第4回 | ナノ

「俺たぶん青道行くわ」

耳に馴染んだ声が、元気よく鳴く蝉の声の中はっきりと届いた。プシュー。ペットボトルのキャップを開けると鳴った気の抜けるような音。シュワシュワと弾けるような音をたてる透明の液体を口に含んだ一也は、何も言わずに私を見て私の言葉を待っている。昼間より幾分かは涼しい夜風が吹いて、私と一也の間を通り抜けて行く。白い月明かりと安っぽい街灯の光が一也の顔に影を落とす。

「……そう」
「まだ卒業するまで半年以上あるけど、声かけてくれててさ」
「そう」
「おう」
「それを言うためだけにわざわざ呼び出したの?」
「おう」
「メールか電話でよくない?」
「よくない。お前には俺の口から直接言いたかったから」

そんなことを言って、一也は私をどうしたいんだろう。

「寂しい?」
「別に」
「そこは嘘でも、“さみしいよぉ。一也くん行かないで!”って言うところだろ」
「そんなこと言うような関係でもないでしょ」

そう。今更そんなこと言えるような関係なんかじゃない。ただの幼馴染みが、行かないでって言ったところで何が変わるの。行かないでって言ったら、本当に行かないでくれるの?一体私をどうしたいんだろう。ほんと、嫌になる。

一也がいつか離れて行ってしまうことくらい、なんとなくわかっていた。あんなに野球が上手くて、あんなに野球が大好きな人を、私は一也以外知らない。

「ていうか、青道ってどこ?」
「東京」
「なんだ、同じ東京じゃない」
「まあ、会おうと思えばいつでも会えるけどな」

会おうと思えばいつでも会える。確かに物理的な距離で言えば、そうかもしれない。けれど、それは無理だよ、一也。私たちはまだ子どもで、簡単に会いに行ける経済力も時間もない。私は一也ほど野球の才能に長けていて、一也ほど野球が大好きな人を知らない。今まで育ってきたこの町も、友達も家族も、そして私も、野球のためになら簡単に置いて行ってしまうのだから。一也の中の優先順位はいつだって野球が一番で、それはこれから先も変わることなんてないことくらい、私にだってわかってるんだよ。

だから寂しいなんて絶対に言ってあげないし、一也のためになんて泣いてあげない。寂しいて言ったって、泣いて引き止めたって、一也は私を置いて行ってしまうのだから。少し前を行く一也の背中はいつだって遠かった。

「寂しいな」
「よく言うよ」
「ほんと。寂しいよ、お前と離れるのは」

寂しいだなんて、思ってもないくせに。もし本当に思ってるんなら、行かないでよ。行かないで、お願いだから。

「まあ頑張りなよ」
「はっはっは、お前絶対寂しいって言わないのな!」
「うるさい。その薄ら笑いやめなよ、青道行っても友達できないよ」
「つめてーなあ」

寂しいとも、行かないでとも言って泣いてくれる子が、一也にはきっとたくさんいる。青道に行ったって、きっと今よりもたくさんの子たちに囲まれて、たくさんの人たちに期待されてたくさんの栄光を掴んで行くんだ。私には、私には一也しかいないのに。

ヘラヘラと笑っていた一也が急に眉を潜めて私を見る。

「お前、なんつー顔してんだよ」
「もとからこんな顔ですけど」
「そうじゃなくて、」
「悪かったわね。ひどい顔で」
「だから、そうじゃねえって」

少しべたついた一也の手が私の腕を取り、そのままぐいっと力任せに引き寄せられた。厚い胸板、逞しい腕に包み込まれる。一也の匂いに思わず泣きそうになった。

「頼むから、俺のためにそんな顔すんなよ…」

首筋にを埋めた一也の声は少しだけこもって、それでいてひどく苦しそうだった。





頼むから、俺を迷わせないくれ。自分で決めたくせに、顔を見ただけでそんな決心さえも簡単に揺らいでしまうから。薄い服一枚を通して直に感じ取れる体温を忘れないように、消えないように、力強く抱きしめる。一度きりだから。これきりだから。もう迷わないから。あれだけうるさかった蝉もいつの間にか存在を消していた。炭酸のペットボトルが重力に引き寄せられるように落ちて行き、アスファルトに打ち付けられてしゅわしゅわと音をたてる透明を見ていた。



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