常に温かな光を灯しながら呼吸をしている彼に、私は気づかぬうちに引き寄せられていた。見えない彼の何かが、私を鷲掴みにして放さない。胸の奥深くからごっそりと抜き取られる感覚。彼を前にして、心臓が痛い。

「勉強してんのか?すげーな!」

はきはきとした明るい声が頭上から降ってくる。休み時間はいつも教室や廊下で響いている声。沢村くん。沢村栄純くん。私にとって、太陽みたいな人。明るくて、温かくて、大きな人。きっとこんなこと、沢村くんに言ったら笑われてしまいそうだけど。
かけられた声に応えるように、そちらの方へ振り返る。土で汚れた白い練習着と、長袖の真っ黒なシャツ。汗ばんだ肌と、まばゆい笑顔。あぁやめてほしい。それだけで私の心臓は破裂しそうなほど早鐘を打ち出してしまうから。
沢村くんの視線が私から外れる。私の視線より若干左下。追った先にあるのは私の机の上に広げられているノートだ。ノートに転がる無数の数字や記号。雑に書いてあるそれらを、私は突っ伏す形で隠した。恥ずかしい。沢村くんに見られてしまうなら、最初から綺麗に書いていたのに。

「み、見ないで、汚いから」
「え!?なんで?字すっげーキレーじゃん!」

苗字さんが黒板に書く字キレーだよな、と感心するように沢村くんは頷く。私の体はわなわなと震えた。今、苗字さんって言った。苗字さんって。苗字さん。私の名前、呼んだ。それもそうだけど、私の字、綺麗って、綺麗って言われた。顔が真っ赤になるのが分かって、両腕に顔を押しつける。恥ずかしい。恥ずかしい。綺麗じゃないのに、こんな字。薄くて細くて小さい。まるで私の性格を表しているかのようで、私は自分の字が好きじゃない。
うわーこれわっかんねー、と沢村くんが呻く。隠していない数学の問題集を見てのことだろう。今日先生が宿題で出した範囲を解いていただけなのに。沢村くんは勉強、苦手なのかな。たしか前の試験の時に、赤点回避って叫んでいた気がするけれど。

「こんなの解けねーや」
「今日、授業で、やった」
「・・・やってたっけか?なんか記憶の片隅にはある気がすんだけどなぁ」

顎に手を当て、記憶を探っている沢村くん。なんか、可愛い。男の子に可愛いっていうのはどうなのかと思うけれど、可愛い、可愛い。
今日寝てたもんね、なんて言えるわけない。数学の時間中、沢村くんを見ていたなんて言えない。だって気持ち悪いじゃないかそんなの。普段全く会話しない人からずっと見られていたら、怪しむのは当然だと思う。
羅列してある計算式たちを隠すようにしてノートを閉じる。少しページがぐしゃってなってしまったけど気にしない。今はそっちに余裕を向けている場合ではない。すぐ横に沢村くんがいる。私の憧れであり、私の大好きな沢村くんが。しかも教室で二人。ふたり。意識すればするほど耐えられなくなる。心臓が強く速く、締め付けられる感覚。苦しい、呼吸がしづらい。全身に力が入りすぎて、痙攣しているみたいに震える。

「・・・寝てたかもしんねぇ」
「・・・部活、大変?」
「ん、まぁ大変だけど、全国制覇目指してっから、頑張んなきゃなんねーし」

エースになるって決めたからな、と沢村くんは胸を張った。そういえば、入学してすぐの時、授業中にクラス全員に向かってエースになるって宣言していたっけ。最初は驚いた。でもすぐにすごいなぁって思った。周りは皆笑っていたけど、そんな中で私は、沢村くんが羨ましかった。自分の思っていることをああやって素直に言う勇気がある沢村くんに、私はその時から惹かれていたのだと思う。

「・・・体調とか、大丈夫?」
「・・・お、おー!怪我しないようにって、先輩が考えてくれた筋トレメニューがあるから大丈夫!」
「そうなんだ。いい先輩、だね」
「おぅ!俺の師匠だからな!」

沢村くんの笑顔、いいなぁ。こっちまで自然と笑ってしまう表情だ。どれだけ辛くても、苦しくても、全部吹き飛んでしまいそう。この笑顔がいつも傍にあったら、私にとってどれだけ心強いだろう。沢村くんの前向き思考な性格に、どれだけ私は救われるだろうか。
・・・分かってる。それが高望みだってことぐらい。叶うわけないってことぐらい。私に彼は眩しすぎる。そんなの、自分が一番分かっているはずなのに。

「・・・ありがとな」
「え?」
「心配、してくれてさ」

皆、頑張れって言うばっかで、大丈夫?とか言う人あんまいないから。
・・・それは要するに新鮮ということだろうか。言われ慣れない言葉を言われたりすると、やたら自分の中に響くとかいう。
もちろん、頑張っている沢村くんに、頑張れって言ってあげるのはいいことだと思ってる。応援されるのは誰だって嬉しいことだから。でもたまには、体を気遣ってあげるのも大事なんだと思う。頑張りすぎて体を壊して、大好きな野球ができなくなるのは、沢村くんからすると本当に辛いことだと思うから。

「すっげー嬉しい。苗字さん、いい人だな!」

ニッと歯を見せて沢村くんは笑った。ドクン!心臓が高鳴る。それを機に始まる、耳障りなほどうるさい鼓動。心臓が体を突き破るんじゃないかってぐらい、痛い。
沢村くんの、"すっげー嬉しい"という一言が私の脳内で無限ループ。何度も、何度も響き渡って浸透する。でも私は別に、沢村くんが思ってるほどいい人なんかじゃないと思う。むしろ沢村くんの方が、とてもとてもいい人だって思う。人が見て幸せになるような笑顔で笑える沢村くんが、私は。
だんだん頭がボーッとしてくる。夢見心地。侵食してくる沢村くんの言葉と笑顔は、私の思考回路を曖昧なものにさせるには十分すぎた。
なんで、なんで沢村くんを心配したかって、

「沢村くんのこと、好きだから」

自分でも驚くほど滑らかに、内に秘めていた想いが口をついて出た。
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