乗り換えを間違えたことに気がついたのは、電車が発車して間も無くのことだった。慌ててつぎの駅で途中下車し、反対列車に乗り換えたはいいが、それが各駅停車であったことに気がつき、目的の駅に辿り着く頃には予定していた時刻を大幅に過ぎていた。
 このままでは約束の時間に間に合わない。そこでようやく今日会う約束をしていた相手―――クリス先輩に連絡を一本も入れていないことに気がついた。厳格なクリス先輩のことだからきっと約束の時間よりも少し早めに到着していることだろう。待たせること自体申し訳ないが、ただ待たせるのもまた申し訳ない。「少し遅れます。先に見てまわっていて下さい。」そう連絡を入れてパタリとケータイを閉じる。これでよし。元々モールで落ち合う予定だったのだから、先に見てまわっていてもらえればクリス先輩も時間を持て余すこともなく過ごせるだろう。せっかく忙しい中時間を割いて会う約束を取り決めてくれたクリス先輩の貴重な時間をわたしの遅刻なんかで無駄に消費させるわけにはいかない。
 すると、閉じたケータイが手のひらの内で震えた。なにかと思って開いてみれば、クリス先輩からのメールだった。今どこにいる?そう問いかける内容のメールに思わず身を乗り出して辺りを見渡すが、満員電車のため現在地が把握できない。降りる駅は分かっているためその辺りは心配ないが、そう問われると困ってしまう。暫く電車に揺られ、そうこうしている内に目的地の最寄り駅に到着したようだ。わたしはメール画面を開いたままケータイを閉じ、切符を握りしめた。やっと、クリス先輩に会える。
 しかし現実はそう甘くはなかった。午前とは言え、休日ショッピングモールは大勢の人で賑わっていた。子連れの夫婦や男女のカップル、現代風のファッションに身を包んだ若い男女が忙しく行き交っている中、わたしは辺りを見回して再びケータイを開く。

「どこにいますか」
「スポーツ用品店」

 先ほど送ったメールは一分と足らずに返信が届いたが、このショッピングモールは北館と南館に分かれており、またスポーツ用品店と言えば南館と北館にそれぞれ別の階に立地している。

「南と北、どっちですか?」
「10階」

 選択外の答えを掲示する先輩におや?と思ったが、エレベーター付近で地図を見つけ、10階にあるスポーツ用品店は北館だと分かるとふと浮かんだ疑問符はあっという間に頭の中から消えてしまった。急ぎ足で北館へ向かうべく渡り廊下を抜け、ちょうど上って来たエレベーターに滑り込む。

「エレベーターに乗りました。これから向かいます!」
「今11階の本屋に移動した」

 10階で降りてスポーツ用品店を一通りぐるりと見回ったがクリス先輩の姿は見えず、おかしいと思ったところでケータイを開いてみれば5分前に届いていたメール。しかもこれもまたわたしが送って1分と足らずで返って来ている。どうにもおかしい。その内わたしはクリス先輩に遊ばれているのだと思うようになった。そもそも普段のクリス先輩ならわたしがどこにいるのかと聞いた時点でわたしの現在地を訊ねて来そうなものだ。しかしクリス先輩は聞いて来なかった。それを行き違いを避けるためだと仮定するにしても、クリス先輩の受け答えの仕方は不自然で相手に伝わり難く、且つ必要最低限の情報しか与えていない。それはまるで自分を態と見つからないようにしているかのようで………そこではた、とわたしは思い至る。
 考えるよりも先に足が動いていた。つぎのエレベーターを待つ時間さえも惜しい。わたしはエスカレーターに乗り込んでずんずん先へと上ってゆく。
11階フロアの大半を占める本屋からクリス先輩を見つけることは困難なことに思えたが、 クリス先輩の性格と趣向を少し考えれば答えは至極簡単なことだった。
スポーツ関連、それも野球関係の書籍の集まる本棚の一角を横切れば、ほら、見つけた。

「グリズぜんばいいいいいいいい!!!!!!!」
「こら、大声を出すな。周りに迷惑だろう」
「だって先輩が意地の悪いことするから!」

 そう泣きながら言うと先輩は困ったような顔をして笑う。服の裾を掴んでずびっと鼻を啜ると先輩は読んでいたスポーツ雑誌を閉じて元の位置に戻した。それから場所を変えるぞと言ってそのまま歩き出してしまう。服を掴んでいたわたしは引き摺られるようにしてその後を続いた。正直、周りからの視線が辛かった。

「………なんであんなことしたんですか」

 前を歩くクリス先輩は答えない。きっともう先輩も分かっている。本当はそんなこと、態々聞かなくたってわたしが十分に分かっているんだってこと。

「ごめんなさい」
「………」
「遅刻して、それから心配かけて……ごめんなさい」
「………」
「あと、謝るの遅くなって、ごめんなさい。ごめんなさい、クリス先輩」

 そしてこちらを振り返った先輩と目が合う。また涙が溢れた。

「………遅れるのは構わないが、あまり心配をかけないでくれ」

 ぶっきら棒な物言いとは別にそれは先輩の優しさが十分に満ちていた。クリス先輩は自分にはもちろん他人にだって厳しいけれど、それはいつだって相手のことを考えた上での厚意なんだって随分前からわたしは気づいていた。
 今度からはちゃんと連絡します。自分がどこにいるのかちゃんと把握します。あとどれくらいで着くのかもちゃんと知らせますから。そう言って腕に纏わりつくと太めの眉を寄せながらそもそも連絡するしない以前に遅刻しない努力をして欲しいものだと言われてしまう。

「あ、でもクリス先輩に早く会いたくてめちゃくちゃ走ったのでそれは褒めて欲しいです!」
「店内を走るんじゃない。それからお前はもっと考えてから発言をしろ」

 わたしより高い位置から呆れたようにそう言う先輩の瞳が困ったように揺れ動いていた傍ら、ほんのり赤くなった耳をわたしはどうやら見逃さなかったらしい。
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