花嫁修業だとか、相手の胃袋をつかむ料理として何故かよく肉じゃがが挙げられる。まあ、おいしいよね。かく言うわたしもそれを鵜呑みにして、それだけはできるように不器用なりに練習したうちの一人だったりする。花嫁になれるかはともかくとして、夕飯を共にし、手料理を食べさせる相手がいるのは幸せなことだ。目の前でもぐもぐと頬張っている暁を見ると、本当にそう思う。

「どうしたの?」
「え?」
「緩んでる、顔」
「……なんでもないよー」

あ、つい、顔に出てしまっていたみたいだ。急に恥ずかしくなって、暁から肉じゃがの方に視線を移す。じゃがいもを口に入れて、噛むとよく染み込んだ味が口に広がる。いつもと少し違う味。ひとりで食べるときはめんつゆの万能ぶりにあやかることもあるけれど、どうせなら、手の混んだ作り方で、と奮闘してみた。自分の中では快挙だけれど、胸を張る話でもないし、わざわざ口にすることはないのだけれど。

「……そういえば」
「んー?」
「御幸先輩のとこさ」
「うん」
「子供うまれたらしいよ」
「わあ、産まれたんだね、どっち?」
「女の子」
「へーいいなあ」
「すごくデレデレだった」
「ふふ、子煩悩な御幸先輩かー」

それはいいもの見れたね、と言えば暁はこくりと頷く。そうなんだ、あの御幸先輩に子供が。高校時代からの知り合いで、部活をともにしてきた人の吉報は、わたしにとっても喜ばしいことだ。でも、先輩に対してこう表現していいものか分からないけれど、野球部以外では友達が居ないと言われていたり、何にも囚われませんと言ったような飄々としたあの人がまさか結婚していい父親になっただなんて、人生なにがあるかわからないなあ。そうして同時に「お前らは結婚しねえの?」とかつて彼に言われたことを思い出す。そのときは濁したけれど、考えたことがないわけじゃない。でも、結婚するって、なんなんだろうなあ。ずず、と味噌汁を啜りながらふと思う。こうして一緒にいるだけとはまた違うものなのかな。

「……ねえ」
「あ、ごはんおかわり?」
「うん、お願い」
「普通にいれていい?」
「大丈夫」
「はーい」

暁専用に買った大きなお茶碗を受け取って、立ち上がる。炊飯器を開けるともわっと暖かい空気が頬を撫でた。しゃもじでつやつやとした白米を盛りながら、そういえば、学生時代には体を大きくするためには三杯食べるのがルールだったっけ、と懐かしい気持ちになる。

「暁、エア食事してるって怒られてたよね」
「………そんなの忘れた」
「えー覚えてるくせに」
「ご飯と言えば君の下手なおにぎりじゃない?米粒の向きがバラバラって言われてたやつ」
「……わすれちゃったなあ、そんなの」

そう言って顔を見合わせて笑った。とぼけてしまいたくなる思い出はふたりとも持っているみたいだ。高校生の頃に野球部で出会って、そして付き合って、同棲を始めて今に至るわたしたちの関係。それがこれからどうなっていくのか、どうしたいのか、年を重ねていくごとにのしかかっていく。これからも一緒にいれるのかな?またご飯食べてくれるのかな?幸せの中にいてもよくない考えが頭を掠める。『一緒にいたいね』そう口にしてしまいたいけれど、重荷にもなりたくない。そんな思いを抱えながら、米を盛ったお茶碗を暁に渡した。少しだけ指に触れる。投手にとって大切な指、幾度となくマニキュアを塗ってと頼まれたわたしの大好きな指に。長年付き合っているんだから、今更だとは思うんだけど、ときどき初々しい気持ちになる。

「名前」
「あ、うん、なに?」
「今日のご飯、おいしい」
「……ほんとに?」
「うん」
「そっか、良かった」
「今度カニ玉作ってよ」
「うん、いいよ」
「君の料理なら失敗しても食べるから」
「あはは、喜んじゃっていいのかな、それ」

受け取り方によっては嬉しい、けど。暁はこんなことを無自覚でぽんと言う節がある。それを聞くたびにわたしの心は跳ね上がるのに、暁はしれっとしていて、天然ってすごいなあと常々思う。

