃんに何か言った?」


珍しく3年生の教室までやって来た弟は開口一番にそう言った。目立つのが嫌いなこいつがわざわざここへ来てまで言うことなんだから、多少なりと内心では心配もしていたのだが(勿論そんな様子おくびにも出さないが)、まさか内容が名前に関することとは思いもしなかった。


「いきなりどうしたのさ?」

「えっと、名前ちゃんが昨日俺たちの部屋に来て。たまたまゾノ先輩がいなかったからそのままそこで勉強し始めたんだけど、いつもなら兄貴たちの部屋に行くでしょ?だから聞いてみたんだ《兄貴のところ行かないの?》って。そしたらね、」



『もう行かないよ』



転ぼうが負けようがどんな時でも太陽に負けないくらい笑っていた名前が、泣きそうになりながら笑っていた。らしい。今日だって教室に入ろうとする#name2#を見かけて声をかけたが、そんな様子は見ていない。何の違和感もない、いつもの名前だった。


「喧嘩したなら謝りなよ?」

「してないし。ていうかなんで俺が悪いの前提なの?」


幾度となく後輩に見舞って来た右手を頭部に容赦無く振り下ろせば痛い!と悲鳴を上げてそこをさする。けれど、それに屈さないとでも言いたげな普段は隠れている双眸を見せ、


「名前ちゃんはいつだって悪いことなんてしないじゃん」


そう言い切ったと同時に予鈴が鳴るものだから、慌てて春市は走っていく。3年生の教室から1年の教室までは少し距離があるから恐らく間に合わないだろう。しかし、


「(名前が俺に隠し事をしている…?)」


3限目は各教科から出ている課題を熟しつつ、担任との面談を行うというこの時間の名目は自習なので、この時間を使ってしまおう。やっておかなければならないものも提出分は3日先まで終わっている。多少時間を無意義に使っても構わない。ここで言う無意義、とは結局のところ答えは名前しかわからないのだから本人から何があったかを聞かなければ解決しない故の無意義という表現だ。


『じゃあなんでわざわざ考えようなんて思うの?』


俺の中の名前が俺に向かって問うて来た。いつも見せる笑顔で、昔よく着ていたパステルピンクのワンピースを纏っていた。


「(たしかに)」


受験生の時間というものは、少なくとも無駄にしていいのは進路が確定してからである。進路も決まらず、課題も残っている状態で脳みそを他に回す余力があるか。


『でも、僕たちに協力はしてくれたでしょう?』


今度は先ほど別れたばかりの弟が何故かリトルリーグのユニフォーム姿で現れた。手には見慣れた木製のバットと不釣り合いなポータブルゲーム機を持っている。
しかし、この弟の言葉には反論が出来る。


『あの時のお前たちは放っておいたらどんどんダメになっていただろうさ』


うっ、と詰まる春市にザマアミロと微笑むがその春市を背に庇い再び俺の前に名前が対峙する。今度はある時から着始めたTシャツに7分丈のジーンズ姿で足元はスニーカーだ。右手にグローブを嵌めてこちらに構えている。


『私の問いに答えはないの?』

『私もボール取る!』


あの頃の名前も現れた。鼻頭に土を着けて得意気に表情筋を上に上げる様は昔からよく見てきたものだ。


『考えるくらいはするよ。おまえは幼馴染だしね』

『それは理由にならないよ亮介。幼馴染だからこそ、さっさと聞いて終わらせられるじゃない。考える必要なんてないでしょ?』


くるっと俺に背を向けて名前たちは走り出した。リズム良く快活な音を立てて走る彼女たちのどちらを追いかければいいのか。わかっている。これは明らかに夢の中だ。ならば追うことはない。では何故俺は追わなければならないという思考に至っているのだろうか。しかも何故、どっちをと悩んでいるんだ?


『変わるものもないけれど、変わらないものもないんだよ』


キーンコーンカーンコーン。
終わりを告げる鐘の音に引っ張られ、俺は現実へと帰ってきた。周りの連中がそれぞれが喋ることによりこの空間の音を増やし、教室内はあっという間に自分がさっきまでいた夢の中とは違う騒音の蔓延る空間となった。


「亮介が居眠りするなんて珍しいじゃねぇか。勉強のしすぎで寝不足か?」

「…純じゃないんだから効率良く勉強はしてるよ」

「あんだと!?」

「ねぇ純」

「なんだよ?!」

「やっぱり訂正する」

「あ?」

「なくは、なかった」


自席から立ち上がり、さっさと教室を出て目的の二つ隣のクラスへと向かう。後ろでギャンギャン叫ぶスピッツは何処吹く風だ。いまは一刻も早くあのお転婆姫の元へ行かなくてはならない。
タイミングよくお姫さまは教室から出てきた。手に持っているのはプリントの束で、どうやら職員室へ持って行くもののようだ。俺が向かっている方向と同じ方向に職員室はあるので、名前は俺が近づいていることにまだ気づいていない。そっと人二人分の距離を開けて観察する。自分より小さい身体、長い髪は高いところで結われてまるで猫でも誘うかのようにゆらゆら揺れている。予選が終わってすぐ一度実家へ帰った時に出掛けた先で名前が可愛いと言って買ったピンクのシュシュに纏められたことにより現れた項は白く、同じ夏を過ごしたとは思えない色。それはスカートから伸びる脚も同様で、眩むような輝きがある。


「(…何が思うところなんてない、だ)」


沢山あった。気づいていなかっただけで気づきさえすればそれは見事に俺の腹へ収まり、地面を踏む力を少しだけ強めに込めて前にいる幼馴染の隣に並ぶ。


「さすがは怪力の名前だね。これくらい軽いんだ」

「軽いわけないでしょう!か弱い乙女なんだからもうフラフラだよ!」

「仕方ないなぁ」

「っえ、え?」


名前の持っていた束の3/4を奪い彼女を抜いて前を歩く。いつもと違う俺に動揺しているのか、隣に並ぶ気配のない彼女に一言言わねばならない。


「倉持がさ、この前名前のこと可愛いって言ってたんだよ」

「へ?あ、そうなんだ…?」

「そんなの、今更だよね」

「………、え!?ちょ、亮介さん?!」


それってどういうこと! ぱたぱたと足を鳴らして追いついた名前はしつこく聞いてくるけれど、言うつもりなんてない。今更、だ。
物やヘアースタイルに託つけても言えない褒め言葉を飲み込んで、職員室のドアを名前に開けさせた。
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