ヒールを脱いじゃいたいと思うぐらいくたくたになりながら見慣れたマンションのエレベーターのボタンを押す。小さい頃から何度乗っても慣れない浮遊感が嫌で仕事終わりでも元気なときは部屋まで階段を登っているのだけど今日はそんな気力ももうなかった。はあ、と溜息を吐くとエレベーターのドアが開いて右を曲がって三つ目、そこがわたしの家だった。毎日帰宅する家だけどいつもと少し光景が違う。明かりがついていた。がちゃりとドアを開けるといい匂いがして、どこからか安心感が湧いてくる。玄関に座り込むと「帰ってきたんならなんか言え」とリビングにつながっているドアの向こうからこっちを覗き込む彼の姿。


「よーいちー」

「あーちょっと待ってろ」


ただいまよりも先に彼に助けを求める。そんなにしょっちゅうあるわけではないのだが残業の日はこうして洋一にご飯を作ってもらうことになったのは、結婚して2、3ヶ月が過ぎた頃だったと思う。わたしも最初の頃は「遅くなるけど帰ってからご飯を作るからいいよ」と言っていたのだが残業終わりは疲れすぎて今のように玄関から動けないときがあると発覚してから洋一が作ってくれるようになった。彼のご飯はあまり素直に認めたくないけれど美味しかったりする。悔しいから言ってやらないし感想はこのまま墓場まで持って行くと決めている。


「ほら」


ご飯の匂いを見にまとって差し伸べてくれる手に体重をかけながら起き上がる。「なんか介護してるみてえ」と言いながらヒャハと笑った彼をタイキックするほどの元気もなくてとりあえず肩のあたりを思いっきり引っ叩いておいた。


「鳥肉の匂いがする」

「入ってるからな」

「タンドリーチキンがいいなあ」

「クリスマスでもねえのにそれは無えだろ」

「冗談じゃん」


しばらく歩くと動かなかった体も動くようになるものでリビングまでくるといつも洋一と離れる。洋一はそのままキッチンにわたしは寝室でスーツを脱いでからキッチンへ向かう。「手洗いうがいしろよ」とスーツを脱ぎ終えてリビングに行ったときに言われ、そのまま洗面所まで手を洗いに行く。母親みたいな旦那さんって、なんだそれはと思いつつもこの人と結婚してよかったなあと噛みしめる。手を拭いて左手の薬指を見て頬が緩んだ。


「あ!オムライス!」

「ビール飲むか?」

「お茶でお願いします」


席に座って改めてディナーを見るけどオムライスの卵は半熟だし、サラダは色とりどりで美味しそう。ビールとお茶でささやかに乾杯をしてごくりと飲む喉仏を見るのはけっこう好きだ。


「子供欲しくないな」


ポツリと吐いた言葉がどうも洋一は気に入らなかったようで、眉間に皺を寄せている。結婚するまえに子供は何人欲しい、みたいな話をしたこともあったしわたしも彼も子供が好きなのはお互い承知なのだが。だからこそ、意味がわからないとでも言った表情をしている。


「子供が出来たら洋一のご飯をなかなか食べれなくなっちゃうのは、嫌です」


昔から真面目な意見をするのがすごく苦手でたまに敬語になるときがある。初めて告白したときもいつもはあだ名で読んでいる男の子のことを苗字君が好きですなんていつもは呼ばない呼びかたをしたりだとか。散々悩み抜いて選んで発した言葉は彼を笑顔にさせたようだった。別に笑顔にさせたかったわけでもないが。


「それぐらい作ってやるっつーの」

「でもわたしが主婦してたらぜーったい洋一しなくなるよ」


そっぽを向いてご馳走様と手を合わせて洋一の分のお皿も一緒にシンクに片付ける。お皿を水につけると同時に水分が無いスポンジに水をつけて洗剤をつけて手前にあるお皿から順に洗って行く。


「そんときは子供と俺で母の日になんか作ってやるから今から期待して待っとけ」


お皿洗いは手が荒れちゃうからあんまり好きじゃないけれど、聞こえるか聞こえないかの瀬戸際で言われた言葉が嬉しい。顔に出さないようにしつつも滅多に鼻歌なんか歌わないくせに歌うあたり自分でも相当嬉しいようだ、なんて客観的に見てみる。洋一は洋一で照れ臭くなっていつもより少し音量をあげてテレビを見ていた。どうかわたしたちの元に訪れる子供が彼に似た優しい子でありますように。わたしに似て二重でありますように。もしそうじゃなかったとしても彼と一緒にご飯を作ってくれるような子供でありますように。やっぱり子供は三人欲しいね、洋一さん。

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