お米を一粒残らず箸で取って口に運び、お茶で流し込む。ふう、と一息ついて、箸を置いたのち、両手を合わせたのはふたり似たようなタイミングだった。

「ごちそうさま」
「ごちそうさま」
「わたし、洗い物するね」
「僕もする」
「え?暁も?」
「……する」
「わー!優しい」

食器を重ねてキッチンへと向かうわたし、そして後ろをぺたぺたとついてくる暁。なんだか、お母さんの手伝いをする子供みたいな光景だなあ。あ、でも、本人に言ったらムッとしながら「僕は子供じゃない」と主張してくるかな。一旦流し場に食器を置いて、スポンジと洗剤を手に取ろうとしたとき、不意に後ろから抱きしめられる。ぎゅうう、と腰に回された腕は強靭で、振りほどけたためしはない。肩に顔をうずめるようにすりすりされて、くすぐったい。ときどき見せる甘えるような仕草、だけれど。何か嫌なことでもあったんだろうか。「さとる」とゆっくり彼の名を呼ぶ。

「………どうしたのー?抱きつかれたら洗えないよ」
「名前」
「……さとる?」
「お願いがあるんだ」
「お願い?さっきのカニ玉のこと?」
「違う。もっと、大事なこと」
「大事なこと…」
「聞いて欲しいんだ、名前に」
「……わかった、聞くよ」

真剣な声色に思わず体が強張る。それを落ち着かせるために、腰に回された彼の手の上に自分の手を重ねた。「僕、小さい頃からずっとひとりだったんだよね」と、話し始める暁の言葉にわたしはただただ相槌を打つ。

「けど、高校にきてそれが変わっていって、野球部では、チームメイトができた」
「うん」
「そして、君にも出会えた」
「………うん」
「君は僕にとって、はじめてできた好きな人で、これからもずっと一緒にいて欲しいと思ってる。だから、」

だから、の後に続く言葉を聞く前に少しずつ視界がぼやけていくのが分かった。言葉を選びながら昔のことを話す暁と共に、わたし自身も彼との思い出を振り返れば胸がギュッと締め付けられる。ああ、もう、いつからこんなに涙もろくなったんだろう。少しだけ間をおいて、意を決したように言われた言葉をわたしはきっと忘れない。

「名前を、これからの名前の時間を僕にください」

うるうると目にためていた涙はその言葉でいとも簡単にぽたりぽたりとこぼれ落ちていった。暁も、わたしとずっと一緒にいたいって、わたしを欲しいっていってくれた。もちろんですって答えたいのに嗚咽が邪魔をしてうまく言えないから何度も何度も首を縦に振った。

「……泣いてる?」
「……っ、これは、うれしいからなの…」
「本当に?」
「うん…」
「でも、こんなタイミングでプロポーズしたの嫌じゃなかった?」
「……?」
「なんかドラマみたいに、レストランでもないし、指輪もないし」
「………」
「でも、君のご飯食べて幸せだって、結婚したいって思ったらすぐに言いたくなって…」
「嫌なわけ…ない…っ」
「………名前」

高級レストランで夜景を見ながら高い指輪を渡してプロポーズに憧れがなかったわけじゃない。でも、わたしはそれよりも、ふたりで住むのに丁度いいようなこのアパートのキッチンで、手料理を食べてもらった後にプロポーズをしてもらったことを一番の幸せに感じたんだ。わたしはこの人と一緒にいたい。籍を入れて降谷さんって呼ばれて、この人に似た子供が三人欲しい。結婚するってそういうことなんだろうか。

「……暁の、お嫁さんにして」
「するよ、約束する」

抱きしめる力が一層強くなって、ふたりして幸せを噛み締めた。

「ーー新婚旅行は北極行く?」
「いいの?」
「いいよ、いこ」
「白くま見れるかな」
「見れるよ、きっと」
「じゃあ、名前の行きたいところにも行こうよ」
「……わたしの?」
「うん、どこ?」
「わたしは、暁と一緒ならどこでもいいんだ」

わたしを欲しいと言ってくれたあなたに、全部あげる。

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