来月、結婚するらしい。
一体どこからそんな情報を仕入れたのかとも思ったが、よくよく考えれば親戚なのだからごく当たり前なことだ。最も、彼の親族などと知っていたら親しくはしなかった。被るその面立ちに、ふつりと小さな嫌悪感が沸く。
それを黙殺するように両手に抱えていた食器を慎重に段ボールにしまいこみ、蓋をした。
しかしそれを敢えて抉るように、お前も行くか、と問うその横顔を睨み付ける。悪気がないのだからたちが悪い。私の視線に気付きながらも、苦笑してさらりとかわすその黒い目玉を抉り取ってやりたくなった。

「これもいらないな」

彼は躊躇いなく、カップも写真も大きなごみ袋に詰め込んでいく。全て私のものだ。だが、彼は私のものではなく「あいつ」のものだろうと、私の所有物でなければ必要ないと、構わずに捨てていく。白いビニールから僅かに透ける過去の色合いに、感傷が思考の片隅を焼いた。無理やり詰め込まれた袋は歪に膨れ上がり、ベランダに無造作に並べられている。
薄く埃を被った写真立ても、アルバムも、シミがついた皿やカップも、くたびれたクッションも、半分は私が欲しくて買ったものだ。
私の所有物であった。
しかし私のものであったが、やはり、それは「今」の私のものにはなれないのだろう。

「オビト」
「?」

1年前から、弟になった彼に声を投げ掛ける。首を捻り、こちらを見る虹彩の色も、髪の色も、彼によく似ていた。
――母の再婚相手の連れ子だった。
母と父が、すれ違い始めたのは私が小学生になったばかりの頃だろうか。幼い私には、明確な理由など知るよしもなかった。
ただ、彼らの関係は確かに緩やかな荒廃を辿っていったのだと思う。家庭の中の会話が減り、笑顔が減り、一緒にいる時間が減り、家族であることを忘れていった。私が小学校高学年になるころには、私はひとりで食事した記憶しかない。父も母も、疲れていたのは確かだった。
そうして父と母が離婚したのは、私が中学に上がる少し前だった。
私の親権は母が持つことになったが、そこに辿り着くまでにひどく揉めたらしい。
確かに、自分の血を引くとはいえ、愛してもない他人となった相手の子供に、時間も金も、食い潰されたくはない。
とはいえ、母は昔から私に関心などなかった。再婚したことも事後報告であったし、そもそも大学を進学を機に親元を離れて以来事務連絡以外取ったことはなかった。
別に虐待を受けていたわけではない。ただ、彼女が私に対して関心を示すことを止めただけだ。私が幼い頃、褒めてくれたことも叱ってくれたことも、彼女が親としての義務を感じていたからだろう。私が親元を離れて、彼女がその義務から解放され、私たちの母子関係は完全に破綻した。

母から再婚したと連絡を受けた時、私は素直に喜ぶことができなかった。
タイミングが悪かったのだ。
その前日に、同棲までした男と別れたばかりだった。
娘が傷心している中、ひとり嬉しそうに話す彼女のことが恨めしかった。同じくらい、あんなに嬉しそうにしている彼女を見たことがない私はひどく戸惑った。
本当に幸せだったのだろう。
本当に嬉しかったのだろう。
――本当に、今まで私という重荷や過去に苦しんでいたのだろう。
後日改めて母のことを考えて、私は途方のない罪悪感に苛まれた。
本当に不幸だったのは、母だったのだろう。
ようやく手に入れた幸せに、水を差したくはなかった。
一度顔を会わせて欲しいと、母に言われて顔を会わせたのも、1年前だ。
母の再婚相手だという男性と、その一人息子であるオビトに初めて会った。

