第4回 | ナノ

あの夏に戻れたら、って今でもそう思う。
あの、暑くて煩くて。それでいて私たちのキラキラしたもの全部詰め込んだ宝物箱みたいな。あの、人生でたった3回しかない夏にもう一度、会いに行きたい。

「あっついねえ、栄純」
「そうっすね」

 シーズン中にも関わらず練習を見に行きたいって栄純が言うからわざわざ電車に揺られて2人肩を並べて青道高校まで、あの頃とちっとも変わらない道を辿ってきた。

朝早くから楽しそうに準備に時間を費やした栄純には、栄純があれだけ踏んだマウンドが、投げたブルペンが、練習したグラウンドがどう映ってるんだろう。
栄純の横顔を盗み見れば嬉しそうな顔をしていて、ああ、この練習風景が私たちの昔の気持ちが息吹を返すみたいに、目覚めろって囁くみたいに。心のどっか奥を、高校を卒業して眠らせていたナニカをくすぐるんだ。

「どう?」
「……いいチームっすね」

空にペンキこぼしたみたいな青も、バカみたいに暑いこの夏特有のねっとりとした気候も、ところどころ深みがかった土の色も、フェンスの錆も変わったんだろうけれど変わったように見えない。
私達のあの頃となにも変わってないように感じる。それは、きっと、あそこの土を踏んで走る高校生があの時必死になっていた栄純たちと何一つ変わらないからなんだ。

色々なことを考え感じ学び野球をするという単純なことが、栄純たちがあの時あの場所で先輩から受け継いだものが後輩に引き継いだもの全部がここに形もなにも変えずに何代にも渡って今もまだここに居る。

「綺麗なにおいだねえ」
「……昔から、へんなこと言う時ありやすね」
「変じゃないよ」
「変っす。匂いなんてしねーっす」
「してる」

してないってば。したって。私と栄純の押し問答。どうやらこの私の隣に立つ男は忘れてしまったのだ。私たちがあの頃嗅いでいた業務用洗剤の香り。汗の匂い、ベンチのあの匂い。疲れた時の微妙なあの感じ、食堂の少し味の濃いご飯。忘れてしまったのだろうか。

だとしたらこれ以上に寂しいことはない。栄純のワイシャツを掴んで「ねえ、におい」って言ったら栄純はそっぽを向いて「今日の寮飯、きっとカレーですね」だって。
寮飯当ててしまう辺り忘れているわけではないのだけれどきっときっと、それは彼の照れ隠しで、お互いに握っている手のひらがゆっくりとこれ以上の追求はやめようって熱を帯びてゆく。

「栄純」
「ん?」
「夏だね」

 あの頃の私に言いたいことがある。

あの日に栄純と見た夕焼けと、一緒に帰った帰り道に落ちた影2つ。夏の部室の汗臭さ、甲子園の声援、喉がガラガラにしてもまだ出し続けたあの声と照りつける太陽。それらを、全てとは言わないからどこか1つ欠片でもいい。それを忘れないでほしいのだ。

「……ああ、夏だな」

それらを忘れないでいてくれるのならば、私はきっと幸せだ。隣に栄純がいる限りその1つの欠片で全てを簡単に思い出せることができるのだから。
私の鼻腔を微かにくすぐるのは、栄純の今も昔も変わらないにおいとそれからグラウンドの土のにおい。その2つが紛れもない私たちの忘れもしないあの一生モノの夏なんだ。

カキーンって昔何度も聞いた音がして、私はグラウンドに目を向ける。
栄純もグラウンドをぼんやり見つめてて、あのバットの先の少年を栄純と重ねてしまって昔を懐かしいなあって思ったりして。

「これから、あの子達の夏が来るんだね」

 私たちの夏はもうとおの昔の終りを告げてしまったけれど、まだまだこれから沢山の夏を迎える。それならば、あのたった3度の夏を思い出と笑いあえる栄純がいてくれるならば、私にとってこれ以上の幸せはないよ。



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