『なにしてるの?』
『ふふーん。見て見て!真っ白いシーツをこうするとドレスを着た花嫁さんみたいじゃない?』
『相変わらず馬鹿だねぇ』
『いいじゃん!誰でも一度は夢見る女の子の憧れだよ!』
『たかがシーツでウエディングドレスなんて、って言ってるの。どうせ、
と、ここで目が覚めた。なんて懐かしい頃の夢だろう。
学生時代で最も充実した時間を送った高校を卒業してから6年が経ち、社会人になってからは4年が経っていた。2年前から始めた一人暮らしは元々の家事が好きな性格が幸いして快適だし、この眺めのいい7階の広めの1Kも気に入っているので契約だって更新するつもりだ。順風満帆、仕事の辛いところなども含めてそう言えるいまが幸せではある。あるのだけれど、
「あのとき、亮介なんて言ってたんだっけ…」
せっかくの休日の朝はもやもやしたものを夢から引き連れて目覚めてしまった。あれは、高校で野球部のマネージャーをしていた時だ。寮生のシーツを洗濯していて、畳んでいる最中に頭からシーツを被って遊んでいたところに亮介がきて。いつものように馬鹿にされた後、何か言われて被っていたシーツを泥まみれにしたのだ。ちなみにシーツは純のだった。
「シーツの持ち主覚えてて亮介が言ってくれたこと忘れるなんてなぁ」
ひとりごちながら焼きたてのトーストを少し急ぎながら食べる。今日はそのもやもやを齎した当人、亮介が家に来てお家デートなのだから準備をしなければならない。といっても、そこまで散らかってはいないのでむしろ休みの日にしたい細かな掃除洗濯くらいしかないのだが。
外も快晴なのになぜお家デートなのかというと、今日は夜から哲也や純たち同期が何人か来て宅飲みをすることになっているからだ。お酒の買い出しなどは頼んであるので、私と亮介でつまみやらを用意しておく算段である。その快晴を有効活用すべく、早速洗いたてのシーツを干して太陽の栄養をたっぷりと吸わせる。やっぱり干した後のシーツやお布団に敵うものはいない。
お昼も短い針一つ分過ぎた頃、ピンポーン、と軽快な音を鳴らしてこちらが開ける前に亮介は私の部屋へ合鍵を使って入ってきた。いつもいつも彼は呼び鈴を一回鳴らして鍵を自分で開けて入ってくる。なぜ、と聞いたらこうすれば急に入るわけでもなく、不用意に玄関を開けたりもしないでしょ、とずいぶんと彼氏っぽいことを言われて照れたのは未だに思い出すだけで頬が上にあがる。
纏めていた髪の毛を下ろして玄関へ向かうと、彼はいつもの笑顔を乗っけてそこにいた。いらっしゃい、 洗濯してた? うん、匂いする? うん こうして亮介と会うのは実に1ヶ月ぶりだ。私の仕事が忙しかったせいで、だ。いまのところは不機嫌そうではなくて内心ほっとしている。
「名前、少し痩せたんじゃない?」
「仕事、結構忙しかったから手抜きしちゃったんだよね。ま、すぐ戻っちゃうもの」
亮介が持って来てくれたケーキをお皿に移して、ティーポットとカップふたつをおぼんに乗せてテーブルへ持って行こうとすれば横から彼に奪われる。普段は本当に意地悪ばっかりしてくるのに、私が弱ってたり疲れてたりするとこうして途端に優しくなるのだ。付き合い始めてからもう8年経っている。意地悪だって優しさだってなんだって彼ならなんでも嬉しいんだ。
「亮介はチーズケーキ?」
「どっちも食べな」
「太らせる気?」
「そうそう。もっとぷっくぷくに太りなよ」
「はいはい、じゃあ遠慮なく」
まずはフルーツタルトを一口。イチゴの酸味が口の中いっぱいに広がって一緒に幸せも広がっていくようだ。
「純たちは?」
「19時頃には着くって言ってた。それまでゆっくりできるね」
「二人きりってのも久しぶりだしね」
「本当にごめんね、仕事とはいえ全然時間作れなくて」
「うん、ほんと。ちょっと腹立った」
「えええ」
「冗談だよ、ちょっとってのはね」
「えええ」
つまりは普通レベルで腹が立っていると。そんなこと言われても困ってしまう。仕事だから仕方ないとしか言えないのに。無言でコーヒーを飲む亮介は何を考えているのか、こちらを見ないで窓の外のシーツに目をやっている。はらはら風に揺られるシーツはその視線に緊張しているかのようだ。シーツでなくたって大抵の人は無言で亮介に見られたら威圧を感じるだろうし。
「…怒ってるのは会えなかったことじゃない」
「うん」
「もし、倒れたりでもしたらどうするのさ」
「さすがにそうなる前には何かしらの手を打っていたと思うよ」
「そんなのわからないだろ」
「…そう、だね。ごめん、心配かけて」
「だから怒ってるし許さないって」
「えええ。どうしたら許してくれるの?」
「そうだねぇ。…」
すくっと立ち上がって亮介はベランダに出たかと思えば、朝干したシーツを干し竿から引き抜きこちらへ戻ってきた。両手でシーツを抱えて私の目の前まで来ると、彼は私の上にシーツを落として私の視界を奪う。
「え、や、ちょ亮介さん?」
「頭どこ?」
「わからなくなるのになんで乗せたのよ」
「ああ、ここか」
私の頭の位置を理解したようで、今度はシーツをいじって何かし始める。もう何が何だかわからない私はされるがままになることにした。どんどんシーツの重みが後ろへずれていき、シーツ越しじゃないおひさまと再会するかと思われた先にはおひさまではなく、亮介がいて。頭にシーツ被った私に口を開いた。
「やっぱりたかがシーツだね」
「…あ、」
夢の中の彼と重なった。
「真っ白いシーツをこうするとドレスを着た花嫁さんみたいじゃない?」
「…相変わらず馬鹿だね」
「いいじゃない、誰でも一度は夢見る女の子の憧れよ」
「たかがシーツでウエディングドレスなんて、って言ってるの。やっと、
『いつか俺の隣で本物を着るだろ』
「俺の隣で本物を着る時が来たんだよ」
亮介しか写っていなかった視界がぐにゃぐにゃし始めて、私の頬に一線が引かれる。その雫は下に零れ落ちることなく、亮介の右手が拭い去ってしまった。目元を親指で拭ってくれた際にコンシーラーが少し禿げたようで、隈が出来てる、なんてムードも何もないことを呟く彼の胸の中に飛び込んだ。
『…そうだね!絶対だよ、亮介!』
「うん、綺麗なドレスを着たいな」
シーツが私たちを覆ってくれたので、誰にも見られることなくキスをした。ヴェールは普通、新郎が上げてくれるのにね。