オビトは、私が別れた男の親戚らしい。
母方の親戚だと聞いた。
とはいえ彼の親権は父にある。……もっとも、母は事故で遠い昔に亡くなっているそうだ。詳しいことは聞いてはいないが、おそらく、彼も母と共に事故に遭い、彼だけが生き残ってしまったのだろう。オビトの右半身には、大きな傷跡がある。首や腕といった服からわずかに露出している部分から、肌が歪に引きつっていたり色がくすんでいたりする部位を見たことがある。冬はともかく、彼は夏場ですら極端に露出を厭っている。そんな不幸な青年があいつの親戚なのだから数奇な巡り合わせだと思う。

「今日はもう帰っていいよ」
「あと少しだろ。疲れたならオレがやっておく」
「いい。マダラのもあるし。捨てていいとは言われてるけど、よくわからないから」
「捨てていいと言われてるなら捨てればいいだろ」
「……」
「引きずってるな」

深く息を吐き出しながら、オビトはガムテープを引きちぎる。それを私の傍らにあるダンボールに貼り付け、固く蓋を閉ざした。

「……生活用品も、思い切って新しくしたらどうだ」

わざわざここにあるものを持って行って使うこともないだろ。トン、と指先で箱を突きながら彼は言った。
母の提案でもあった。再婚を機に引っ越しをするのだそうだ。そこは私の職場からも近いし、オビトが通う大学にも近い。せっかくだから家族として馴染むまで一緒に暮さないか、というものだった。私もマダラと別れたばかりだったので、特にこの家から離れられない理由も消え去っていた。もちろん、オビトがマダラの親戚だと聞いたとき、抵抗がないわけではなかった。
だが、そんなことを気にしても彼には関係がない。今住んでいる家の片付けが終わったら、私もそちらには行くと言ってある。何よりもこうしてオビト自身が手伝いに来てしまっているのだ。今更断ることもできまい。

「使えるのに、捨てるのはもったいないでしょう」
「充分使い古した感はあるがな」
「壊れてなければそれでいいの」
「……未練があるのかないのか、よくわからない女だな、あんた」
「文句あるなら手伝わなくていいってば、あっち行って」

放っておいたら、オビトはこの家ごと燃やしてしまいそうだ。
彼が嫌いなわけではないが、どうにも落ち着かない。
彼は彼で何かと抱えるものがあるのだと、一度会った義父に聞いた。
しかしその内容までは知らない。
ただ、彼はどことなく厭世主義的だ。
再婚も私という姉ができたことも、全て「仕方のないこと」だと言っていた。自分の意志ではどうしようもない。ならば、成り行きに任せるしかない。不幸も幸福も、すべて回避のしようなどない。敢えて言うのならば、そんなものしかないこの世界に生まれたことを呪う。
捻くれた弟を持ってしまった。
これでも昔はやんちゃで思いやり溢れる男の子だったというのだから、余程母親の事故がショックだったのだろう。

最も、私も彼も凋落した人間だといえばそうなのかもしれない。

ふと、ほとんどものが片付けられた部屋の中を見回す。テーブルとソファー、テレビといった大きなものは業者に任せようということで未だ部屋に残っている。ガランとした部屋の片隅には誇りが薄く積もっていた。

「明日で終わりそうだな」
「オビトが手伝ってくれてるからね。明後日にはそっちの家に行くよ」
「わかった。……それで、話を戻すがどうするんだ。マダラの結婚式、行くのか、行かないのか」
「私みたいな他人が行ってどうするの。席なんか用意してもらえるはずないでしょ」

そもそも、彼と私は終わっている。
未だ終止符が付かないのは、私の一方通行な恋慕だけだ。

思えば、いつも求めるのは私だった。
マダラはあれでいて情に絆されやすい。
同棲したいと言ったのも私だった。
一緒にいたいと言ったのも私だった。
好きだと言ったのも私だった。
彼は決まって、どこか困ったように笑って「構わない」と首を縦に振った。

だから、考えてしまうのだ。
彼は、もしかしたら私とは一緒にいたくなかったかもしれない。
彼は、私など好きではなかったかもしれない。
勝手に親しくなったと勘違いして、自分の両親のことを勝手に話して、同情を引いたのだ。
望めば彼はそれを叶えてくれた。
裏を返すと、彼は私に対して何ひとつ望まなかったということではないだろうか。

