久しぶりに会った従弟のオビトは、親が再婚して姉ができたと口にした。
彼の家は、長いこと父親と息子の父子家庭だった。
母親は彼が中学に上がったばかりの時、事故で亡くなった。
聞いた話では、中学での三者面談の帰りの途中だったらしい。
もちろんオビトも一緒だった。
2人の帰路の途中にトラックが突っ込んできたのだそうだ。
母親はオビトをかばって即死だった。
オビトは右半身に大きな傷を負ったが、それでも生きているのだから幸運だったのだろう。
――いや、大切な肉親を亡くしてまで生き残ったことが幸運などと言っては不謹慎かもしれない。
生き残ることで、今まで自分が生きてきた世界が生き地獄となることもある。
それまでの煩いほどの明るさは、今の彼と比べると綺麗になりをひそめてしまった。

そんな彼からのその報告を機に、来月結婚することを伝えた。
オビトが意外そうに一瞬目を丸くするが、すぐに雑な祝の言葉を渡された。
それに、小さな罪悪感が湧いた。
胸中に鎮座するしこりのようなそれに、ふと懐古した。

――もう、1年も経つのか。
同棲していた女性がいた。
たった1年で、新しい女性と一緒になるなど我ながら呆れる。
しかし自分の選択が間違っているとは思っていない。
「彼女」にオレは必要ない。
「彼女」はオレなどいなくとも、強く生きていける。
いや、オレが共にいることで「彼女」をダメにしてしまう気がした。

ふと、脳裏に「彼女」の顔が蘇える。
買ったばかりのソファーに珈琲を零したときに、「彼女」はおかしそうに笑っていた。
そういえば、買ってやると言ったソファーカバーも買う前に別れてしまったのだったか。
さすがにそれには怒っているだろうか。
別れを告げた日すら、「彼女」は笑っていた。
結婚すると言ったら、「彼女」はやはり笑うのだろう。
「彼女」は新しいパートナーを見つけただろうか。
それともまだオレのことを想っているのだろうか。

付き合い始めた当初は、単に暇つぶしだった。
それなりに親しい相手であったし、気を使う必要もなかった。
損もしなければ利益にもならない。
共にいても、特に苦ではなかった。
理由なんてそんなものだった。
「彼女」からの一方的な恋慕も、しかし押しつけがましい愛情にもなりきらなかったそれは有り難かった。

楽だった。
傍にいれば満足するような女だった。
後は事の成り行きだった。
放っておいても何も変わらない。
そんなオレの態度すらも「彼女」は甘受して「好き」などと口にした。

それを知って、別れを告げたオレを笑って許すのだろうか。





「どこでもいいよ、一緒に行けるなら」

ふわりと笑うnameの横顔に、ページを捲る。
冷め切った珈琲を口にしながら、浅く息を吐き出した。
旅行に取り立てて興味はない。
しかし向こうの家が新婚旅行だの新居だのなどと、一般的な型にはまった習わしにしつこかった。
そんなことをしている暇があったら、仕事に打ち込んでいた方が気が静まる。
しかしそんなオレに対し、弟も彼女も根を詰めて体を壊されるくらいならと、旅行に行くことが決まったのだ。
name自身、それについては何度もオレに謝罪を口にしている。
旅行に行くより家でゆっくりしたかっただろうか。
それとも他に行きたい場所があるのだろうか。
そんな確信を突くようなことばかり口にされては、尚更旅行に行くしかない。
もちろん別段彼女は悪くない。
全てオレのつまらない矜持の問題だった。

旅行雑誌を閉じ、おもむろに椅子から立ち上がる。

「マダラ?」
「少し休む。夕食の時間になったら呼んでくれ」
「そうだね、お仕事大変だものね」

柔らかく笑んだ妻の顔に、言いようのない罪悪感が湧いた。
部屋の片隅に飾られた写真にはオレとnameが映っている。
同じように、あの家にはオレと「彼女」の写真があった。
この家では、「彼女」がnameに変わっただけだ。
その変化に奇妙な虚しさを覚えるのは、「彼女」と同棲した時間の方が、nameと暮らし始めた時間より長いからだろう。
その写真を視界から切り取るように、部屋を後にした。




幼馴染みであるnameと再開したのは、2年前だった。
大学進学を機に、家を出て以来彼女は忘却の向こう側へと追いやられていた。
今だからこそ面影があると言えるが、当時は名前を言われても思い出すまで時間がかかった。
それでもnameはオレのことを覚えていたというのだから、残酷なことをしたとは思っている。
仕方がないと笑うnameは、「彼女」によく似ていた。
しかし決定的に「彼女」とは違う。

nameは劣等感の塊だ。
もちろん、その背景には学生時代の成績故の学校や親からの圧迫、進学や就職の失敗に由来していることもあるのだろう。
しかしそれ以上に誰も責めはしないのに何かに怯えている。
自身の失敗ばかり数えている。
詰まらないことに懸念を抱き、その精神を摩耗していく。
日常に埋没していく。
自身に失望していく。
擦り減っていく。
殺がれていく。
窒息していく。

そんな彼女が、縋るように伸ばしてきた手を、振り払うことができなかった。

生きることにも、将来にも不安しかないとnameは言った。
しかし投げ出す勇気も死ぬ覚悟もないと続けた。

『でもマダラくんが私の人生に付き合う必要なんてないよ』

突き放す言葉は、拒絶の言葉は、nameからだった。
疲れ切った顔で笑いながら彼女は言った。
雨の日だったか。
あの日、歩道橋から身を乗り出した彼女を止めたのだ。
彼女の人生なら好きなようにさせてやるべきだったかもしれない。
オレが無責任だった。
同時にnameから期待をしていないと、暗に言われた気がした。
以来、妙に会う機会が増えたのだ。

それに対し、「彼女」はオレがいくら家を空けようと何も言わなかった。
――潮時なのだろう。
あの時のオレは、勝手に彼女の愛情が冷めていたのだと思っていた。
糾弾も非難もしない「彼女」の態度をオレへの関心の薄弱と取った。
2人で決めたあの家で、どんな思いで今日まで過ごしてきたかなんて今となっては知るよしもない。

今思うと、全て独りよがりな考えだった。

nameを放っては置けない。
「彼女」との関係は少しずつ薄れている。
……もともと、そんなに恋人らしいこともしたわけではない。
別れることに、あの時はたいして抵抗がなかった。
むしろ今までさんざん「彼女」の望みを聞いてきたのだから、オレが幕を引くべきだとすら思っていた。

別れを告げた日、「彼女」はやはり笑っていた。
笑いながら謝罪を繰り返した。
その時に初めて「彼女」の愛情がまるであの時と変わってないことを知った。
初めて、「彼女」を手放しがたいと思った。
しかし己の矜持がそれを許さない。
nameを放り出すなどできなかった。

一体、どこで間違ったのだろう。
何だって完璧にこなしてきたはずだった。
失敗など霞むほどの功績を残してきた。
未練があるのは、むしろオレの方なのかもしれない。

ベッドに身を投げ出し、深く息を吐き出した。
どうか、せめて「彼女」もどこか知らない場所で倖せになれるといい。
オレの影など綺麗に忘れて、倖せになればいい。

真っ白なリセットされた世界が用意することができたなら良かった。


I loved you so much

2013228



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