ただ、その時の彼には断る理由も損害もなかった。
それだけの、関係なのかもしれない。

私はつまるところ、彼を束縛していただけだった。
さしずめ檻といったところか。
自分を優先した結果だ。
彼の気持ちなど、今考えても私にはわからない。
私は何もわからないまま、彼の全てを手に入れた気になってこの家に閉じ込めていた。

――彼に、別れを告げられた時はひどく驚いた。
初めて彼から私に向けられた望みがそれだった。
今になって気付くなど、愚かにもほどがあった。
しかし遡れば遡るほど、彼が私を思ってくれていた節など見受けられなかった。
私が一方的に思い込んでいただけなのかもしれない。

始まってすらいなかった。

もし戻れるなら、次はもっと大事に彼を愛することができるだろうか。




オビトが帰ったのは、結局あのあと一時間ほど経った後だ。
詮索するのは悪趣味だと分かりながらも、マダラが選んだ女性がどうしても気になった。見たことがあると言った彼の話に食い付いた自分の執念深さには、我ながら深く反省している。
しかしそんな私に付き合い、律儀に話したオビトは、やはりマダラに似ていると思った。

物静かで大人しそうな女性だそうだ。
一度会って話したそうだが、口数も少なく感情の起伏にも乏しそうな人だと聞いた。
何より、その女性は彼とは幼馴染みなのだそうだ。私よりも、彼女はずっと彼を知っている。そんな彼女が、彼の生涯に寄り添うことを許された。
私にはできなかったことだ。
私には叶わなかったことだ。

マダラは、その人といる時はどんな顔をするのだろう。
安らいだ顔を見せるのだろうか。
甘えることもあるのだろうか。
私といる時は、いつも私が一方的に彼に寄りかかるばかりだった。
私の想いは、彼には重すぎただろうか。

ソファーに身を沈め、息を吐く。
淡い色のソファーの背もたれにはくすんだ色が散らばっている。
確か、彼が珈琲を零したんだったか。
買ったばかりの真新しいソファーに、さっそくシミを作ったことに呆れて笑った記憶がある。ソファーカバーを買ってやるから許せと言った彼の顔が脳裏によみがえる。もう、その顔を見ることも叶わない。

目を瞑るとふつりと眼窩に熱が燻る。
あの声も、髪も、瞳も、温度も、全てが自分のものだと思い込んでいた。
手放す日など、一度だって想像したことはなかった。
――好きだった。
もう、その全ては違う誰かのものになってしまった。
その人が妬ましいといえば妬ましい。
憎らしいといえば憎らしい。
泥着いた羨望に唇を噛みしめる。

思い返せば、彼が私に甘えたような態度をとったのはたったの一度きりだ。
別れを告げられた日、彼は初めて彼から私を抱きしめ、苦しげに謝罪を口にした。
その腕の中で、私は何も考えることはできなかった。まるで子供をなだめるように私の髪を梳くその指先が、悲しいほど優しかったことを覚えている。
彼は、私を抱きしめ許して欲しいと繰り返した。
皮肉だと思う。
恋人らしいことなど数えるほどしかしてはいなかったが、私は確かに彼が大切だった。

(あんな顔して言われて、断れるはずない……)

苦しげに、痛みに耐えるように、彼は言ったのだ。
彼の幸せを願うなどという建前を振りかざすのなら、自分の利己に気付いたのなら、それを断れるはずがない。
子どものように駄々を捏ねれば、彼はまだ私のもとにいたのだろう。
だが、私のもとに彼を縫い付けて苦しめるわけにはいかない。
これ以上、苦しむ必要はない。

解放しよう。
この小さな檻から。
私から。

私の知らない場所で、私の知らない人と、笑ってくれればいい。


I love you ,sorry

20130228


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